『長靴下のピッピ』

アンは よく、「生きているって素敵」 と言いますが、
子供の本に よく描かれている、
そんな、なんでもない文章が とても好きです。

特別な何かが起こったから、というわけではない、
ただ、生きていることそのものが、楽しく嬉しい
という気持ち。


たとえば 『長靴下のピッピ』に出てくる、こんな文章____

   ある晴れた日の午後、ピッピは、コーヒーとビスケットを用意して、
   トミーとアンニカに ごちそうしていました。 
   コーヒーなどはベランダの階段に、ならべていました。
   そこは とても日あたりがよくて、
   ピッピの庭の花々が、すばらしくいい香りをただよわせていました。
   ミスター・ニルッソン(ピッピのおさるさん)は、
   ベランダの手すりをよじのぼったり すべりおりたり していました。
   ときどき 馬が鼻づらをつきだして、ビスケットをねだっていました。
   「やっぱり、生きてるって、ほんとにすばらしいことね」
   ピッピはそう言いながら、せいいっぱい両足をのばしました。


物語としては、このあとから とあるできごとが起こっていくのですが、
その出来事とは無関係に、
ただただ 楽しい気持ちでいる ある日の感じが、
わたしの心まで 楽しいものにしてくれるのです。



ピッピを書いたのは、スウェーデンの作家、アストリッド・リンドグレーンです。

スウェーデンの児童文学者といえば、まず名前があがるかと思われますが、
子供のころ、
何度 図書館で借りたかわからない『やかまし村』シリーズ(映画も大好き)や、
何度も見る映画『ロッタちゃんと赤い自転車』『ロッタちゃんとはじめてのおつかい』も、
このピッピも、
本当に大好きな、それこそ ビスケットみたいな物語なのです。
ケーキみたいに特別じゃない。
素朴だけど、パリッとしてて、毎日のおやつにぴったり!

ピッピもロッタちゃんも「いい子」ではありません。
することは(大人的に見れば)突拍子もないし、
映画のロッタちゃんにいたっては、大半はぷんぷん怒っています(笑)。
というわけで、パートナー氏は、悪い子だから好きじゃない!と公言しています。
ちびまるこちゃんや のびたについては何も言わないのに?
(すみません、まるこものびたも、わたしは嫌いです)


いい子・悪い子の枠を超えて、
何がOKなのか の基準が、違うらしい。

しいて言えば、
リンドグレーンの物語の中の子供たちは、
みんな 自己責任の上に 自由にふるまっているような気がします。
誰のせいにもせず、世の中のいろんな「~ねばならない」から解き放たれている。


わたしの持っているピッピの本には、あとがきに、
リンドグレーンの こんな言葉がのっています。


  子供たちが、わたしに、とてもいいものを教えてくれました。
  彼らは、愛情とはなにか ということを教えてくれたのです。
  わたしは自分の子供を持ってみて、はじめて ほんとうの愛情というものを
  知ることができました。
  相手に何物も要求しない、エゴイスティックでない愛情です。
  いま、わたしの子供は、ふたりとも大人になりました。
  けれども あの子たちが いつか教えてくれた愛情の 小さな小さな断片は
  わたしの書くものすべてに はいっているのです。


子供がいても、いなくても、それなりに幸せであると思うのですが、
愛情に関しては、
実はわたしも同じように感じています。
大人として、パートナー氏がわたしに与えてくれる愛情、
わたしがパートナー氏に注ぐ愛情とは、
まったく違う愛情がある ということ。



子供のありのままを見守る リンドグレーンの
愛情や おおらかさを、
わたしも 彼女の本から感じるのだと思います。


小さかった娘さんが病気になった時に、
お母さんであるリンドグレーンさんがしてあげた、いろいろなおもしろいお話が
『ピッピ』の原型になった、
と、あとがきには書かれています。

ああ!とうなずける、
なんともいきあたりばったりな、愉快な、ピッピのお話は、
子供に読んであげるのにも、自分が読むのにも、
やっぱり枕元にぴったりの 一冊なのです。



















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by patofsilverbush | 2015-03-04 09:58 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

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