内側から放たれるもの

文章を書くのは むかしから大好きですが、
それでも、
こんなふうにブログを書くときは、
いつも集中力を要します。

日記とは違い、見て下さる方がいらっしゃる。
個人的、ありきたりな日常なのだけれども、
だからこそ、誰もが体験しうることかもしれなくて、
そんな体験や わたしの個人的な感想を通して、
読んで下さる方が それぞれに何か感じられたらいいなぁ 
と思うのです が、


言葉にしきれないできごとや、
書いてしまうと 誤解を招きそうな感情もあり、
そんな、
水の中に小石を投げいれた時に、水底から 泥や土が湧きたってくるような日々は、
自分の心が澄んでくるまで
なにも表現できないこともあります。


澄んだからって、表現できるわけでもないけれど。


もちろん、ネガティブなことばかりではなく、
あまりにも微妙な 神さまのなさりかたに 感激して、
でも、書いてしまうと きわめてバカバカしいように感じるような、
そんな素晴らしい体験も、
なかなか表現はできないものです。


『赤毛のアン』におりおり登場する 聖書の言葉を
アンを読みついでに ちょっと解説すると、
今まで
「・・・・・ふーん・・・」
というような、
自分には関係ないと思っていた言葉が、
急に 生き生きした、自分の日常への語りかけなのだと 気づくこともあって、

「“ 聖書の この言葉は、こういう意味ですよ~ ” と、
全部 解説してくれる本が あるといいのにね~!」
と、おっしゃった方がいらっしゃいました。

本当にね!
なんて思いましたが、


聖書を読んでいるうちに、

ああ、これって、ひとりひとりに違うことを話される、
神さまの 微妙ななさりかただなぁ・・・と、あらためて思いました。


日常の中で、聖句が はっと心にひらめくことがあり、
長らく意味のわからなかった個所に、はっとスポットが当たったり、
意味を理解できたように 思う瞬間があります。
「あの言葉って、こういう意味だったんだ!」


でもそれは、
その時・その瞬間の、神さまからのメッセージであって、

また別の時には、
同じ個所を、また違った風に感じることもあります。
それも、
その時・その瞬間の、神さまからのメッセージ。

同じ言葉が、いつも同じ意味だとはとは限らない。
正解は一つじゃないし、
一つじゃない、ということを受け入れて、許容できるものが少しずつ ふえてゆく。


そんなふうに、
なにか体験し、なにか感じるたびに、少しずつ理解が深まってゆく。


聖書のことだけではなく、
日常って、その繰り返しではないでしょうか。


誰かが解釈してくれることは、その人の解釈でしかありえない。
同じ個所を読んでも、人によってまったく違うことを考えることもありますし、
相手の解釈が 全然自分と違う!と受け入れられない時もある。

でも、それはそれで、
その人の理解の度合いなのだと思います。
それでいいのです。
神さまは、そんなにおしつけがましい方ではないからです。


だれかが表現してくれることを、そのまま受け止めるのではなく、
聖書に、文章として表現されている、言葉の奥に、
イエスさまや神さまの み心を感じ取ろうとすることこそが、
神さまと 自分との関係を、深めてゆくということなのでしょう。


神さまの言葉を、そのままに受け取ることができれば 一番いいのだけれどね。


だから、心の門を、ひらいていなさい。
と、おっしゃっているのですもんね。


ちなみにこれ、息子の今月のテーマらしく、
幼稚園でいただいた、子供用のクリスマスの祈りの本から書き写して、
コルクボードにとめています。
別に 何を実践するわけじゃないのだけれど、お祈りの本や聖書は、気持が落ち着くらしく、
時々 書き写したくなる時が あるようです。
おもしろい(息子が)。


表面から見えるものに、自分の心を 限定してしまわないように。

内側は光っていて、
まぶしすぎて 真っ白にしか見えないのだけれど、
いつも目を凝らして
耳を澄ませていられたら 

何かあると、
心の薄暗がりの中から 思ったりします。



門よ とびらを ひらきなさい
神さまが いらっしゃって
ここから おはいりになるからです
世界の王まさ みんなの心の王さま 神さまが
ここをとおって おはいりになるからです
門よ とびらを ひらきなさい
おおきく いりぐちを あけなさい
         詩篇 24より


  
 




















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Commented by みどりくま at 2015-02-10 16:16 x
こんにちわ。
そうだよね、日本語は言葉が多いから、何をピッタリをするか、選択が特に難しいんじゃないかな。日本語は曖昧な表現だと言うけれど、逆に英語はひとつの単語に意味がたくさんあったりして、理解する人によって違うこともあるかもしれない。聖書も訳す人が代わればきっと違うだろうね。その辺の統合性をどう取っているんだろう、って不思議に思ったんだけど、ちゃんとチェックする人がいるのかしらね?
Commented by patofsilverbush at 2015-02-11 10:41
そうなの。豊かな日本語の中で、どんな言葉がぴったりくるのか、チョイスが難しいよね。
今、一般に読まれている聖書は、カトリックの人とプロテスタントの人が、両方、違和感なく読める(らしい)、共同訳なのだけれど、たくさんある写本のうち、どれが聖書の原本、あるいは原本に近いものなのか、日々、研究され、その都度、聖書も変わってゆかねばならないものなのですって。
共同訳でない、個人が、原語のニュアンスに近い言葉で訳している聖書もあって、共同訳より意味は分かりやすいかも。でもやっぱり、訳する人個人の解釈や見解が、入り込みやすいかもしれないね。
Commented by viola2013 at 2015-02-23 21:09
こんにちは??
実は今、朝の4:05。
目が覚めてから、気になって眠れないことがあったのですが
この日記を読ませて頂いて、とっても共感しました。
聖書を初めて読む方々に、同じことを伝えたかったのですが
伝えたいことが、クリアになりました。ありがとうございます。

Commented by patofsilverbush at 2015-02-28 09:33
viola2013さま
こんにちは。お返事遅くなってしまい、ごめんなさい。
同じように感じていただけたこと、とても嬉しいです。
聖書って、初めて読む人には、どうにもとっつきにくいものですものね。マタイの冒頭、イエスさまの系図でアウト!という知人もいたりして(笑)。
でも本当に奥の深い言葉の数々ですので、たくさんの方が読んで、それぞれの生活の中で、何かを感じて下さったら、いいですよね。
ご自分の思いや伝えたいことが、クリアになって、よかったですね。わたしも嬉しいです。
by patofsilverbush | 2015-02-10 10:50 | | Trackback | Comments(4)

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