人気ブログランキング | 話題のタグを見る

肩の荷

小学校何年生のときであったか、通知表の、
教科の成績ではなく、言動の評価欄の 「創意工夫がある」というような欄に、
丸印がついていたことがありました。
思い切った、思いもよらない発想などということは正直苦手だと思っていたので、
とてもびっくりして、今でも覚えています。


どんなことでそんなふうに評価してくださったのか、わかりませんが、
何かしら、
他の子とは違う発想があったのかもしれません。


デッサンも遠近法も何もない、緻密ですらない写生会の絵が「銀賞」をもらったときも、
クラブで作った粗雑な絵本を、「これ、ちょうだい」と先生がこっそりもらって下さったときも、
それは「できる・できない」「優れている・優れていない」と評価されることではない、
感性の世界を見て下さっていたのかもしれません。
当時はまったく謙遜ではなく「もっとうまい人がいるのに。。。」と普通に思いましたが
(得意になれるほど、上手ではなかったのです、本当に(^^;)
「この絵、好きだな」
「この雰囲気、いいよね」というように、
技術的に「うまい」ことではない何かを見て下さった当時の先生に感謝です。

きっと「わたしらしい」ということだったんだろうと思います。
そしてそれを「好きだな」と思って下さったんだろうと。



     『人は三歳のときも、六歳のときも、十歳あるいは二十歳でも 
      あるがままの個性は変わらないものである』

と自伝に書いているのはアガサ・クリステ。
見せかけをしない小さな子供のときは 本来の個性がもっともよく表れているけれど、
二十歳くらいになると 周りに左右され「こしらえものの自分」を見せたがるようになる。

     『しかし、人生が進むにつれて本来の個性へ返り、日に日に自分らしくなっていく。
      これはときとしてその人の周囲のものをまごつかせることになるけれど、
      本人にとってはすっかり肩の荷をおろすことなのだ』


本来の自分というものを考えたとき、
それはなにか新しいものにチェンジ(変身!)することではなくて、
育ってきた環境や教育、社会などによるすりこみを少しずつはがしていった、
奥の奥の奥にしまい込まれている「わたし」の魂を、自分で発見することなんだろうなぁと、
ここ数年のいろんなことで、思うようになりました。
まずは興味をひかれたことは、「やってみる」ことなんだなって。
文字通り 周囲はまごついているかもしれないのですが、
だいぶん肩の荷をおろしました(笑)。とても楽です。


成績表やテストを見ると、ついつい「むっ」と思ってしまいがちですが、
なによりも、
なるべく肩の荷は少なく育っていってほしい。
余計な荷は背負わせないようにしなければ、と、
常に自戒の目を光らせておかなくては!と、自分は荷を下ろしつつ思う子育てです。




by patofsilverbush | 2017-01-23 14:04 | 子育て

日々のあれこれを綴ります


by anne