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在り方

その人らしい在り方、を思うとき、
わたしはなんとなく、「個性的」ということを思ってしまうのですが、
よく考えてみたら、
ごく自然に どんな場にでも溶け込めて、
違和感がない、
「没個性的」ということも、立派な「その人らしさ」でありますよね。


うちの息子は、特別
「強い個性」があるわけでもないと思うのですが、
たくさんの子がいる学校の教室の中で、素直に「波に乗っかれる」タイプではありません。
反抗しているわけでも、自己主張が強いわけでもないのですが、
どういうわけか、
「みんなと同じペース」「周りと一緒に」というものに、
乗っかれないらしい。
乗っかりたい、乗っからなきゃ、という意識が、そもそもあまりないのかも。

わたしはといえば、
乗っかるのは好きでない、と思いつつも、
乗っかれて、それなりにやっていかれるタイプです。
すべきことは きちんとする方が好きだし
(あ、でも、小学生のころは、そうでもなかったかなぁ)
息子をみていると、
「もう男子!ちゃんとやって!」と
ちびまるこちゃんにでてくる みぎわさんのように言いたくなってしまう。


自分の好きなことは 自分の中だけですませたいので、
パブリックな場所とプライベートな場所とでは、
はっきり自分を区別していたようなところもあり、
いつごろからか そのことを窮屈に感じ始めたような気もします。


「ありのままでいい」と思うとき、
つい「個性」という言葉を使ってしまうのですが、
性格的に、
苦もなくまわりと合わせられる、社交的な方もいらっしゃるわけで。


『若草物語』は4姉妹の物語ですが、
特に
二女のジョーと、末っ子のエイミーは対極的な性格に描かれています。


本の虫で小説家を目指すジョーは、
「女の子」という型にはまるのを極端に嫌悪する女性です。
社交辞令や、うわべだけ調子のよいお付き合いも大嫌い。
だからいらない問題を巻き起こしたり、自分が損をすることも しばしばです。


いっぽうのエイミーは、芸術を愛し、美しいものが大好き。
貧しいながらも 自分で着こなしを工夫して、
美しく装い、
あい対する人に よい印象を与えたい、
本当の意味でも「レディ」になりたいと願います。

やさしく、素直で、物腰のやわらかいエイミーのまわりには たくさん人が集まるし、
苦もなく周りの人たちを幸せにする術を心得ている、
得な性格。


『若草物語』を読む人は、割と性格のはっきりした、
つまり、「個性的」なジョーが好きなのではないかなと思うのですが
(わたしもジョー大好きです)
周りを振り回す、あっと驚かせる、
ある意味で、好き・嫌いがはっきり分かれるような「個性」のないように思えるエイミーの、
このやわらかな在り方もまた、
素敵な個性なんだなぁ・・・
と、最近、思うようになりました。

ジョーに 
生きていくのが楽になるから、
エイミーのように振舞え というのは 無理な話だし。


エイミーに 
芸術家なら ジョーのように破天荒に生きよ、
というのも、これまた無理なお話で。


つまり二人とも、そのままでいい、
と いうことなのです。

たぶんわたしは、長いこと
「ジョーがエイミーのように振舞っている」ような状態だったのだと思います。
(あ、すごく個性が強いわけでも、社交的ないい子なわけでも、ないのですが。)

もちろん、二つの性質は
わたしの中にしっかりあって、
今でも ジョーになったり エイミーになったりしているけれど、
以前よりも 
どちらもそのまま出せるようになってきた今は、とても楽ちんです。

「エイミーがジョーのように振舞う」
というのも同じことですが、
自分の性質と会わないことを、無理にするのは、
やっぱり窮屈なことですよね。





親は子供に、たくさんの期待をかけたり、
こうあってほしい、こうふるまってほしい

いちいち 感じてしまうのですが、
どんな在り方でも、
子供自身が無理をせず、自然のままに振舞えているのなら、
それがつまり、
その人の「在り方」なんですよね。

もっと周りと強調して!と思うこと。
逆に、
もっと個性を出して!と思うこと。


自分が思う「理想的」な型に  子供をはめてしまうことのないように、
日々、
気をつけたいと思います。










by patofsilverbush | 2014-12-24 14:56 | 子育て

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by anne