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堅信式

きのう、東京カテドラルにて、堅信を受けてまいりました。

洗礼が、クリスチャンとしての自分の誕生日なら、
堅信は、成人式とでもいいましょうか、
神様のお恵みを 心のより深いところで感じながら 生活できるように、
その神様からのメッセージを受け取るとこのできる、
敏感で豊かな心が 自分のうちに育ちますようにという
願いを込めて、受ける儀式といえるかもしれません。

もともとは、小さな赤ちゃんの時に洗礼を受けた人が、
成長し、自分で物事を理解できるようになる年齢の頃に、
自分の意思として、クリスチャンとして生きてゆきます
と選択する儀式でした。
大人になって洗礼を受けた方は、
洗礼と堅信を同時に受けられる方も多いようです。

わたしの場合はいろいろとあり、一年待っての堅信となりましたが、
「なんだかわからないけれど、儀式を受けます」という気持ちでいた一年前より、
その儀式の意味を、おぼろげながらも感じるようになった「今!」、
というタイミングで受けられて、本当によかったと思っています。
神に感謝。

宗教的な儀式なんて、「儀式」として行う以上の意味は、あるのかしら?
と思っていました。
形ばかりなり、というか、
成人式に出席したからといって、突然、大人としての自覚が芽生えるわけもないのと一緒。
儀式を受けたからといって、高い精神性が芽生えるかどうかは、
本人の気持ち次第です。
と、神父様もおっしゃっているし・・・。

では、儀式にはどんな意味があるのだろう?

たぶん、儀式自体が人に及ぼす作用は、人それぞれなんだろうなと思います。
ある人にとっては、
婚姻届と同じように、自分の生きていく方向性を、
しっかり、ある覚悟をもって自覚するきっかけになるだろうし、
「これで正式にクリスチャンになったわ!天国へ行かれるわ!」
と思って、教会に足を運ばなくなる方も、いるらしい。

より善い人になりたい、と思っても、
人が自分のどこを、どう思って、「より善く」なろうとするかは、
本当に人それぞれですものね。

わたしにとって、この堅信という儀式は、
起こる出来事を、自分の好みに合わせて取捨選択しようとしてしまう、
自分の中の枠を、取り去ってくれるためのもの のように感じました。

結婚する前だというのに、お腹に赤ちゃんがいる と天使に告げられたマリア様。
当時「姦淫」は死罪に値いするうえ、身に覚えのない、突然のできごと。
それなのにマリア様は、「お言葉通りになりますように」と天使に応えます。
自分の感情や立場はさておき、どんなことになってしまうのか、
まったくの神様まかせで。
そこには、どうなろうともより善いもの、最上のもの、そして愛だけを下さる神様への、
絶対の信頼しかないわけです。

わたしには、まだまだ自分の中に制限があります。
そんなこと わたしにはできない とか
それはイヤだなぁ とか
それはいりません とか
下さるものを、人間の浅はかさで こばもうとする気持ちがたくさんあります。
大丈夫、信頼しなさい、あなたにあげるのは、愛だけなのだから
と、神さまがおっしゃっているにもかかわらず。

その、自分の中の制限に気づかせてもらったとき、
ああ、儀式というのは
この枠を取り去るためにあるんだ・・・と、初めて思えたのでした。

とにもかくにも、
儀式を受けたからといって、突然オールok!な自分になれたわけではないのですが、
一年越しの懸案事項であった堅信式が無事に終わり、
今はほっとしています。
休日に、2時間×5回の講座につきあってくれた息子にも、感謝。

天井の高い、おごそかなカテドラルは、
ゆりの花の香りでいっぱいでした。


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by patofsilverbush | 2014-06-09 13:39 |

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