寄り添うことはむずかしいけれど

きのう、教会で、
福島県にボランティアに行かれた方々の報告を聞く機会にめぐまれました。

浪江町に住まわれていた方たちが暮らす、仮設住宅へのボランティア。
焼き鳥や焼きそば、おにぎりやトン汁の屋台を出し、
シスターたちの合唱や、ボランティアに行かれた方たちによる余興など、
見せていただいたスライドは、ちょっとした地域のお祭りの写真を見るようでした。

ボランティアで被災地を訪れる機会もないままに、震災から3年がたちます。

復興がどんなふうにすすんでいるのか、またはいないのかを、
ニュースで見ることはあっても、
マスコミには出てこない情報と言うものも、あるような気がします。

たとえば、
浪江町は放射線量によってもらえる補償額が、3つの区域にわかれており、
同じ仮設住宅に暮らしていながら、補償額格差があること、
ちょっとびっくりするような多額の補償金をもらった方々も、
よそへ引っ越すと(額の多さに)白い目で見られたりすることもあり、
浪江町出身であるとおおぴらに言えないような空気があること、
それから、なかなか目にすることのないような、その補償額を手にした若者たちが、
お金の使い方で人生を棒に振ってしまうようなことがあること・・・

などは、なかなかニュースでは伝わってきません。

宗教雑誌などでも、ときおり被災者の話を聞く特集が組まれることもありますが、
「福島は安全だ」と叫ぶ人と、
「福島は危険だ」と叫ぶ人の間にたって、
苦しい思いをされている方の記事も、たくさん出ています。

引っ越せば「裏切る気か」と地元の人に白い目で見られ、
とどまれば「子供がいるのに」と白い目で見られ、しているお母さんたちの記事も。

「福島」を、自分の都合のよいような「ユートピア」に作り変えたい支援者もいる、
という記事も読みました。
「被災者らしい、かわいそうな顔をしていないと、とたんに嫌な顔をする支援者もいる」と。
「わたしの知っている福島は、適当に都会で、適当にいなかの、
まあまあ住みよい地方都市でしかなかった。
そんなに自然豊かだと思ったこともなかったのに、
ことさらにそれをアピールされて、福島県民としては当惑している」
と話していた方もいらっしゃいました。
「被災した」という事実にかくされた形で潜在していた、個人が震災前から実は抱えていた問題も、
出始めている、というような記事もあり、
一口に「復興支援」という言葉ではおさまりきれない、
もろもろのできごとがある・・・・
被災してしまったことで生じた「日常」、
あるいは、
あえて言うのならば、
被災したこととは関係ないけれど、被災したことによって生じたと思いたい「日常」
なのだろうと思います。


ボランティアに行かれた方がたが、口をそろえておっしゃっていた、
「本当にこれが役に立っているのか、わからない」
という言葉も、
非常に印象的でした。
「みなさん喜んでくれるけれども、心の穴を埋めることはできない。
行くことで、そして帰っていくことで、
より淋しい思いをさせてしまっているような気もする」

震災直後、茫然自失していたり、物質的に不自由されている方たちのためにしていた手助けとは、
まったく別の何かが、3年たった今、必要なのかもしれません。

心を開放できる場所、
感じていることを、伝えられる場所。

「忘れない」と、震災が起きた日が近づくと マスコミは言いだしますが、
忘れないためには、まず、わたしたち一人一人が、
「知ろうとすること」が大切なのかなと思います。

自分とは無関係なことではない。
ボランティアに行けなくても、知ろうとすることは、誰にでもできることだと、
あらためて感じましたが、
傷ついた人に寄り添うことは、むずかしいことだということも、
あらためて感じています。
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by patofsilverbush | 2014-06-02 14:26 | 生活 | Trackback | Comments(0)

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