カテゴリ:生活( 282 )

母の心

佐藤初女さんは、青森・岩木山のふもとで、「森のイスキア」という施設を開設しています。

はじめて初女さんの名前を知ったのは、
妊娠中に読んでいた、高山なおみさんのエッセイでした。
わたしはクリスチャンではなく (クリスチャンになろうとは 思いもしていなかった!)、
初女さんがクリスチャンであることも、
それどころか、どういう“活動”をされているのかも知らなくて、
ただ、「美味しいおにぎりを作るおばあちゃん」ということだけは、
そのエッセイの中で印象的に心に残ったので、

数年後、本屋で初女さんのエッセイをたまたま見かけたとき、
あ、おにぎりの人だ!とすぐに思い出しました。

初女さんの“活動”を説明するのは難しい。
心をこめて作った手料理と、
アドバイスすることもなく、ただ話を「聞く」ことで、
「森のイスキア」を訪れるたくさんの方たちの心に、
寄り添い続けている。
ちょっと聞くと、なにそれ?と思われるかもしれませんが、
心になにか重いものを抱いているけれど、日常の中でうまく吐き出せないこと、
ため込んでしまって苦しくなっていること、
誰に話していいのかわからないこと・・・は、誰にでもあるのではないかしら?
それを、そのぐちゃぐちゃした気持ちを、
ただひたすらに聞いてくれる人は、周りを見回しても、案外いないものです。

初女さんは、「母の心」で、話を聴くといいとエッセイに書かれています。

『受け入れる、見守る、育てる、耐える、赦す・・・それが「母の心」だと思います。

大量生産・大量消費の価値観、高度成長の波に押し流されて、
戦後の日本は 大切な「母の心」を失ってしまったような気がします』

『話を聞いてくれる人、受け入れてくれる場所が足りないことを
不安に思ったり、寂しく感じたりするのは、大人も子供も同じだと思います。
今は家庭だけではなく、職場でも、近所づきあいでも、
この「母の心」が必要になってきています。
女性だけではなく、男性にも「母の心」は必要です』


「わたしはあなたのお母さんじゃないのよ!」なんて、
甘ったれの夫に、妻がキレたりするようなこともありますが、
夫も妻も子供も、それぞれが「母の心」を必要としている、
と まず知るのは、大切なことだなと感じました。

誰にでも必要。
だから、みんながみんなのお母さんのようであればいいのか!
お母さんって、偉大だな~!!


初女さんは、クリスチャンとして、この活動をしているわけではありません。
もちろん、信仰と生活は 本来、切っても切り離せないものですが、
教会を通さない、個人としてのこの活動を、快く思わない方もたくさんいたそうです。
教会、とか、クリスチャン、とかいうことではなく、
個人がどんなふうに生き、どんなことができるのか、自分で考え、実行すること。
そういう、
人としての生き方の指針になるのが信仰ですから、
わたしを導いて下さっているシスターも、
初女さんも、
人として、こうでありたいなぁ
という、わたしの理想の「お母さん」でもあります。
(そしてシスターも、「わたしも初女さんのようでありたいわ」とおっしゃっていました。
みんな影響し合えるのは、素敵なことです)

「お母さん」になるのは、他の何になるよりも大変なことだと
日々、 実感中(泣き笑い、もしくは苦笑)。
[PR]
by patofsilverbush | 2014-06-17 09:25 | 生活 | Trackback | Comments(0)

虹を持つ

昨夜はいつものように10時ごろに就寝しましたが、
小一時間しかたたない11時ごろ、ものすごい音に、目を覚ましました。

雷・・・の音なのだけれど、
これまでの生涯で 聞いたことのないような、
全天・全地を揺るがすような(実際、小さな地震のように、家が揺れました)、
最後の審判の日はこのようにやってくるのでは!?
と、本気で思ったほど、
それはそれは恐ろしい音が、とどろきわたりました。

その音は一度きりで、
あとはごく普通の雷が、しかもまだ遠くで鳴っているだけでしたが、
本当に恐怖のあまり 胸がドキドキして、
ちょうどパートナー氏が駅から自宅に帰ってくるような時間帯だったので、
大丈夫かしらと起きて待っていましたが、
帰宅した彼はその音を聞かなかったらしく、
「まさか、そんな。ふつうの雷は、遠くで鳴ってたけど」と不審そう。

聞かなくて幸いだったよ。


さて、悪天候が続いていますが、
きのうは午前中、ほんのいっとき日が射して、
サンキャッチャーからこぼれる虹が、床いっぱいに散らばりました。

小さなお客様がふたり、来ていましたが、
「にじ!きらきら!」と言いながら、
二人して一生懸命 床から拾い集めては、小さな手で握って、
わたしに手渡してくれました。
たくさん たくさんの虹のかけらをひろってくれて、
私の掌は 虹でいっぱいになりました!

雨の日の、
素敵な贈り物でした。
ありがとう。
[PR]
by patofsilverbush | 2014-06-10 08:44 | 生活 | Trackback | Comments(0)

雨の日の必需品

午前中、外出。
かなり強く雨が降っていましたが、色彩を無くしたような風景の中、
駅までの道で
あまりにも鮮やかな花の共演に、思わず携帯でパチリ。

d0314849_14192712.jpg
d0314849_14194271.jpgd0314849_14195539.jpg

小さく可憐で愛らしい春の花ではなく、
これから夏に向かう、強い日差しにも負けない、あでやかで大ぶりの夏の花。

駅までは、畑の横の細い道を通っていくのが好きなのですが、
先日、夜勤明けのパートナー氏と外出先の駅で待ち合わせて、一緒に帰宅した際、
「これは猫の通り道だね!」と言われました。
住宅地の隙間を通って 路地をわがもの顔にあるく猫。
だって住宅地なんてつまらないもの!

さて、免許を持たないわたしの、雨の日の必需品は、
なんといっても長靴です。

幼稚園に入園する際、
息子には、なるべく自分の足で歩くのを厭わない子になってほしかったので
徒歩15分の道を 毎日 歩いて送り迎えすることに。
そのときに買ったハンターの長靴を、今も愛用しています。

買うときは意を決した、お財布事情に見合わないお値段だったのですが、
これはもう後悔なし!買ってよかった よいお買物となりました。
今はレインシーズンともなれば、いろいろとお洒落な長靴がそろっていますが、
当時はあまり種類もなかったし、
長靴といえば、靴底がうすっぺらく、
裸足で冷たい雨の中を歩くような感覚を持っていましたが(わたしだけ?)
ハンターの靴底のふかふか加減にびっくりしたものでした。

長靴のおかげで、
雨の日の外出の憂鬱が8割減したところで、
今日はさらに憂鬱を吹き飛ばすアイテムを投入してみました。


『暮らしの手帖』初夏の号を読んでいたら、
原 由美子さんがエッセイでレインコートについて書かれてたのです。
レインコートと聞いてまずイメージするのは、ナイロンなど濡れてもいい素材ですが、
『素材は綿。日本の雨の季節は蒸し暑いので、ナイロンは避けます』
と原さんは書いています。
『まず持っている(トレンチコートなどの)その一着を、仕事着にもカジュアルにも雨の日に
自分らしく着こなす工夫をしてみると、得るものが多いのではないでしょうか』

そうか、手持ちのトレンチやスプリングコートを、雨の日にも着てみればいいのか!
コットン素材のものを雨の日にレインコートとして羽織る、
なんて思いつきもしなかったので、目からウロコ。
そういえば、こなれたファッションが小粋なパリジェンヌも、
おろしたてのパリッとしたトレンチを、わざわざ雨で数回濡らすと何かで読んだっけ~(ほんとか?)

さっそくライナーを外したスプリングコートを着て 外出しました。

ひざ丈のコートと、
ひざ下まである長靴。
中の衣服や足もとが濡れることもなく、
雨から守られている!という安心感とともに、快適に帰宅できました。
大好きだけれど、着るシーズンは意外と短いスプリングコート、
これからの雨のシーズンに、出番が増えそうです♪
[PR]
by patofsilverbush | 2014-06-06 14:55 | 生活 | Trackback | Comments(0)

雨はいちんち めがねをかけて

おはようございます。
いよいよ雨の季節に入ってしまいましたね。
   

  

      地平線をたどって
      一列の楽隊が ぐずぐず していた
      そのために
      三日も続いて雨降りだ


というのは、尾形亀之助の詩。
昨日から週末にかけて、雨や曇りが続くようです。


今日もお弁当。
焼き肉のっけご飯。
黄色いのは栗のようにほくほく美味しいじゃがいも、インカのめざめの煮っころがし。
だいこんのピクルス。すきまにブロッコリ。
シスターに頂いた、ふきとおかかの佃煮ものせて。
本日もあるもの弁当です。


庭はホタルブクロの花でいっぱい。


ゆううつな空ですが、
グレイの空に似合う色合いの服を、楽しんでみるのも、また楽しいかもしれません。
柔らかなピンク? 目が覚めるようなグリーンやブルー?
きりっとした赤も素敵。
わたしはブルーグレイの、マリメッコのワンピースをチョイスしてみました。
短い丈ですが、
いろんなフルーツが 黒や、淡い灰色や白、ペパーミント・グリーンで、
ぎっしり描かれています。
シックな色合いだけれど、ちょっと楽しいワンピース。


今日もよい一日をお過ごしください。


d0314849_9103069.jpg






d0314849_910446.jpg

[PR]
by patofsilverbush | 2014-06-06 09:21 | 生活 | Trackback | Comments(0)

お弁当

今日はパートナー氏が日勤なので、
お弁当を作るついでに、自分のお昼もお弁当箱につめてしまいました。

我が家は日勤・夜勤のシフト制なので、お昼ごはん時にパートナー氏がいることも多く、
お昼を一人で食べることは 時々しかないのですが、
今日みたいに確実に一人で食べる日は、
お弁当を作ったり、おにぎりを作ったりすることもあります。
そうすると、お昼ご飯が格段に楽チンなの!

たとえば集中して刺繍の作業をしているとき。
庭仕事でくたくた~というとき。
午前中、外出して、おなかぺこぺこで帰ってきたとき。

ああ、お昼は作ってあるんだった!
と思いだしたときの、あの安ど感といったら!

息子の幼稚園は毎日 お弁当でした。
入園する前は、 え、大変そう、大丈夫かな、わたし・・・
と かなり不安ではありましたが、
通い始めてしまえばなんということもなく、
可愛いお弁当を作ることもなく(笑)、
毎日のことなので、ちっちゃなお弁当箱に残り物を詰めただけの、
日々の食事のお皿が、箱になっただけというお弁当生活でした。

おかげで今では 「お弁当!何を入れよう~」と気負うことなく、
堂々の「あるもの詰め合わせ弁当」を持って、気軽に出かけられるようになりました。

だってね、外で食べるお弁当ときたら、もうそれだけで美味しいじゃないですか?
特別なものが入っていなくたって、ダイジョウブなのです。
(と、わたしは思うのですが、食べているパートナー氏がどう思っているかはワカリマセン)

うふふ、今日のお昼は お弁当。
中身は知っているのに
(そして今日は、いつもにもまして、たいしたものは入っていないのですが)
このワクワク感!
手作り弁当には、不思議な魅力があるように思えます。
[PR]
by patofsilverbush | 2014-06-05 09:15 | 生活 | Trackback | Comments(0)

できることからね

教会や修道院へ行くと、実にたくさんの署名活動が、日々 行われているのだな!
と気付かされます。
 原発再稼働に反対!とか
 憲法第9条と、それをもとに、こんなにも長い間、国際的に平和を保ってきた日本国民に、
ノーベル平和賞を!とか、
 ○○という病気を難病指定に!とか
 ○○事件の裁判がなんちゃら!とか
内容はさまざまです。

各自の主義主張により、賛同する・しないはもちろん自由ですが、
たとえ原発再稼働反対!と思っていても、なかなか社会運動に参加したりしないので、
小さな意思表示でも させてもらえる機会があるのはありがたいことです。

最近、エシカルファッションが注目されている
というニュースを見ました。
「オーガニック」や「フェアトレード」などのキーワードが挙がっていましたが、
自分がある商品を手に取った時に、
その商品の作り手が
受け取る賃金や、労働条件は、正当なものなのか?
その商品が作られる過程で、
地球環境や作り手に、過剰な負荷はかかっていないのか?
と気にしながら、商品を選びましょう ということです。

オーガニックや自然素材を使って洋服を作っている 日本のメーカーが数社、
集まって作った小冊子を 本屋さんで見かけたことがありますが、
「みなさんがお洋服を選ぶ時、
その中の1着でいいので、
Made in Japanを選んでみてください」
と、小さな文字で書かれていました。
「消費者が 海外で作られる低価格の商品ばかりを求めていると、
日本の技術はどんどん 海外に流出してしまいます。
いずれは日本には 働く場所がなくなってしまいます」 と。

世界で起こる出来事は、一見、自分とは無関係なようでも、
本当は全部 つながっているのだと思います。
今は無関係なようでも、いずれ分かる形でわたしたちのもとにやってくるかもしれない。
仕事をしていないと、社会から置いていかれそう・・・と不安や焦りを抱えている方も多いと聞きますが、
たとえ仕事をしていたとしても、
自分の身近なことにしか興味を持たないのでは、
真の社会参加とは 言えないのかもしれません。

子育てや介護や、病気で 家に閉じこもりがちだったとしても、
世界の出来事に目を向けること、関心を持つことはできるでしょう。
身近な場所も、遠い場所も、
同じ興味を持つことは可能ではないでしょうか。

政治や世界情勢にはちっとも興味はありませんでしたが、
少なくとも こんなふうに思うようになった、
大規模なデモなどに参加するまではいかなくても、
小さな運動に、興味を持って意思表示するようになった、

そんな機会を与えて下さる方々に感謝です。


無関心からは、何も生まれません。
ひとつひとつに、丁寧に目を向けること。
できるのは、そんなことだけ。 ちっちゃなちっちゃなことだけですがね~。
ちょっとだけ、生活の中で、自分ができそうなこと、意識して考えてみたいとおもいます。
[PR]
by patofsilverbush | 2014-06-04 09:45 | 生活 | Trackback | Comments(0)

お知らせ 6月のfree birds

連日、暑い日が続いていますね。
朝起きると 夏の匂いがして、
子供の頃の夏休みを思い出します。

今月のfree birdsの日程です。

9日(月) 
26日(木)

両日とも
・9:45~11:00 ストレッチ
・12:00~     アン読書会

・参加費500円

間にお昼をはさみますので、両方ご参加下さる方は、お手数ですが、
お弁当をご持参ください。 



心をとめてみると、
身体も心も、
気付かないうちに、緊張していたり 縮こまっていたりするものです。
どちらものびやかに解放してみましょう!
[PR]
by patofsilverbush | 2014-06-02 14:36 | 生活 | Trackback | Comments(0)

寄り添うことはむずかしいけれど

きのう、教会で、
福島県にボランティアに行かれた方々の報告を聞く機会にめぐまれました。

浪江町に住まわれていた方たちが暮らす、仮設住宅へのボランティア。
焼き鳥や焼きそば、おにぎりやトン汁の屋台を出し、
シスターたちの合唱や、ボランティアに行かれた方たちによる余興など、
見せていただいたスライドは、ちょっとした地域のお祭りの写真を見るようでした。

ボランティアで被災地を訪れる機会もないままに、震災から3年がたちます。

復興がどんなふうにすすんでいるのか、またはいないのかを、
ニュースで見ることはあっても、
マスコミには出てこない情報と言うものも、あるような気がします。

たとえば、
浪江町は放射線量によってもらえる補償額が、3つの区域にわかれており、
同じ仮設住宅に暮らしていながら、補償額格差があること、
ちょっとびっくりするような多額の補償金をもらった方々も、
よそへ引っ越すと(額の多さに)白い目で見られたりすることもあり、
浪江町出身であるとおおぴらに言えないような空気があること、
それから、なかなか目にすることのないような、その補償額を手にした若者たちが、
お金の使い方で人生を棒に振ってしまうようなことがあること・・・

などは、なかなかニュースでは伝わってきません。

宗教雑誌などでも、ときおり被災者の話を聞く特集が組まれることもありますが、
「福島は安全だ」と叫ぶ人と、
「福島は危険だ」と叫ぶ人の間にたって、
苦しい思いをされている方の記事も、たくさん出ています。

引っ越せば「裏切る気か」と地元の人に白い目で見られ、
とどまれば「子供がいるのに」と白い目で見られ、しているお母さんたちの記事も。

「福島」を、自分の都合のよいような「ユートピア」に作り変えたい支援者もいる、
という記事も読みました。
「被災者らしい、かわいそうな顔をしていないと、とたんに嫌な顔をする支援者もいる」と。
「わたしの知っている福島は、適当に都会で、適当にいなかの、
まあまあ住みよい地方都市でしかなかった。
そんなに自然豊かだと思ったこともなかったのに、
ことさらにそれをアピールされて、福島県民としては当惑している」
と話していた方もいらっしゃいました。
「被災した」という事実にかくされた形で潜在していた、個人が震災前から実は抱えていた問題も、
出始めている、というような記事もあり、
一口に「復興支援」という言葉ではおさまりきれない、
もろもろのできごとがある・・・・
被災してしまったことで生じた「日常」、
あるいは、
あえて言うのならば、
被災したこととは関係ないけれど、被災したことによって生じたと思いたい「日常」
なのだろうと思います。


ボランティアに行かれた方がたが、口をそろえておっしゃっていた、
「本当にこれが役に立っているのか、わからない」
という言葉も、
非常に印象的でした。
「みなさん喜んでくれるけれども、心の穴を埋めることはできない。
行くことで、そして帰っていくことで、
より淋しい思いをさせてしまっているような気もする」

震災直後、茫然自失していたり、物質的に不自由されている方たちのためにしていた手助けとは、
まったく別の何かが、3年たった今、必要なのかもしれません。

心を開放できる場所、
感じていることを、伝えられる場所。

「忘れない」と、震災が起きた日が近づくと マスコミは言いだしますが、
忘れないためには、まず、わたしたち一人一人が、
「知ろうとすること」が大切なのかなと思います。

自分とは無関係なことではない。
ボランティアに行けなくても、知ろうとすることは、誰にでもできることだと、
あらためて感じましたが、
傷ついた人に寄り添うことは、むずかしいことだということも、
あらためて感じています。
[PR]
by patofsilverbush | 2014-06-02 14:26 | 生活 | Trackback | Comments(0)

人生はチョコレートの箱

高校生の時、(たぶん)保健体育の授業で、
「将来の計画表」みたいなものを書かされたのを覚えています。
何歳でどんな職について、何歳で結婚して、何歳で出産して・・・
と、夢や希望?を書いて提出するものでしたが、
当時、
高校を卒業しても、バレエを気がすむまで続けよう
と、非現実的な方向へ進路を定めていたわたしにとっては、
困惑しきりな課題でした。

だってバレエを続けるなら、経済的に進学は無理、
練習優先だから就職も無理、
かといってプロのダンサーになれるほどの才能はないことは、本人 重々承知いたしております・・・
ゆえに、特別な希望も計画もあるわけがなく。
何歳まで続けたら気がすむのかなんて、計画できるわけもなし!

ということで、結局、将来設計なんて立てられませんとだけ書いて、
白紙で提出いたしました(笑)。

なんとまあ、とも思いますが、
実のところ、今でも、人生に「思い通り」や「計画」という言葉はないと思っています。


時々、不妊治療をされている方や、帝王切開で出産した方が抱える心の闇を特集した番組を、
ちらりと見ることがあります。
周りからの偏見の言葉や、何気なく放ったひと言に深く傷ついた経験、
たぶん どんな人にでもあるのではないでしょうか。
わたしにだってあります。
「まだ子供できないの?」という言葉。
友達から送られてくる、子供の写真をつかった年賀状にさえ、気持がゆれることもあったし、
出産してからだって、
「一人っ子なの?かわいそうよ~」という言葉。
「結婚はまだ?」「(帝王切開したから)産みの苦しみを知らないのね」などなどの、
何気ない、悪気もない、あいさつ代わりに口にされる これらの言葉が、
どんなに人を傷つけることか。

もちろんそれは、
「子供がいないと、女としてダメですか?」という気持ちや、
「一人っ子じゃ本当にかわいそうなの?」という気持ちが、
わたしのほうにあったから、傷ついたわけですけれども。

特別 そうしたいわけじゃないけれど
周りに何か言われるのはイヤ

というような気持ちを手放したら、なにか言われてもまったく気にならなくなりました。

そもそも、
子供もそんなに好きではないし。
一人いれば十分だし。
というのが、わたしの本音です(笑)。それを素直にみとめただけ。




その一方、番組に寄せられる当事者の方の意見に、
「自分の思い通りにならない」ことに傷ついている
というものが多いことにも、わたしはちょっと驚かされます。


仕事を優先して生きてきたけれど、自分が計画していた年齢の通りに子供ができない。
思い描いていた出産(家族に見守られながらの自然分娩)ではなく、
急きょ、帝王切開になってしまったことによって、
その後の何もかもにけちをつけたくなる。


わからなくもないけれど、
そんなに、人生が思い通りになると信じていたなんて、すごいなぁと思う。

人生なんて、わからないことだらけです。
信じられないような出来事が、善きにつけ悪しけにつけ、起こることもある。
だからおもしろい!と言えるほど、強い性格ではないのが残念なのですが(笑)、
自分が思っていたよりもずっとずっと素敵なことが、やってくるときもあるでしょう。

とにかく、
より素晴らしくなるために、あらゆるものがやってくる ということだけ信じて、
全力でやってくる出来事に取り組めたらベスト!
取り組んでいるときには 素晴らしくなるだなんて思えない としても、
振り返った時にきっと意味があったと思えるはずだと、
なにも確固たる考えのなかった高校生の時よりは強く、今は思います。


タイトルは、映画「フォレスト・ガンプ」より。
いろんな種類のチョコレートが、きれいに詰められた、わくわくするような箱。
「(チョコレートの)中身は、食べてみるまでわからない」


半分受け身、半分行動的に。

夢や希望や期待も いっぱいありますが、
思い描いていたものがやってこなくても、がっかりすることはないのです。
自分が思っていることなんてちっぽけなこと。
もっと美味しいチョコレートが 箱にはいっぱい入っているのですから。
[PR]
by patofsilverbush | 2014-05-30 09:17 | 生活 | Trackback | Comments(2)

物を作るということ

今年はPTAのソーイング係になったので、
バザー用に、「フェルトで作るマスコット」の試作を始めました。
フェルトなんて触ったのは、小学生以来かな~。なんだか懐かしい素材です。

作ったものを販売することをすすめてくれたのは、ご近所に住む、
ソーイングがとっても上手な方でした。
ご一緒に、手作り作家さんたちのあつまるサークルの催す販売イベントに
数回、出品させていただいていました。
みんなプロ!?と思うほど上手で、物づくりが大好き!な方たちばかりだったのですが、
やはり商売、売れ筋のものと、いわゆる売れ筋でないものとはあり、
とても良心的な金額とはいえ、出品料もかかることですし、
「売れそうなものを、大量に作らないと、赤字になっちゃう!」的な心配が、
なんともわたしには向いていないなぁ・・・
と、一年ほどで、出品するのはやめにしました。

だってそんなことを考えていたら、作るのが楽しくないしね。
それに、ハンドメイドなのに、「売れそうなものをたくさん作る」ことも、
わたし的には好きではなかった。

今は年に2回、知り合いの方がひらかれるガレージセールに出させていただいているわけですが、
こじんまりとした、ご自宅のお店らしく、
のんびりと和気あいあいで、お友達とご一緒にお店を楽しんでいらっしゃる雰囲気が大好きで、
何より、
「好きなものを好きなように作ってok!」というのがね、
作り手としても楽しくて、
それを手にとっていただけたり、そのうえお金を払ってお求めいただけるなんて、
それはもう作り手冥利に尽きるわけです。

というところで、バザー。
こちらもやはり「売れそうなもの」(ポケモンとか、なんとかかんとかのキャラクター的な?)を
考えつつ、作らなくてはいけないわけで、
正直、う~ん・・・というところです。
が、やっぱり仕事ではないのだしね。
自分が楽しく作れそうなものを模索中。
わがままかなぁ。
どうでしょうか。
[PR]
by patofsilverbush | 2014-05-28 08:41 | 生活 | Trackback | Comments(0)

日々のあれこれを綴ります


by anne
プロフィールを見る
画像一覧