カテゴリ:本・映画( 50 )

祝!再放送

今週の水曜日から、
待ってました!『プリンプリン物語』再放送が始まりました✨

わたしと同年代の方、ちょっと年上の方は、
ご存知の方もいらっしゃるかな?
1979年から3年間、NHKで放送されていた人形劇。
放送当時6歳のわたしは、内容はまったく覚えていなくて、
プリンプリンの美しい銀髪の髪型が素敵♡ということしか記憶になかったのだけれど、
人形劇の最高傑作!と言われていたそうで、
再放送が始まる前の特集番組では、その人気の高さをうかがい知ることができました。
今まで夫以外の誰からも「プリンプリン」の話は聞いたことがなかったので、
みんな知らないのかな~
なんて思ってました。びっくり。


当時、録画に使っていたのは高額なオープンリール。
一度しか使わないのはもったいない!と
撮っては消し、撮っては消しと使いまわしていたため、
録画そのものの保存がまったくなかったらしいのですが、
声の出演の方、人形制作者の方、人形操作の方たちなどが
当時 放送したものを、ご自分のために録画していたビデオテープが見つかったことで
めでたく再放送可能となったそうです。
素晴らしい!


何年か前に後半部分だけ、再放送されたことがあり、
毎回15分の番組を、
わたしも夫も、毎日楽しみにしておりました。

お守役のおさるさん・モンキーと共に箱に入れられ、波間に漂っていたところを
漁師に拾われた赤ちゃん。
箱に王冠が入っていたことから、
「どこかの国のプリンセス」ということだけは分かりましたが、
それ以外の手掛かりはまったくありません。
15歳の少女になったプリンプリンは、
友人のボンボン、オサゲ、カセイジン(と呼ばれていますが、火星人ではありません)と共に、
まだ見ぬ祖国を探す、長い旅に出かける、という内容。

以前も書いたような気もするのですが、
大人の目で見返してみると、
世相や国家の在り方に対する風刺や皮肉、示唆に富んだ、
たいへん深い内容です。
「限りなく美しく、この上もなく清らかな、愛に満たされたところ」
それがわたしの故郷だと、プリンプリンは歌いますが、
行く先々、問題を抱えていない国はない。

子供番組らしいというか、それとも、らしくない、というべきか、
けっこうはちゃめちゃな場面も多くて笑えますが、
なにしろ、15分番組なのに、劇中歌が多い!
歌ってるだけで、話の内容がさっぱり先に進まない~なんて時もありますが、
毎日見て、毎日歌をきいているうちに、子どもでもきっと覚えちゃうんだろうな。
そしてその歌が また素晴らしいのです。
我が家にはCDもありますが(笑)
素晴らしい歌詞、珠玉の名曲の数々!
(お金さえあれば幸せになれる~という、
あからさまな欲望に満ちた悪役の歌なんかもあり、かなりインパクトもあります・笑)
本当によく口ずさんでいるので、
実際には『プリンプリン物語』を見たことがない息子も、
歌は知っていたりします。


今回の再放送は、残念ながら毎日ではなくて
毎週水曜日、2話分ずつの放送。
いまだ欠けている回もあるそうですが、
なにしろこれから始まるプリンプリンとの旅が 楽しみです。














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by patofsilverbush | 2017-07-07 08:49 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

『西の魔女が死んだ』

とてもとても久しぶりに、読み返しました。
梨木果歩さんの『西の魔女が死んだ』。
新装版として新刊書コーナーに並んでいた、そのシンプルなたたずまいに惹かれました。

映画化もされた、著者の代表作ともいえる作品。
梨木果歩さん、大好きで、
我が家の本棚にも幾冊もならんでいるのに、この本は、
一度買ったものの、手放してしまった本でした。
初めて読んだのは、いつの頃だったか。

初版の奥付を見ると、1994年4月19日発行とある、
と あとがきに書いてありますが、
わたしが初めて読んだ梨木さんの本は、
2004年の第6版の『春になったら苺を摘みに』なので、
少なくとも2004年以降。
それでもかれこれ、13年前ということになります。
30代になったばかり。
何回か読み返して、それでも手放したのは、
たぶん、主人公・まいの気持ちと、おばあちゃんの気持ちが
自分の中で交錯して、うまく処理できなかったからではないかと思います。


中学へ上がったことをきっかけに、学校へ行かれなくなってしまったまいと、
「魔女」であるおばあちゃんが共に暮らした、1か月ほどの物語。

おばあちゃんの暮らしが、それはそれはもう、わたしの理想通りで、
(映画を観ると、本当にもううっとりして「ここに住みたい」と思うくらい)
お祖母ちゃんの語る死生観も、
もうまったく「その通り、わたしの想像と同じ」だったので、
だからこそ、あるいきさつの末に “西の魔女が死んだ”ことは、
わたしの中で、かなりショッキングでした。
「いつ死んでもいいように、大好きなことは、とにかく今日、伝えよう」
と思う、きっかけになったかもしれない。


おばあちゃんのような暮らし、と
まいがそれを「即座に拒否」したように、
まだまだ外に流されて行こうとする気持ちが交錯した
13年の時を経て、
今回、わたしはもう、まいよりも、おばあちゃん寄りの気持ちで
この本を読みました。
書き下ろされた、おばあちゃんのある1日を描いた短編は、
だから本当に、
「ああ・・・」と思った。
今は、だいぶん、自分の外側のことに目が向いてしまっているなぁ、と。
そんな時期なのかもしれないけれど、
「生活は小さくていい」とある日決めた、そのことから、
少しまた、ぶれが生じている。と。
わたしは、「オールドファッション」な生き方が好きなのだと、
改めて思ったのです。


『ただシンプルに素朴に、真摯に生きる、というだけのことが、
かつてこれほど難しかった時代があっただろうか。
社会は群れとして固まる傾向が強くなり、声の大きなリーダーを求め、
個人として考える真摯さは揶揄され、ときに危険視されて、
異質な存在を排除しようとする動きがますます高まってきた』

という言葉に続いて、
この、静かな、
シンプルかつ素朴、真摯な生活を描いたこの本を、
再び送り出す言葉として、梨木さんはこう、あとがきを締めくくっています。


『私たちは、大きな声を持たずとも、
小さな声で語り合い、伝えていくことができる。
そのことをささやいておいで』
と。


声高に叫ぶことで、かき消される声があること。
声高に叫ぶことで、叫ぶことが目的になってしまうこと。
聞く意思を持たなくなること。
声高に叫ばれることで、自分で考えることを、しなくなること。

そんな世の中で、シンプルに素朴に、真摯に生きていこうとするのは、
確かに難しいことだと感じざるを得ないけれど、
そう、
わたしは、そう生きたいのだとある日思った、
そのことを、今、大切な時に思い出させてくれた再読になりました。

また、心新たに。
新しい週が始まります。
今日も楽しく過ごせますように。
みなさまもよい1日をお過ごしくださいませ。

















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by patofsilverbush | 2017-07-03 10:09 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

海賊もやってきた!

魔女や魔法使いは、子供の頃からいつでも身近にいる存在でしたが、
それと同じくらい、身近な存在だった
ということに気づいて我ながら意外だったのが、海賊です。


初めて出会った海賊と言えば、
わたしも息子も、たぶんフック船長であろうと思われます。
わたしは絵本で、息子は映画で見た、ディズニーの『ピーター・パン』。
ピーターの永遠の敵、悪役の海賊ですね。

今でこそ、男の子は分からんちん・・・と呟く日々を送っていますが
子どもの頃は血の気が多かったようで、
『三銃士』はじめ、冒険活劇物語が大好きでした。
フック船長の次に出会ったのは、『黒い海賊』。
こちらは真っ黒な服に身を包んだ、もと貴族の海賊で、
フック船長とは違い(笑)物語の主人公、
裏切りによって殺された家族の復讐を誓う、孤独で勇敢な海の男であったし、
次にであった海賊は映画『グーニーズ』の“片目のウィリー”。
こちらも、ブービートラップをしかけるユーモアのある、魅力的な海賊でした。
『ツバメ号とアマゾン号』シリーズで“アマゾン海賊”を名乗る、
ブラケット姉妹を加えれば、
私の人生にの傍らには、いつも海賊がいることになります。

ディズニーランドに初めて行ったときから今にいたるまで、
一番好きなアトラクションはカリブの海賊ですし、
わたしの日々の生活にはとんと縁のない、冒険の香りを海から運んでくれるのが、
そんな魅力的な海賊たちなのです。


わたしが『グーニーズ』を観たのと同じ、6年生になった息子が、
やはり去年くらいから『グーニーズ』を楽しむようになり、
最近は『パイレーツ・オブ・カリビアン』に夢中。
息子の人生にも、魔法使いとともに、海賊がやってきたようです。






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by patofsilverbush | 2017-07-02 10:34 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

『イ・サン』

ただいま毎日、夫が見ている韓国ドラマが『イ・サン』。
前にちらっと書いた『トンイ』と同じく、韓国王朝物です。
『トンイ』を見終わったとき、朝鮮王朝最悪女と呼ばれているとかいう、
チャン・オクチョンのあまりの企てっぷりに、
「もう陰謀はいいよ・・・」と思ったのですが
(聡明そうな美人の女優さんが演じていらして、お顔だけでも見ごたえはあったけど)
夫が遅番出勤で出かける、直前の時間帯に放送しているため、
家にいるとついつい、いっしょになって見てしまう
→続きが気になる
というスパイラルに(苦笑)。
どこの世界でも、権力争いと陰謀が渦巻いている、それが王朝(笑)。

『トンイ』は王様を支える女官トンイが主人公でしたが、
『イ・サン』の主人公は、
父である世子(セジャ・王の跡を継ぐもの)を無実の罪で殺され、
自身も、幾度も暗殺の危機にさらされながら王に即位した、
トンイのひ孫にあたるイ・サンです。

民を慈しみ、
欲にまみれた重臣たちが、民から搾取する世を変えたいと奮闘するサン。
現行の制度を改革すること、
そのたびに巻き起こる重臣らの反発。
反対勢力を、権力を使って一掃すればいいと思う部下に対し、
「わたしが目指すのは、多くの意見が調和する世なのだ」
と サンは説いて聞かせます。

「自分に都合のいい者だけを集めた世ではなく、
賛成するもの・反対するもの、あらゆる意見を集約して、
調和をはかることこそが大事なのだ」と。
どこかの国のトップリーダーを名乗る方々に、聞かせたいようなセリフですが、
その人たちは自分の保身や、権力を振りかざすことに汲々としている
重臣たちのほうに似ていますね。


暗殺計画や、クーデター計画を幾度も企てる者たちを、
個人的には「許すまじ!復讐してやりたい」という怒りを、心のうちに覚えるサンですが、
一個人ではない、王である立場を考えれば、
自らの言動は慎重に律しなければなりません。
そんなサンが、幾度、寛大な心を見せても、
自分の保身や欲ばかりを考える人々は、自らが犯した罪について、
なんら反省の色を見せないどころか、ますますサンに反発を強めるのです。
さあ、サンは自らの良心に従った改革を、どのように進めてゆくのでしょうか。

そんな『イ・サン』を毎日見ていると、
ふと、
いったい、他人の罪を幾度許せばいいのでしょう?
とイエス様に聞いた聖書の中の人を思い出しました。

他人の罪を幾度許すか。
というと、それこそ陰謀や窃盗や殺人など、いわゆる刑法にひっかかりそうな
重い罪を想像しますが、
「もう~!何回言ってもやらないんだから!」とか
「またですか?」と言いたくなるようなことって、
日常の中で 実はたくさんありますよね。

毎回、同じことで悩んでいますが、
「誰かのためにやってあげよう」という、義侠心から何かした結果が、
わたしにとっては あまり愉快なものではなく終わった、
のに、
相手に同じようなことを求められると、
つい親切心というか、そういうものが芽生えて、
またやってあげようかなと思う
→結果は結局のところ、あまりわたしは愉快なことにならない
というばからしいことを、幾度か繰り返してしまった後で、
ばかばかしいからもうやめた!と思ったりする。
「こうしてほしい」と言われて、したあげくに、さほど感謝もされず、
時には馬鹿を見るようなことになるのだけれど、
自分がバカを見るくらいのことなら、幾度でもやってあげればいいことなのか、
人の欲求や要求なんて無視してしまえばいいのか、
毎度毎度、ちょっと悩むんですよね。


イエス様のお答えは、「7の70倍」つまり、何度でも許しなさい。
なかなかに高すぎるハードルです!


おこった出来事そのものは、些細なことであれば たぶん、
時がたてば忘れてしまうことのほうが多い。
でも その時感じたことって、小さなことでもなかなか
「なにもなかった」かのようには思えないもので。

要求してくる相手に対し、
「自分がどう受け止めるのか」
「自分がそれに対し、どういう態度で臨むのか」
サンの戦いを見ながら、
自分の在り方について、ちょっと考えたりします。


自分のできることで、お役に立てたり、喜んでもらえたら嬉しいなと思うけれど、
自分のできる範囲や OK!と思える範囲があまりに狭いという壁に
ぶつかっているわけですな(^^;)










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by patofsilverbush | 2017-06-04 10:32 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

一足お先に

暑い週末ですね。
朝、ベランダで洗濯物を干していても、夏の朝の匂いがします。
湿度が低いのがこれ幸いですが、こう暑いとなんとなく気怠く、
昼食後など眠たくなってしまいます。
きのうは暑い二階で洗濯物をたたんだ後、
床に寝ころんで、のんびり読書。
窓から入る風が南国のようで心地よく、
久しぶりに、少年少女世界文学全集に入っている、
小川未明の「月夜とめがね」を読みました。

世界文学全集だけあって 子どもの頃は外国の物語ばかり読んでいたので、
“現代日本童話” ばかりを集めたこの一冊は、あまり手に取ったことがありませんでした。
子供のころ読んだ小川未明は、
美しくも なんとなく淋しく、ほの暗くて、
印象深くはあるけれど、「好き」とは言い難い、独特の雰囲気がありましたが、
(やはり強烈なのは、「赤いろうそくと人魚」でしょうか)
今読むと味わい深く、
なにより、そのゆったりしたテンポというか、
静かな、やさしい時の流れがとても心地よく感じられます。
一時間が、ちゃんと一時間の速さで流れている感じ。


さて、そばに息子がいたので、
その一冊にたくさん入っている童話の中から
おもしろそうなものを音読してみたのですが、
(読み聞かせる、というよりも、わたしのはいつも、
自分が声に出して読みたいものを、唐突に読み始める、という感じなのですが(^^;
意外なほどおもしろくて、夜になって再度 息子に「読んで」と言われたのが、
千葉省三の「とらちゃんの日記」。
なんというストーリーもない、
“尋常小学校6年生くらいの”とらちゃんが書いた、
数ページの夏休みの日記。
お友達とけんかしてケガさせてしまったり、
そのことでお父さんに怒られて、謝りにも行きづらく家にも帰れず、
一晩野宿してしまったり、
無事に仲直りしたあとはもっと仲良くなったり、
東京から療養にやってきたおぼっちゃんと友達になったり。
そんな他愛もない事柄が、とらちゃんの思った通り、栃木弁で書いてあって、
読んでいても楽しく、
きっと聞いていても楽しかったのだろうと思います。


旅行や映画やライブやテーマパークへ行った、なんてこともない、
特別な出来事なんて何もない、子供の頃の夏休み。

わたしが子供の頃は、夏はバレエのシーズン?でしたので、
発表会や何かの公演や、そのための練習が、
いちばん夏休みの思い出に残っているのですが、
それでも、このとらちゃんの夏休みは、
きのうののんびりした暑い空気とあいまって、
子どもの頃の「特別なことが何もない」「けど、なんだか楽しいような」
気がした、果てしのないような夏休みを 思い出させてくれました。


まあ、まだ夏休みには間がありますが、
ちょっとだけ、お先に夏休みの気分を感じることができた、
小さなお話でした。






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by patofsilverbush | 2017-05-21 11:17 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

『トンイ』

我が家で韓流ドラマを見るのは、わたしではなく夫です。
いわく、「日本のドラマはドラマチックな展開になってくると
ハラハラ・どきどきして “わぁ、見てられない!” となるけれど、
韓流は外国の話だから、自分と無関係に見ていられる」 とのこと。

彼につきあっていると、負けていたのに逆転して勝ちました~✨
という 野球のオイシイ試合も見逃してしまう可能性があるため、
どんなにドキドキする場面でも、わたしは頑としてチャンネルは変えません(笑)。

さて、そんな韓流ドラマですが、
夫のおつきあいで見始めたわたしも、途中からはまって見続けてしまうことも、
もちろんあります。
楽しいときは笑い、悲しいときは泣く
美味しいものを食べれば笑顔になるし、
日々の、当たり前の幸せを求める姿は、万国共通ですよね。
ひとりも嫌な人が出てこない、日常のネガティブなことを 見ている間だけは忘れていられて、
見た後ハッピーになれるようなドラマを、
というコンセプトで作られたらしい『美男ですね』は、
今でも元気が出ない時に、DVDを見ては、笑って 切なくなって、
がんばろ!と思える素敵なドラマです。

最近、ずっと見ているのが『トンイ』。
歴史ものですが、
賤民として生まれたトンイが、聡明さと誠実さをもって、開かれた道を歩んでいく物語。
正体を知らずに知り合った国王に見初められるものの、
宮廷には権力をめぐる争いが渦巻き、
物語は陰謀につぐ陰謀!
よくもこんな話を見ていられるなぁ?と夫を疑問に思うほど、
毎日ハラハラ・ドキドキの展開なのです。
側室から王妃の座に成り上がろうとする宿敵?に翻弄されつつも、
彼女の陰謀を暴こうと誠意を尽くすトンイが魅力的です。
権力って本当に怖い。
お部屋にじっと座って、どうしたら王妃をその座から引きずりおろせるか、
どうしたら自分が最高の地位に上り詰めることができるのか、
そんな図り事ばかり考えているなんて!
つまりは暇なんだろうなぁ・・・なんて思ったり。


トンイと王様の間には男の子が生れますが、
宿敵である側室との間にも、すでに王子がおり、
世子(跡継ぎ)の座を揺るがすかもしれないその存在に、またもや陰謀を企てる側室。
(これが美人で聡明なんだな。その聡明さを別のことに生かせば・・・)
我が子を守るために、強力な後ろ盾が必要だと判断したトンイは、
賤民であった自分の出自を鑑み、我が子の結婚相手を自分で選ぶことに。
重臣たちがすすめる立派な家柄の娘たちをすべて断り、
トンイが選んだのは、官僚経験すらない、高邁な塾の先生の娘でした。



「わたしが子供に与えたい力とは 世間でいう権力というものとはちがうのです。
奪うのではなく与える力、恥じる力、
そしてなにより、おのれの手にしたものが 取るに足らぬと知る力を、
子どもに与えたいのです」


真に聡明な人の言葉は、清らかで、力強い。


あらゆる陰謀に屈せず、自らは何も欲せず、
すべてを投げ打つことができる。
自分を犠牲にしたと思うことはなく、むしろ清々しい思いで。


そんな『トンイ』も今日で最終回。
凛としたやさしさや、簡素さ、すがすがしさ、
久しぶりに、「清い」ものに触れたなぁという気持ちです。



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by patofsilverbush | 2017-02-13 10:45 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

バック・トゥ・ザ・フューチャー

うそかまことか、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場するビフ・タネンは、
かのトランプさんがモデルだとか?

去年だったか、大統領選挙が まだ野次馬的興味本位で報道されていたとき、
そんな話題を目にしたことを
息子が見ていた『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』で思い出しました。

シリーズ1で、両親の若かりし頃にタイムスリップしてしまった主人公・マーティー。
うっかり自分の母親に出会ってしまったことから、彼女に恋され、
さえない父親と彼女を結婚させるべく、大奮闘したのち、
もといた(未来の)世界へと戻っていきます。
ところが、さらに未来へと旅立った親友の科学者(タイムマシーンの生みの親)ドクが、
未来で大変なことが待ち受けている!!!
と言って、マーティーを呼びに来たことから、
シリーズ2では再び、タイムトラベルをすることに。


さらに続くシリーズ3への布石ともいうべき シリーズ2は、
未来へ、現代へ、さらに再び過去へと、時代があっちこっちへ飛んで忙しい。
息子は訳が分からなくなったようです(笑)。


いつの時代へ行っても、マーティー親子の邪魔をする嫌われ役・ビフ。
シリーズ2でももちろん登場し、悪役っぷりに拍車がかかっているのですが、
「大変なことが起きている」と行った未来は、
2015年。
昨年、「マーティーとドクがやってきた“未来”になった!」と 話題になりましたね。
その2015年でマーティーが行った出来事から、
その後、帰っていった“現代”が、元の世界とは似ても似つかない大変なことになってしまっている。
カジノ王で大富豪となったビフに支配された街は、
荒廃した犯罪都市となっていたのです。


カジノ王の大富豪。
たしかにトランプさんをほうふつとさせる。
2015年でマーティーが不正を働き、会社を首になる、というシーンがあるのですが、
会社の社長から送られてきたファックスにある言葉が
トランプさんの出演していたテレビ番組での決め台詞 「おまえはくびだ!」であるにいたっては、
(社長さんはビフではないものの)
たしかにトランプさんを意識したものであるのかな
と思わずにはいられません。
アメリカ人なら、映画公開時にピンときた、笑えるポイントなのかしら。


ともあれ。
ビフが支配する荒廃した犯罪都市。

マーティーたちがやってきた“未来”が2015年だったことや、
大統領選の結果を考えると、
その後の展開が恐ろしくなってしまう。

去年、映画の中に登場した“未来の様子”が、どのくらい現実になっているのか、
なんて報道をみたけれど、
未来を予見していた映画だった、なんてことに、
ならないでほしいと願うばかりです。








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by patofsilverbush | 2016-11-16 08:53 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

『青い城』のメッセージ

060.gif約束はもううんざり 
      約束とはもうお別れ
わたしを縛り付ける約束、
       楽しみを奪うような約束は もう消えてゆく
大声で叫ぶと 自由になった気分
       今の自分に 堂々と胸がはれる060.gif



ドラマ『glee』の中で歌われていた、ミュージカル『プロミセス・プロミセス』の歌詞が、
今週、私の心にリンゴンリンゴンと響き渡りました。







モンゴメリの短編を、ときどき思い出したようにご紹介していますが、
こちらの『青い城』は、“大人向け”の長編小説です。

モード(・モンゴメリ)の小説は、ほとんどが舞台をプリンス・エドワード島に設定されていますが、
『青い城』の舞台は、カナダ本土にある、マスコウカ地方。
結婚後、島を離れたモードは、ある夏の二週間を、この「有名な夏の行楽地」で過ごしており、

「今まで目にしたどんな土地にも増して 妖精の国の趣があります」

とペンフレンドに書き送っています。


その美しい妖精の国の雰囲気とは程遠く、
五月の、憂鬱な雨降りの朝、醜い寝室から 物語は始まります。


お天気と同じような気分で目覚めたのは、29歳のオールドミス、ヴァランシー・スターリング。
小柄で、やせっぽちで、不器量で、恋人一人いたことがない。
華やかな?一族の者たちから馬鹿にされ、
いつもおどおどと、みんなの気分を損ねないよう暮らす、単調で灰色の毎日。
人生に、何の楽しみもない彼女は、最近、時おり心臓に痛みを感じています。
愛読書であるジョン・フォズターの本の中の、
「恐れは原罪である」
という一文に、勇気を振り絞って
母親にも内緒で医師の診察を受けに行きますが、
結果を伝える直前に、急用ができた医師は、彼女をほったらかして出かけてしまうのです。

医者にさえ、存在を忘れられるほど、取るに足らない存在である自分。
母親の許可も得ないで行動した。母親の機嫌を、損ねるかもしれないリスクを冒して。
ヴァランシーにとっては、そんなことさえも、
「恐れを捨てようとした 勇敢な行為」であったのに、その結末がこれとは。


雨で始まった彼女の誕生日は、こんなふうに暮れていったのですが、
後日、医師から受け取った手紙には、思いがけない言葉が書かれていたのです。

彼女の心臓は狭心症であり、たいそう危険な、致命的な状態にきている。
手の施しようもない段階であり、
細心の注意を払って養生すれば、一年は生きられるだろう。
と。



自分に残された命の、思いがけないほどの短さ!
これまでの自分の人生を振り返ったヴァランシーは、
あることに気がつき、驚きました。
これまでの29年間を、ほとんどすべてのものにおびえていた自分が、死を少しも恐れていないことに。
今まで恐れていたのは、この先も生きていかなければいけないから。
誰かの機嫌を損ねないように。
金持ちのおじを恐れていたのは、ひとりぼっちで迎えることになりそうな老年の、貧困が怖かったから。
母や、一族のものが怖かったのは、一生をその中で暮らしていかなければならなかったから。
自分が折れなければ、平和が保てないと思っていたから。
けれどもう自分は、年取ることも、貧困も 恐れる必要はなくなったのだ。
そう長いこと、生きているわけではないのだから。



これまで受けた、(悪気はないのだけれど)屈辱や嘲笑、
華やかな思い出などひとつもない、人と比較され、劣っていると言われ続けた自分の一生。
母親でさえ、自分を愛していない、
そして自分も、心から誰かを愛してことがないのだと認めたとき、
愛のない人生こそ、空虚で、恐ろしいものだと気づいたヴァランシーは、ひとつの決心をするのです。


「もう他人を喜ばせるために、二度とうそや みせかけのフリはしない。
自分を喜ばせることにしよう。
今までやりたいと思っていたことを全部やるのは無理かもしれないけれど、
やりたくないことは、もう一切しない。
本当のことを言えるってことは、なんてぜいたくなことなんでしょう!」



生まれ変わったように 自由に生きだすヴァランシーの言動と、
おとなしかった彼女の急激な変化にびっくりする一族の者たちのあわてふためく様子が見ものです。


生まれ変わった、というより、
本来の自分として生きることの、なんて自由で気持ちのいいこと!


酔っぱらいの父親を持ち、私生児を生んだという悪評のある、病の旧友の家で
家政婦として住み込みで働いてみたり、
以前から気になる存在であった男性にプロポーズしてみたり。

余命いくばくもない身であることを打ち明けて、
ほんの短い間だから 結婚してほしいという彼女のプロポーズを受けてくれた、
これまた世間では悪評のあるバーニー・スネイス。
同情から結婚してくれたとわかっていても、
ヴァランシーは、
自分が「誰かを愛する」という喜びに満たされ、
妖精の国ような美しいマスコウカの森の中で、幸せな結婚生活を過ごし始めます。




モンゴメリの、他の本も読んでみたいという方に、
この本をお貸ししたことがありましたが、
「予定調和なラブストーリーですね」という感想をいただきました。


まあ、一見そうかもしれない。
2人はどうなるのか、ヴァランシーはいつ死ぬのか?
その後の展開と ラストは、モンゴメリらしく、
現代の二転三転する「予想外の結末!!!」というストーリー展開に踊らされるわたしたちにとっては、
予定調和以外のの何物でも、ないかもしれません。
何も恐れていな人にとっても。
自分が、何かを恐れていることに、気づかない人にとっても。




けれどストーリー展開や、結末よりも心を打つのは、
誰から、どう見られようと、自分らしくあることの大切さと、
愛のない人生は空虚だということです。
幸福はそこにしかないということ。
このメッセージも、実にモンゴメリらしいのだけれど。



「アメリカでは “ナイス” でいることを何よりも優先します。
常に“ナイス”でいれば人生はなにかと楽ですが、スタイルを築くうえでは地獄と同じです」

と、ファッション評論家のティム・ガンが書いていますが、
これはファッションのことだけを言っているのではなく、
生きていくことそのもの、自分のスタイル(自分なりの、美しい型)すべてについての真実だと思います。

「あなたが属する世間には、夫、妻、恋人、母親、子ども、同僚、クラスメート、
そして通りですれ違う人々などがいますが、あなたは彼らの承認を得るために
生きているわけではないはずです」



わたしは時々、そのことを忘れてしまう傾向があるのですが
といって、常に心から人のために尽くしたいと願っているわけじゃない。
それは 心に恐れがある時なのです。



「恐れることはない」
という言葉は、聖書の中で主や、み使いが人間の前に現れる時、必ず口にするおなじみの言葉ですが、
いつも心に、
この言葉をとめおきたいと思うし、
忘れてしまったとき、こんなふうにわたしにその言葉を思い出させてくれるものを、
かならず主はご用意くださるのです。



060.gifこれからの私の約束は
   喜びや 希望 愛へと導くもの



「プロミセス・プロミセス」の歌詞。
自分の中の、自分への約束。
恐れない心は、喜びや希望、愛へとつながっているのですね!








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by patofsilverbush | 2016-09-06 09:31 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

恐怖~ブーム

2,3年前、
息子のいとこちゃん(女の子)が小学校高学年だったころのこと。
「怖い話 してあげようか」と言っては、
おばあちゃんちに遊びに行くたびに、
息子に、有無を言わさず怖い?話を聞かせてくれた時期がありました。


怖がりで、
自宅の二階でさえ、一人であがれない うちの子なので、
正直、やめていただきたい・・・と秘かに思っていましたが、

その息子がいまや小学校高学年になり、
やってきましたよ、
「怖い話大好き」ブームが!

今でも変わらず怖がりな癖に、
「ママ、怖い話 してあげようか」と。
要らないから(#^ω^)。



自分もそうでしたが、小学校高学年~中学生にかけて、
怖いもの見たさの時期って、確かにありましたよね。
怪談話はもちろんのこと、
超常現象や、謎の怪奇現象に こっくりさん。おまじないの呪文。
中学生の時は、
こっくりさんに似た「ラブラブ天使さま」なる儀式?が流行った時期があり、
女の子はもれなく、「天使さま」に恋のゆくえを伺ったことが、あるはず。
(うちの学校だけなのか?)

大人になると 怖くもなんともなかったり、他愛もない遊びだわ とも思いますが、
まあ、
その手の話をしていると、
その手のエネルギーが寄ってくる、とか、
こっくりさんは狐の霊なので、憑りつかれたら厄介である、とか
いうことも、あるようなので、
おもしろがってやるようなことではないですね、
とも思います。
いずれにしても、得体が知れないものに恐怖するのは、
人間の心の常なので、
同じ人間でありながら、分かり合えず、おかしな理由で人を殺す人がいると思うと、
人間のほうがよっぽど怖い存在です。


息子のいとこちゃんが小学校時代、よく話していた、
「学校の怪談レストラン」
息子も図書室から借りてきました。
やれやれ、こんな本借りてきて、トイレは一人で行かれるのかね(苦笑)
などと思いながら、
何気なく手に取ると、
なに?監修が、松谷みよ子さん、とあるではないですか!
「じゃあ、読んでよし!」とあっさり許可。
そういえば、松谷みよ子さんの『ふたりのイーダ』も、
哀しくも、子供心にはたいへん怖い一冊であったことを、思い出しました。



怖い本を読んで眠れなくなること。
大人になってからは、読む本をかなり限っているため、
あまり覚えのないことなのですが、
昔、会社の先輩に借りた本が それはそれは恐ろしくて、
本当に身の毛のよだつ思いをしたことを、ふと思い出しました。
実のところ 内容はさっぱり覚えていないのですが、
どんな話だったのか、
読み返しても、また恐怖!と思うのか、
ちょっと気になってはいるものの、
本屋で探す気にもなれず、もちろん買う気にもなれず(^^;)。
作者はラヴクラフトというひとだったかと思いますで、
ご興味のある怖い物好きな方は、読んでみてください。
そして感想だけを、教えてくださいませ(笑)。



この夏も、尋常じゃない暑さが待っているかと思うと、
幽霊話で肝を冷やしてみるのも一興かもしれないですね。

森見登美彦さんの『きつねのはなし』は、
内田百閒の『冥途』とともに、
あわあわと恐怖できる、夏の夜におすすめの本です。











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by patofsilverbush | 2016-07-10 14:02 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

『Anne of Avonlea』

先日 本屋さんへ行ったら、
入口のところで洋書のバーゲンをしていました。

デジタルブックを活用される方も たくさんいると思うのですが、
何事もアナログなワタクシ、本もやっぱり、紙媒体が好き。
なんていうか、手触り、雰囲気、外見、
ぱらぱらとめくって、中の活字をさっと目で追いながら、
全体の雰囲気を感じること。
つまり「本」というものが、大好きなのですね。


洋書でも それは同じで、
読めもしないのに 
なんとなく表紙の雰囲気を楽しんだり、しながら眺めていたのですが、
ひときわ目を引く、私好みの表紙を発見。

あら、『アンの青春』だわ(笑)!そりゃあ好みのはずです(笑)。
そして420円!
日本の文庫本より安い!

というわけで、もれなくお買い上げです。
マニアってこわい。

日本語が頭に入っているせいで、
原書で読んでも『赤毛のアン』なら、何も考えずに読めてしまいます。
『アンの青春』も同じこと。
単語なんかわからなくても、一文一文、いちいち意味がわからなくても、
ちゃんと原書で、物語を楽しめる。
大好きって、それだけで世界が広がるのはステキなことです。


日本語で死ぬほど読んで、内容がすっかり頭に入っている、
大好きな物語。
ときどき原書を買って読んでみると、とてもおもしろいですよ。
初めて読むときには、
さっぱりちんぷんかんぷんで、いちいち日本語のページを見比べてみたり、
辞書で単語をいちいち調べたりしてみるけれど、
めんどくさいので 嫌になって途中で放棄。
でも、気が向いたとき、
それが数か月後でも、数年後でも、読み返してみると
前より確実に、意味が分かるようになっていたり、
内容がわかるようになっていたりすると、
ちょっと嬉しい。



もちろん、日本語と違って時間はかかるのですが、
それはそれで、一冊の本を 長く楽しめる。
寝る前の英語読書。
何度も読んだアンですが、やっぱりまだまだ、新鮮に楽しめるのでした。






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by patofsilverbush | 2016-07-04 08:55 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

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