見えない未来

戦争は、ふいに始まるものであるらしい。

ミステリーの女王、アガサ・クリスティの自伝を読むと、
第一次世界大戦の始まりは、こんなふうに記されています。


遠い国で行われた暗殺が、自分たちの住む英国に影響するなどとは、
誰も、まったく信じられなかった、
と。

『その暗殺後、急速に、
信じられないような嵐の雲が 地平線に姿を現し、
変なうわさが広まった・・・戦争のうわさだった!』


けれどそれは、新聞紙上だけのことで、
文明国は戦争などするものではない。

『ふつう一般の人々は、と わたしは思うのだが
実際に誰もが 戦争などというものがおころうという考えは
持っていなかった。
すべて、うわさである・・・人々が勝手に作り上げて、
“本当の本当” らしいといってるだけ・・・と政治家は演説していた。

そして、突然、ある朝それは始まったのである 』


クリスティの自伝は、彼女のユーモア精神によって、
とても楽しい読み物であり、
このことも、別段、悲劇的な調子で書かれているわけではありません。
単純に、本当にこんなふうに、戦争は始まったのだという事実、というか、
これがアガサの実感なのだと思います。


わたしたちだって、
まさか日本が再び戦争するだなんて、
日常的に思っているわけではないでしょう。
きなくさい感じはするけれど、まさかね、と。

でも、きなくさい、感じこそが、
その方向性の予兆なのだと、
わたしたちはそのことについて、しっかり考えるべき時なのです。


政治家は都合のいいことしか言わない。
婉曲な表現で、自分の真意はごまかそうとする。
質問にはっきり答えない。
違憲だと言われる憲法改正をしても、
「違憲だとは思わない」と平気な顔をしている厚顔さ。


ということに、もっとしっかり目を向け、
オブラートや、わかりにくい言葉に幾重にも包まれた、
話の芯をとらえるために、もっと自分で考えなければいけません。
ごまかされるほど、馬鹿であってはいけないのです。
ばかにされても、いけないのです。




こんなことを、おおっぴらに書けない時代が、
確かにあった。
すでに、同じことが始まっているのだと、
わたしたちははっきり知るべきときです。




子供たちの、夏休みの戸外生活の喜びを描いた、
アーサー・ランサムのシリーズを読むとき、
登場する子供たちとともに、夏休みの喜びを存分に味わいながらも、
時々、冷たい思いに心をつかまれることがあります。

この子たちが大きくなったとき、
戦争が始まったのだ。
こんなに人生を楽しんでいる、この子たちは
この先、青年になって、
戦地へ行くのだ、と。

本の中では分からない未来。
でも、子供たちの未来を黒雲が覆うことを、
わたしたちは知っています。


同じことを、自分の子供で繰り返すのは
わたしはごめんです。


未来は見えない。
けれど、
こんなふうに、見えるかもしれないこともあるのです。
過去を振り返ることによって。


過ちは二度と繰り返しませんから。

と、わたしたちは、
すべての犠牲になった方々に、誓ったのではないでしょうか。
わたしたち一人一人が、誓った言葉なのです。


















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by patofsilverbush | 2016-06-29 16:48 | 生活 | Trackback | Comments(0)

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