向こう側にあるもの

「わたしたちは移動が多いからね、引っ越しは慣れているのよ」
とシスターがおっしゃっていました。

学校の寮母さんや、幼稚園の先生などをしてこられたシスターなので、
仕事としてその場所にいると、
「移動と言えば、学年末とか、
いつも“いついつまでに引っ越しをする”と期限が決まっているでしょう。
今回はそうではない移動だから、
引っ越しの日も自分で決められて、
必要なもの・不要なものと、荷物を整理して、
みんなとも ゆっくりお別れができるでしょ」
とおっしゃっておられました。

「いま、ゆっくりお別れができると言うことは、
わたしが“向こう”へ行くときには、
みんなにさらっとした気持ちでお別れできるということなのかしらねぇ、神さま、
と思えてきたのよ」

というおっしゃりように、笑ってしまいましたが、
“むこう”とは引っ越し先のことではなくて、もちろん、死んで後に行く世界のことなのでした。

「神さまってどんなお顔をしていらっしゃるのかしらね!
実態はあるのかしら?光みたいな存在なのかしら?イエス様は、当時の服装でいらっしゃるのかしら?」
なんてことを、しょっちゅう言い合っては、
「わからないことだらけ!でも向こうへ行けば分かると思うと、わくわくね!」
と、
いつも2人で言い合っていたものです。

シスターはガンと「うまく共存」されているお身体。ご高齢でもあり、
「そんなこと言わないで下さいよ~」と、世間的には言いがちなところなのですが、
死というものに関して、
実は年齢や、健康状態には無関係に、
どんな人にも、いつ、いかなる状況で訪れるかは、誰にもわからない、
私にも、シスターにも、同じようにその時はくる、
という二人の意識のもとに、その会話は成り立っていたのかもしれません。

「死」は、避けて通るべき話題ではなく、
この世に生きている限り、いつかは必ず訪れるもの。
そこでなにもかもが終わってしまうわけではなくて、
その先に続く成長のために、今日の日だけがある、ということ。
だから、今日できる 精いっぱいのことをしたい、と思うこと。
明日もある、と、あまり考えない2人であったのかもしれません。

キリスト教というものが、そういう宗教ではあるので、
キリスト者はみんなそう思っているのかな?
この話題に関しては、やはり「タブー、不吉」という意識があり、
クリスチャンか、そうでないかに関わらず、他の方と死を話題にすることはないのですが、
そんなことも平気で話せるシスターとの会話は、
やはり刺激的であったと思います。

タブーな話題は何一つない、ということが。

五感や神経や感覚を、いつも澄ませて 神さまの声を聴き取ろうとすること、
目に見えない光に対して、
いつもオープンでいようと試みることは、
いつでもとても刺激的です。

死んでしまうと、わたしたち「この世」に生きている人には、その姿は見えなくなる。
それはとてつもなく淋しいことなのですが、
私たちの目には見えないだけで、
「この世」ではない場所で、魂の成長は まだまだ続いている。
きっともっと、大切にすべきことがわかって、喜びに満ちてそこに「在る」と思うのです。


でも、今、
さよならの形が、「死」ではなくて、「お引っ越し」であったことは、
シスターにお世話になり、
シスターに助けられてきた、私を含めたくさんの方々にとっては、
もっとやわらかな、やさしい形であると、
シスターがおっしゃったように思います。
神に感謝。
そしてお引っ越しをされても、お手紙というつながりが残されていることにも、神に感謝!
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by patofsilverbush | 2014-11-14 09:39 | 生活 | Trackback | Comments(0)

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