習い事問題?
2017年 06月 21日
小学校低学年ころに話題になる、「子供の習い事、どうする?」問題。
習い事、してる?
何を習ってる?
などの話題。
まず、「これがどう~しても!!やりたい!!!」というほどの
強い自我のない子どもに習い事をさせるのか? から始まり、
させるならば、
公文や英語などのお勉強系、
ピアノやバレエなどの芸事系、
サッカーや野球などのスポーツ系、
などなど、お財布事情や、送り迎えの都合等を鑑みつつ、
自分の子供が興味を持ちそうなものを推測して、何かを習わせてみるのが、
幼稚園から低学年のころ。
さて、習い事を始めて数年がたち、
「習い事、どうする?」問題が 最近、また話題に上ることが多くなってきました。
今度は「続けさせる?やめさせる?」がテーマポイント。
やってみたけど、子供自身がいまいち興味をもてないでいるらしい。
子供のやる気が見受けられない(お月謝の無駄遣い?)。
子どもが「やめたい」って言いだした。
言い出さないまでも、「やめる?」と聞いたら「やめる」と言いそう。などなど。
親としては、せっかく数年やってきて、なんとなくサマになってきたものを、
もうちょっと続けてほしい気持ちになる。
「継続は力なり」と言われて育った世代ですから(え、そんなこと言われてない?)
なんとなく、「長く続ける」ことに意義があるような気もしてしまうし、
もちろん、長く続けて得るものは本当にたくさんあります。
「長続きしない」って、飽きっぽく、根気がなく、信頼できないような、
そんなマイナスなイメージも手伝うのかもしれませんね。
かたや大きくなってきた子供たち。
自分の意思も芽生えてきて、
自分のやりたいこと、やりたくないことも、ちょっとずつわかってくるお年頃。
「つらい練習を乗り越えた先に、得るものがある」なんて、
ほんとのところはまだ全然わかっちゃいませんが、
「今日の稽古は休みたい」
「めんどくさいから行きたくない」なんて思いはあるわけで。
小さい頃みたいに親が「行きなさい!」としかりつけたところで、
反抗してみたくもなる年齢になってきたわけです。
たのしい時ばっかりじゃない。
練習したくない時も、やめたい時もあるかもしれないけど、
乗り越えたときに成果が出てくるんだよ。
と諭し、導き、励まして続けさせる。
というのも、あるかなぁと思う一方で、
結局、、水を飲むのは馬自身なんだよなぁとも思う。
馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ますことは誰にもできないのです。
昔の習い事は、「芸事」だったように思います。
学校以外に何かを習うなんて、ある意味で贅沢なことですし、
(私が子供の頃は、もうみんな何かしらの習い事はしていた時代でしたが)
「やるのなら、それが何らかの形で将来につながるように」
ということを、母にも無意識に求められていたように思います。
そうとううまくすれば、バレリーナに。
うまくいかなくても、バレエ教師に。というように。
だから「習うなら真剣に。学校行事より、稽古優先」というような雰囲気が、
母にも、習っていた先生にもありましたし、
送り迎えをずっとしてもらって、たくさんお金をかけてもらった、
そのことに思い至らずに
わたしがあっさりやめてしまったときに、母はすごく失望したのだと思う。
わたし自身は教えることは好きではなかったし、
そんなふうに期待されるのは、とてもシンドイことだったので、
子どもの習い事に過度に期待をかけたくない、という気持ちが、
正直言ってあります。
うちの子は合気もお習字もやめたいと言ったことはありませんが、
かといって「すごくやる気がある」ようにも見えないところが、
私としては悩むところ。
そんなもんなのかなぁ。
でも「そんなもの」にお月謝を払うのは、無駄ってもんじゃない?
などと思うことも、しばしば。お財布事情もキビシイことですしねぇ(苦笑)
でも、なんのために習わせているのかといったら、
「将来、それで身を立ててくれ!」と思っているわけではないのは確かで。
細くても長く続けて、なんとなく身についてくれたらいいなぁ。
という、ゆるい気持ちなので
(もしや、そんなこちらの気持ちが反映されてるのか!?)
本人が苦でない限り、できるだけ続けさせたい、というのが
今の状況です。
「これが将来、子供のためになる!」という「正解」はないし、
「これがパーフェクト!」という考え方もないので、
子どものことに限らず、
生きていくのはいつも試行錯誤の連続ですね。
習い事、してる?
何を習ってる?
などの話題。
まず、「これがどう~しても!!やりたい!!!」というほどの
強い自我のない子どもに習い事をさせるのか? から始まり、
させるならば、
公文や英語などのお勉強系、
ピアノやバレエなどの芸事系、
サッカーや野球などのスポーツ系、
などなど、お財布事情や、送り迎えの都合等を鑑みつつ、
自分の子供が興味を持ちそうなものを推測して、何かを習わせてみるのが、
幼稚園から低学年のころ。
さて、習い事を始めて数年がたち、
「習い事、どうする?」問題が 最近、また話題に上ることが多くなってきました。
今度は「続けさせる?やめさせる?」がテーマポイント。
やってみたけど、子供自身がいまいち興味をもてないでいるらしい。
子供のやる気が見受けられない(お月謝の無駄遣い?)。
子どもが「やめたい」って言いだした。
言い出さないまでも、「やめる?」と聞いたら「やめる」と言いそう。などなど。
親としては、せっかく数年やってきて、なんとなくサマになってきたものを、
もうちょっと続けてほしい気持ちになる。
「継続は力なり」と言われて育った世代ですから(え、そんなこと言われてない?)
なんとなく、「長く続ける」ことに意義があるような気もしてしまうし、
もちろん、長く続けて得るものは本当にたくさんあります。
「長続きしない」って、飽きっぽく、根気がなく、信頼できないような、
そんなマイナスなイメージも手伝うのかもしれませんね。
かたや大きくなってきた子供たち。
自分の意思も芽生えてきて、
自分のやりたいこと、やりたくないことも、ちょっとずつわかってくるお年頃。
「つらい練習を乗り越えた先に、得るものがある」なんて、
ほんとのところはまだ全然わかっちゃいませんが、
「今日の稽古は休みたい」
「めんどくさいから行きたくない」なんて思いはあるわけで。
小さい頃みたいに親が「行きなさい!」としかりつけたところで、
反抗してみたくもなる年齢になってきたわけです。
たのしい時ばっかりじゃない。
練習したくない時も、やめたい時もあるかもしれないけど、
乗り越えたときに成果が出てくるんだよ。
と諭し、導き、励まして続けさせる。
というのも、あるかなぁと思う一方で、
結局、、水を飲むのは馬自身なんだよなぁとも思う。
馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ますことは誰にもできないのです。
昔の習い事は、「芸事」だったように思います。
学校以外に何かを習うなんて、ある意味で贅沢なことですし、
(私が子供の頃は、もうみんな何かしらの習い事はしていた時代でしたが)
「やるのなら、それが何らかの形で将来につながるように」
ということを、母にも無意識に求められていたように思います。
そうとううまくすれば、バレリーナに。
うまくいかなくても、バレエ教師に。というように。
だから「習うなら真剣に。学校行事より、稽古優先」というような雰囲気が、
母にも、習っていた先生にもありましたし、
送り迎えをずっとしてもらって、たくさんお金をかけてもらった、
そのことに思い至らずに
わたしがあっさりやめてしまったときに、母はすごく失望したのだと思う。
わたし自身は教えることは好きではなかったし、
そんなふうに期待されるのは、とてもシンドイことだったので、
子どもの習い事に過度に期待をかけたくない、という気持ちが、
正直言ってあります。
うちの子は合気もお習字もやめたいと言ったことはありませんが、
かといって「すごくやる気がある」ようにも見えないところが、
私としては悩むところ。
そんなもんなのかなぁ。
でも「そんなもの」にお月謝を払うのは、無駄ってもんじゃない?
などと思うことも、しばしば。お財布事情もキビシイことですしねぇ(苦笑)
でも、なんのために習わせているのかといったら、
「将来、それで身を立ててくれ!」と思っているわけではないのは確かで。
細くても長く続けて、なんとなく身についてくれたらいいなぁ。
という、ゆるい気持ちなので
(もしや、そんなこちらの気持ちが反映されてるのか!?)
本人が苦でない限り、できるだけ続けさせたい、というのが
今の状況です。
「これが将来、子供のためになる!」という「正解」はないし、
「これがパーフェクト!」という考え方もないので、
子どものことに限らず、
生きていくのはいつも試行錯誤の連続ですね。
by patofsilverbush
| 2017-06-21 09:03
| 子育て