自分のエゴに気づく時

そもそも人見知りだし、
人と関わるのも 苦手な私。
できればうちに引きこもって暮らしていたいけれど、
子供がいると、そうもいきません。


幼稚園や学校には行かなきゃならないし、
運動会や授業参観・懇談会などの学校行事、PTAやら交通安全当番などなど、
めんどくさいこと このうえない!
毎年 クラス替えのある学校なので、
クラスメートが毎年変わる 子供たちも大変かもしれませんが、
親もまた たいへんです。
PTAの係を決める、年度初めの懇談会なんて、
本当に毎年、憂鬱でしかたがない。


いろんな先生、いろんな保護者の方がいらっしゃるし、

子育てや教育についての考え方もそれぞれ。
人付き合いの仕方や 「常識」も、 またそれぞれです。


引きこもっていてはいけません。
と、神さまがおっしゃるので、頑張って外側にむかいますが、

何がそんなに嫌なんだろう・・・と考えた時、
たとえば
考え方の違う人と出会った時、
プラスのエネルギーを受け取ることもあれば、マイナスのエネルギーを受け取ることもある。
誰かのエゴに触れて、傷つくこともある。

単純に、その違いがわずらわしい、めんどくさいという、
変化を好まない性格、
ものぐさな性格ということもありますが、


そうやって、
他者と自分の違いに気付くということは、
相手のエゴに触れることでもあり、
同時に、
自分のエゴにも触れることになるから、ということも、あるのかもしれません。

「あの人がこうだから、イヤだ」と、
相手のせいにして、責めるのは 簡単なことなのですが、
「そういう自分は正しいのか?」 と問われれば、
返す言葉もない。
そのことに気づくからなのかもしれません。


そんな自分が好きなら、
そんな相手の在り方も、あり、
なのです。

自分が正しいと、相手を責めたい気持ちと、
あり、と思えない、
自分の了見の小ささ、許容量の狭さとの間で うろうろと行き場を無くしてしまう
自分の気持ちに、
やれやれ
と思うから、他者と関わるのが 嫌なのかもしれないなぁ。

と、ふと思ったので、書いてみました。


自分をなくして、わたしについてきなさい
とイエス様はおっしゃった。
自分をなくすって、どういうことだろう?
自分の意思を持っていては いけないのか。意思を無くすなんて、できるのかしら?

なかなか心に すとんと落ちてこない言葉であったけれど、

相手の言葉が
心外であっても、不平等であっても、まちがっていたとしても、

まず、反論しよう、意見を言おう!と 心を騒がせず、
いったんは素直に受け取ること。

謙虚に受け止めることが、
「自分をなくすこと」につながってゆけるかもしれません。






















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by patofsilverbush | 2015-01-17 11:27 | | Trackback | Comments(0)

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