育児とは言うけれど
2016年 07月 29日
他に適当な言葉を見つけようと、努力せず、
「育児」「子育て」という言葉を使っているけれど、
実際に子供と一緒に過ごしていると、
その言葉自体に、なんだかちょっと違和感を感じていたりもします。
叱ったり、イライラしたりは毎日のことですが、
話をするときに、あまり彼を「子供」だと思ったことがないなぁと
ある日 ふと気がつきました。
もちろん、年齢にあわせて、
分かりやすい言葉で話すよう 心がけはするのですが、
あくまで対等な立場として、
わたしの考えを知ってもらったり、分かってもらいたい気持ちで
話をします。
共感してくれなくてもいいし、
同調してくれなくてもいい。
彼には彼の、意見や 気分や やり方がある。
わたしがどう「育てたいか」というだけでなく、
彼がわたしに教えてくれることも たくさんあって、
だから わたしが「育児」をしていると思うことに、違和感を感じるのでしょう。
「意見」が違うから、もちろん、ぶつかることもあります!
イライラもします!お互いにね(笑)。
でも、それはエゴのぶつかりあいというか(笑)。
お互い、相手が思うとおりにならないのでイライラしているだけ(笑)。
意見が違うのは あたりまえのことで、
どう、歩み寄るのかを、お互い日々学んでいるようにも思います。
彼がわたしを育てているともいえ、
「育児」は決して一方的なものではないのだということを、
日々、実感中です。
ほどよい距離感も必要だし、
譲りあうこと、思いやり、自分の気持ちを貫き通す強さ、うけとめること、うけいれること・・・
そこから生まれる調和や 穏やかな楽しさや 安らぎ。
人と関わっていく、いろんな気持ちをはぐくむ場所。
子どもと親の関係だけでなく、
もちろん、夫婦や、パートナーとの在り方も同じことで、
それが「家庭」の役割なのだなぁとおもいながら、
夏休み始まって一週間の、今日の奮闘日記でした(笑)。
それにしても、
子ども相手だと比較的、寛大でいられるのに、
だんなさんとなると、また話は別で・・・
大人同士、寛容になるのは、なかなかに大変ですな!
「育児」「子育て」という言葉を使っているけれど、
実際に子供と一緒に過ごしていると、
その言葉自体に、なんだかちょっと違和感を感じていたりもします。
叱ったり、イライラしたりは毎日のことですが、
話をするときに、あまり彼を「子供」だと思ったことがないなぁと
ある日 ふと気がつきました。
もちろん、年齢にあわせて、
分かりやすい言葉で話すよう 心がけはするのですが、
あくまで対等な立場として、
わたしの考えを知ってもらったり、分かってもらいたい気持ちで
話をします。
共感してくれなくてもいいし、
同調してくれなくてもいい。
彼には彼の、意見や 気分や やり方がある。
わたしがどう「育てたいか」というだけでなく、
彼がわたしに教えてくれることも たくさんあって、
だから わたしが「育児」をしていると思うことに、違和感を感じるのでしょう。
「意見」が違うから、もちろん、ぶつかることもあります!
イライラもします!お互いにね(笑)。
でも、それはエゴのぶつかりあいというか(笑)。
お互い、相手が思うとおりにならないのでイライラしているだけ(笑)。
意見が違うのは あたりまえのことで、
どう、歩み寄るのかを、お互い日々学んでいるようにも思います。
彼がわたしを育てているともいえ、
「育児」は決して一方的なものではないのだということを、
日々、実感中です。
ほどよい距離感も必要だし、
譲りあうこと、思いやり、自分の気持ちを貫き通す強さ、うけとめること、うけいれること・・・
そこから生まれる調和や 穏やかな楽しさや 安らぎ。
人と関わっていく、いろんな気持ちをはぐくむ場所。
子どもと親の関係だけでなく、
もちろん、夫婦や、パートナーとの在り方も同じことで、
それが「家庭」の役割なのだなぁとおもいながら、
夏休み始まって一週間の、今日の奮闘日記でした(笑)。
それにしても、
子ども相手だと比較的、寛大でいられるのに、
だんなさんとなると、また話は別で・・・
大人同士、寛容になるのは、なかなかに大変ですな!
by patofsilverbush
| 2016-07-29 10:09
| 子育て