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やわらかくてもいい

聖書の言葉は難解です。
むずかしいことが書いてあるわけではないけれど、
時代背景や、当時の社会情勢、生活習慣、価値観などなどを知らないと、
イエスさまのたとえの意味がわからない・・・
ということに。


子供のころ、なぜだか家にあった『聖書物語』という、
聖書の概要を抜きだした本を読んでいたので、
内容的には馴染みがあったのですが、

大人になり、
「聖書は、日常が書いてあるから、
何度も繰り返し読むと、そのおりおりで思うところ、心にひっかかるところが、違ってくるんですよねぇ」
と、わたしをカトリックに導いて下さった方がおっしゃったときには、
え、これを何度も読むの?これを!?
と思ったものでした(笑)。
そして、読み始めたら、確かに日常でした(笑)。


クラスメイトの困った話をしては、「○○くんがさ~」と責め口調の息子に、
「イエスさまがね、お友達の目の中の、ちっちゃなおがくずは見えるのに、
自分の目の中の丸太には気づかないのかなって言ってるよ」
と言ったところ、
「丸太~?」とおお受け。
でも意味はよくわかったようでした。


日本人には、感覚的に馴染まない言葉もありますね。
神の栄光、とか。

今日は、いつも教えをいただいているシスターとの 「分かち合い」の日でしたが、
イエスさまが、時の支配者に対して、
「あの狐にこう伝えなさい・・・・うんぬん」とおっしゃっている個所を読んで、シスターが、
「イエスさま、いくら相手が権力者であっても、
あのキツネ、なんて言うかしらねぇ?書いた人の私情が入ったな、なんてね」
とおっしゃるので、笑ってしまいました。


聖書は、
そのまま文字通り読むのではなく、
そこにあらわれているイエスさまの気持ち、心情を、自分なりに想像してみることが大切、
時には疑問に思ったっていいのだということを、
シスターにおそわりました。

柔軟な考え方を持つとともに、
文字どおりに受け止めるだけではなく、
その先にあるかもしれない何か、
疑問の先にあるかもしれない何かを、
神さまのあり方を自分の心において、じっくり考えてみること。

聖書の読み方や、キリスト教について、
というだけではなく、
日常生活のなかで、他者と関わっていこうとするとき、
そんな姿勢が必要なのだと、ゆっくり じっくり 教わっているところです。
by patofsilverbush | 2014-03-07 15:48 | 聖書

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by anne