カテゴリ:本・映画( 46 )

一足お先に

暑い週末ですね。
朝、ベランダで洗濯物を干していても、夏の朝の匂いがします。
湿度が低いのがこれ幸いですが、こう暑いとなんとなく気怠く、
昼食後など眠たくなってしまいます。
きのうは暑い二階で洗濯物をたたんだ後、
床に寝ころんで、のんびり読書。
窓から入る風が南国のようで心地よく、
久しぶりに、少年少女世界文学全集に入っている、
小川未明の「月夜とめがね」を読みました。

世界文学全集だけあって 子どもの頃は外国の物語ばかり読んでいたので、
“現代日本童話” ばかりを集めたこの一冊は、あまり手に取ったことがありませんでした。
子供のころ読んだ小川未明は、
美しくも なんとなく淋しく、ほの暗くて、
印象深くはあるけれど、「好き」とは言い難い、独特の雰囲気がありましたが、
(やはり強烈なのは、「赤いろうそくと人魚」でしょうか)
今読むと味わい深く、
なにより、そのゆったりしたテンポというか、
静かな、やさしい時の流れがとても心地よく感じられます。
一時間が、ちゃんと一時間の速さで流れている感じ。


さて、そばに息子がいたので、
その一冊にたくさん入っている童話の中から
おもしろそうなものを音読してみたのですが、
(読み聞かせる、というよりも、わたしのはいつも、
自分が声に出して読みたいものを、唐突に読み始める、という感じなのですが(^^;
意外なほどおもしろくて、夜になって再度 息子に「読んで」と言われたのが、
千葉省三の「とらちゃんの日記」。
なんというストーリーもない、
“尋常小学校6年生くらいの”とらちゃんが書いた、
数ページの夏休みの日記。
お友達とけんかしてケガさせてしまったり、
そのことでお父さんに怒られて、謝りにも行きづらく家にも帰れず、
一晩野宿してしまったり、
無事に仲直りしたあとはもっと仲良くなったり、
東京から療養にやってきたおぼっちゃんと友達になったり。
そんな他愛もない事柄が、とらちゃんの思った通り、栃木弁で書いてあって、
読んでいても楽しく、
きっと聞いていても楽しかったのだろうと思います。


旅行や映画やライブやテーマパークへ行った、なんてこともない、
特別な出来事なんて何もない、子供の頃の夏休み。

わたしが子供の頃は、夏はバレエのシーズン?でしたので、
発表会や何かの公演や、そのための練習が、
いちばん夏休みの思い出に残っているのですが、
それでも、このとらちゃんの夏休みは、
きのうののんびりした暑い空気とあいまって、
子どもの頃の「特別なことが何もない」「けど、なんだか楽しいような」
気がした、果てしのないような夏休みを 思い出させてくれました。


まあ、まだ夏休みには間がありますが、
ちょっとだけ、お先に夏休みの気分を感じることができた、
小さなお話でした。






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by patofsilverbush | 2017-05-21 11:17 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

『トンイ』

我が家で韓流ドラマを見るのは、わたしではなく夫です。
いわく、「日本のドラマはドラマチックな展開になってくると
ハラハラ・どきどきして “わぁ、見てられない!” となるけれど、
韓流は外国の話だから、自分と無関係に見ていられる」 とのこと。

彼につきあっていると、負けていたのに逆転して勝ちました~✨
という 野球のオイシイ試合も見逃してしまう可能性があるため、
どんなにドキドキする場面でも、わたしは頑としてチャンネルは変えません(笑)。

さて、そんな韓流ドラマですが、
夫のおつきあいで見始めたわたしも、途中からはまって見続けてしまうことも、
もちろんあります。
楽しいときは笑い、悲しいときは泣く
美味しいものを食べれば笑顔になるし、
日々の、当たり前の幸せを求める姿は、万国共通ですよね。
ひとりも嫌な人が出てこない、日常のネガティブなことを 見ている間だけは忘れていられて、
見た後ハッピーになれるようなドラマを、
というコンセプトで作られたらしい『美男ですね』は、
今でも元気が出ない時に、DVDを見ては、笑って 切なくなって、
がんばろ!と思える素敵なドラマです。

最近、ずっと見ているのが『トンイ』。
歴史ものですが、
賤民として生まれたトンイが、聡明さと誠実さをもって、開かれた道を歩んでいく物語。
正体を知らずに知り合った国王に見初められるものの、
宮廷には権力をめぐる争いが渦巻き、
物語は陰謀につぐ陰謀!
よくもこんな話を見ていられるなぁ?と夫を疑問に思うほど、
毎日ハラハラ・ドキドキの展開なのです。
側室から王妃の座に成り上がろうとする宿敵?に翻弄されつつも、
彼女の陰謀を暴こうと誠意を尽くすトンイが魅力的です。
権力って本当に怖い。
お部屋にじっと座って、どうしたら王妃をその座から引きずりおろせるか、
どうしたら自分が最高の地位に上り詰めることができるのか、
そんな図り事ばかり考えているなんて!
つまりは暇なんだろうなぁ・・・なんて思ったり。


トンイと王様の間には男の子が生れますが、
宿敵である側室との間にも、すでに王子がおり、
世子(跡継ぎ)の座を揺るがすかもしれないその存在に、またもや陰謀を企てる側室。
(これが美人で聡明なんだな。その聡明さを別のことに生かせば・・・)
我が子を守るために、強力な後ろ盾が必要だと判断したトンイは、
賤民であった自分の出自を鑑み、我が子の結婚相手を自分で選ぶことに。
重臣たちがすすめる立派な家柄の娘たちをすべて断り、
トンイが選んだのは、官僚経験すらない、高邁な塾の先生の娘でした。



「わたしが子供に与えたい力とは 世間でいう権力というものとはちがうのです。
奪うのではなく与える力、恥じる力、
そしてなにより、おのれの手にしたものが 取るに足らぬと知る力を、
子どもに与えたいのです」


真に聡明な人の言葉は、清らかで、力強い。


あらゆる陰謀に屈せず、自らは何も欲せず、
すべてを投げ打つことができる。
自分を犠牲にしたと思うことはなく、むしろ清々しい思いで。


そんな『トンイ』も今日で最終回。
凛としたやさしさや、簡素さ、すがすがしさ、
久しぶりに、「清い」ものに触れたなぁという気持ちです。



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by patofsilverbush | 2017-02-13 10:45 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

バック・トゥ・ザ・フューチャー

うそかまことか、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場するビフ・タネンは、
かのトランプさんがモデルだとか?

去年だったか、大統領選挙が まだ野次馬的興味本位で報道されていたとき、
そんな話題を目にしたことを
息子が見ていた『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』で思い出しました。

シリーズ1で、両親の若かりし頃にタイムスリップしてしまった主人公・マーティー。
うっかり自分の母親に出会ってしまったことから、彼女に恋され、
さえない父親と彼女を結婚させるべく、大奮闘したのち、
もといた(未来の)世界へと戻っていきます。
ところが、さらに未来へと旅立った親友の科学者(タイムマシーンの生みの親)ドクが、
未来で大変なことが待ち受けている!!!
と言って、マーティーを呼びに来たことから、
シリーズ2では再び、タイムトラベルをすることに。


さらに続くシリーズ3への布石ともいうべき シリーズ2は、
未来へ、現代へ、さらに再び過去へと、時代があっちこっちへ飛んで忙しい。
息子は訳が分からなくなったようです(笑)。


いつの時代へ行っても、マーティー親子の邪魔をする嫌われ役・ビフ。
シリーズ2でももちろん登場し、悪役っぷりに拍車がかかっているのですが、
「大変なことが起きている」と行った未来は、
2015年。
昨年、「マーティーとドクがやってきた“未来”になった!」と 話題になりましたね。
その2015年でマーティーが行った出来事から、
その後、帰っていった“現代”が、元の世界とは似ても似つかない大変なことになってしまっている。
カジノ王で大富豪となったビフに支配された街は、
荒廃した犯罪都市となっていたのです。


カジノ王の大富豪。
たしかにトランプさんをほうふつとさせる。
2015年でマーティーが不正を働き、会社を首になる、というシーンがあるのですが、
会社の社長から送られてきたファックスにある言葉が
トランプさんの出演していたテレビ番組での決め台詞 「おまえはくびだ!」であるにいたっては、
(社長さんはビフではないものの)
たしかにトランプさんを意識したものであるのかな
と思わずにはいられません。
アメリカ人なら、映画公開時にピンときた、笑えるポイントなのかしら。


ともあれ。
ビフが支配する荒廃した犯罪都市。

マーティーたちがやってきた“未来”が2015年だったことや、
大統領選の結果を考えると、
その後の展開が恐ろしくなってしまう。

去年、映画の中に登場した“未来の様子”が、どのくらい現実になっているのか、
なんて報道をみたけれど、
未来を予見していた映画だった、なんてことに、
ならないでほしいと願うばかりです。








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by patofsilverbush | 2016-11-16 08:53 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

『青い城』のメッセージ

060.gif約束はもううんざり 
      約束とはもうお別れ
わたしを縛り付ける約束、
       楽しみを奪うような約束は もう消えてゆく
大声で叫ぶと 自由になった気分
       今の自分に 堂々と胸がはれる060.gif



ドラマ『glee』の中で歌われていた、ミュージカル『プロミセス・プロミセス』の歌詞が、
今週、私の心にリンゴンリンゴンと響き渡りました。







モンゴメリの短編を、ときどき思い出したようにご紹介していますが、
こちらの『青い城』は、“大人向け”の長編小説です。

モード(・モンゴメリ)の小説は、ほとんどが舞台をプリンス・エドワード島に設定されていますが、
『青い城』の舞台は、カナダ本土にある、マスコウカ地方。
結婚後、島を離れたモードは、ある夏の二週間を、この「有名な夏の行楽地」で過ごしており、

「今まで目にしたどんな土地にも増して 妖精の国の趣があります」

とペンフレンドに書き送っています。


その美しい妖精の国の雰囲気とは程遠く、
五月の、憂鬱な雨降りの朝、醜い寝室から 物語は始まります。


お天気と同じような気分で目覚めたのは、29歳のオールドミス、ヴァランシー・スターリング。
小柄で、やせっぽちで、不器量で、恋人一人いたことがない。
華やかな?一族の者たちから馬鹿にされ、
いつもおどおどと、みんなの気分を損ねないよう暮らす、単調で灰色の毎日。
人生に、何の楽しみもない彼女は、最近、時おり心臓に痛みを感じています。
愛読書であるジョン・フォズターの本の中の、
「恐れは原罪である」
という一文に、勇気を振り絞って
母親にも内緒で医師の診察を受けに行きますが、
結果を伝える直前に、急用ができた医師は、彼女をほったらかして出かけてしまうのです。

医者にさえ、存在を忘れられるほど、取るに足らない存在である自分。
母親の許可も得ないで行動した。母親の機嫌を、損ねるかもしれないリスクを冒して。
ヴァランシーにとっては、そんなことさえも、
「恐れを捨てようとした 勇敢な行為」であったのに、その結末がこれとは。


雨で始まった彼女の誕生日は、こんなふうに暮れていったのですが、
後日、医師から受け取った手紙には、思いがけない言葉が書かれていたのです。

彼女の心臓は狭心症であり、たいそう危険な、致命的な状態にきている。
手の施しようもない段階であり、
細心の注意を払って養生すれば、一年は生きられるだろう。
と。



自分に残された命の、思いがけないほどの短さ!
これまでの自分の人生を振り返ったヴァランシーは、
あることに気がつき、驚きました。
これまでの29年間を、ほとんどすべてのものにおびえていた自分が、死を少しも恐れていないことに。
今まで恐れていたのは、この先も生きていかなければいけないから。
誰かの機嫌を損ねないように。
金持ちのおじを恐れていたのは、ひとりぼっちで迎えることになりそうな老年の、貧困が怖かったから。
母や、一族のものが怖かったのは、一生をその中で暮らしていかなければならなかったから。
自分が折れなければ、平和が保てないと思っていたから。
けれどもう自分は、年取ることも、貧困も 恐れる必要はなくなったのだ。
そう長いこと、生きているわけではないのだから。



これまで受けた、(悪気はないのだけれど)屈辱や嘲笑、
華やかな思い出などひとつもない、人と比較され、劣っていると言われ続けた自分の一生。
母親でさえ、自分を愛していない、
そして自分も、心から誰かを愛してことがないのだと認めたとき、
愛のない人生こそ、空虚で、恐ろしいものだと気づいたヴァランシーは、ひとつの決心をするのです。


「もう他人を喜ばせるために、二度とうそや みせかけのフリはしない。
自分を喜ばせることにしよう。
今までやりたいと思っていたことを全部やるのは無理かもしれないけれど、
やりたくないことは、もう一切しない。
本当のことを言えるってことは、なんてぜいたくなことなんでしょう!」



生まれ変わったように 自由に生きだすヴァランシーの言動と、
おとなしかった彼女の急激な変化にびっくりする一族の者たちのあわてふためく様子が見ものです。


生まれ変わった、というより、
本来の自分として生きることの、なんて自由で気持ちのいいこと!


酔っぱらいの父親を持ち、私生児を生んだという悪評のある、病の旧友の家で
家政婦として住み込みで働いてみたり、
以前から気になる存在であった男性にプロポーズしてみたり。

余命いくばくもない身であることを打ち明けて、
ほんの短い間だから 結婚してほしいという彼女のプロポーズを受けてくれた、
これまた世間では悪評のあるバーニー・スネイス。
同情から結婚してくれたとわかっていても、
ヴァランシーは、
自分が「誰かを愛する」という喜びに満たされ、
妖精の国ような美しいマスコウカの森の中で、幸せな結婚生活を過ごし始めます。




モンゴメリの、他の本も読んでみたいという方に、
この本をお貸ししたことがありましたが、
「予定調和なラブストーリーですね」という感想をいただきました。


まあ、一見そうかもしれない。
2人はどうなるのか、ヴァランシーはいつ死ぬのか?
その後の展開と ラストは、モンゴメリらしく、
現代の二転三転する「予想外の結末!!!」というストーリー展開に踊らされるわたしたちにとっては、
予定調和以外のの何物でも、ないかもしれません。
何も恐れていな人にとっても。
自分が、何かを恐れていることに、気づかない人にとっても。




けれどストーリー展開や、結末よりも心を打つのは、
誰から、どう見られようと、自分らしくあることの大切さと、
愛のない人生は空虚だということです。
幸福はそこにしかないということ。
このメッセージも、実にモンゴメリらしいのだけれど。



「アメリカでは “ナイス” でいることを何よりも優先します。
常に“ナイス”でいれば人生はなにかと楽ですが、スタイルを築くうえでは地獄と同じです」

と、ファッション評論家のティム・ガンが書いていますが、
これはファッションのことだけを言っているのではなく、
生きていくことそのもの、自分のスタイル(自分なりの、美しい型)すべてについての真実だと思います。

「あなたが属する世間には、夫、妻、恋人、母親、子ども、同僚、クラスメート、
そして通りですれ違う人々などがいますが、あなたは彼らの承認を得るために
生きているわけではないはずです」



わたしは時々、そのことを忘れてしまう傾向があるのですが
といって、常に心から人のために尽くしたいと願っているわけじゃない。
それは 心に恐れがある時なのです。



「恐れることはない」
という言葉は、聖書の中で主や、み使いが人間の前に現れる時、必ず口にするおなじみの言葉ですが、
いつも心に、
この言葉をとめおきたいと思うし、
忘れてしまったとき、こんなふうにわたしにその言葉を思い出させてくれるものを、
かならず主はご用意くださるのです。



060.gifこれからの私の約束は
   喜びや 希望 愛へと導くもの



「プロミセス・プロミセス」の歌詞。
自分の中の、自分への約束。
恐れない心は、喜びや希望、愛へとつながっているのですね!








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by patofsilverbush | 2016-09-06 09:31 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

恐怖~ブーム

2,3年前、
息子のいとこちゃん(女の子)が小学校高学年だったころのこと。
「怖い話 してあげようか」と言っては、
おばあちゃんちに遊びに行くたびに、
息子に、有無を言わさず怖い?話を聞かせてくれた時期がありました。


怖がりで、
自宅の二階でさえ、一人であがれない うちの子なので、
正直、やめていただきたい・・・と秘かに思っていましたが、

その息子がいまや小学校高学年になり、
やってきましたよ、
「怖い話大好き」ブームが!

今でも変わらず怖がりな癖に、
「ママ、怖い話 してあげようか」と。
要らないから(#^ω^)。



自分もそうでしたが、小学校高学年~中学生にかけて、
怖いもの見たさの時期って、確かにありましたよね。
怪談話はもちろんのこと、
超常現象や、謎の怪奇現象に こっくりさん。おまじないの呪文。
中学生の時は、
こっくりさんに似た「ラブラブ天使さま」なる儀式?が流行った時期があり、
女の子はもれなく、「天使さま」に恋のゆくえを伺ったことが、あるはず。
(うちの学校だけなのか?)

大人になると 怖くもなんともなかったり、他愛もない遊びだわ とも思いますが、
まあ、
その手の話をしていると、
その手のエネルギーが寄ってくる、とか、
こっくりさんは狐の霊なので、憑りつかれたら厄介である、とか
いうことも、あるようなので、
おもしろがってやるようなことではないですね、
とも思います。
いずれにしても、得体が知れないものに恐怖するのは、
人間の心の常なので、
同じ人間でありながら、分かり合えず、おかしな理由で人を殺す人がいると思うと、
人間のほうがよっぽど怖い存在です。


息子のいとこちゃんが小学校時代、よく話していた、
「学校の怪談レストラン」
息子も図書室から借りてきました。
やれやれ、こんな本借りてきて、トイレは一人で行かれるのかね(苦笑)
などと思いながら、
何気なく手に取ると、
なに?監修が、松谷みよ子さん、とあるではないですか!
「じゃあ、読んでよし!」とあっさり許可。
そういえば、松谷みよ子さんの『ふたりのイーダ』も、
哀しくも、子供心にはたいへん怖い一冊であったことを、思い出しました。



怖い本を読んで眠れなくなること。
大人になってからは、読む本をかなり限っているため、
あまり覚えのないことなのですが、
昔、会社の先輩に借りた本が それはそれは恐ろしくて、
本当に身の毛のよだつ思いをしたことを、ふと思い出しました。
実のところ 内容はさっぱり覚えていないのですが、
どんな話だったのか、
読み返しても、また恐怖!と思うのか、
ちょっと気になってはいるものの、
本屋で探す気にもなれず、もちろん買う気にもなれず(^^;)。
作者はラヴクラフトというひとだったかと思いますで、
ご興味のある怖い物好きな方は、読んでみてください。
そして感想だけを、教えてくださいませ(笑)。



この夏も、尋常じゃない暑さが待っているかと思うと、
幽霊話で肝を冷やしてみるのも一興かもしれないですね。

森見登美彦さんの『きつねのはなし』は、
内田百閒の『冥途』とともに、
あわあわと恐怖できる、夏の夜におすすめの本です。











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by patofsilverbush | 2016-07-10 14:02 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

『Anne of Avonlea』

先日 本屋さんへ行ったら、
入口のところで洋書のバーゲンをしていました。

デジタルブックを活用される方も たくさんいると思うのですが、
何事もアナログなワタクシ、本もやっぱり、紙媒体が好き。
なんていうか、手触り、雰囲気、外見、
ぱらぱらとめくって、中の活字をさっと目で追いながら、
全体の雰囲気を感じること。
つまり「本」というものが、大好きなのですね。


洋書でも それは同じで、
読めもしないのに 
なんとなく表紙の雰囲気を楽しんだり、しながら眺めていたのですが、
ひときわ目を引く、私好みの表紙を発見。

あら、『アンの青春』だわ(笑)!そりゃあ好みのはずです(笑)。
そして420円!
日本の文庫本より安い!

というわけで、もれなくお買い上げです。
マニアってこわい。

日本語が頭に入っているせいで、
原書で読んでも『赤毛のアン』なら、何も考えずに読めてしまいます。
『アンの青春』も同じこと。
単語なんかわからなくても、一文一文、いちいち意味がわからなくても、
ちゃんと原書で、物語を楽しめる。
大好きって、それだけで世界が広がるのはステキなことです。


日本語で死ぬほど読んで、内容がすっかり頭に入っている、
大好きな物語。
ときどき原書を買って読んでみると、とてもおもしろいですよ。
初めて読むときには、
さっぱりちんぷんかんぷんで、いちいち日本語のページを見比べてみたり、
辞書で単語をいちいち調べたりしてみるけれど、
めんどくさいので 嫌になって途中で放棄。
でも、気が向いたとき、
それが数か月後でも、数年後でも、読み返してみると
前より確実に、意味が分かるようになっていたり、
内容がわかるようになっていたりすると、
ちょっと嬉しい。



もちろん、日本語と違って時間はかかるのですが、
それはそれで、一冊の本を 長く楽しめる。
寝る前の英語読書。
何度も読んだアンですが、やっぱりまだまだ、新鮮に楽しめるのでした。






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by patofsilverbush | 2016-07-04 08:55 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

『オンネリとアンネリのおうち』

今でこそ、家にいるのが大好きですが、
子供の頃は、大嫌いでした、家庭科(笑)。
刺繍だけは好きでしたが、
お母さんのお手伝いも、怒られてしぶしぶ。
机の上は つねにてんこもり。
整理整頓も苦手・・・というか する気もなかったし、
まあ、およそ だらしない子供でした。息子のことは、ほんとは叱れません(^^;)。
お料理も、結婚するまでほぼ、したことありませんでしたしね。
ま、お嬢さまってことで!!!(うそうそ)


そんなわたしでしたが、
小学校の図書室にあって、大好きだったのが、

『オンネリとアンネリのおうち』
マリヤッタ・クレンニエミ・著 / 渡辺 翠・訳

作者はフィンランドの方です。



ひとりっこの「わたし」アンネリちゃんと、
おおぜいの兄弟姉妹がいるオンネリちゃんは、大親友。
共働きなうえ、別居している両親の家を行ったり来たりしているアンネリと、
兄弟のちょうどまんなかで、上にも下にも入りづらいオンネリは、
どちらも家庭では、自分の居場所がちょっと見つけにくい状況にあります。


ある日、ふたりはバラ横丁で、ぶあつい封筒をひろいます。
「正直なひろいぬしさんにさしあげます」
と書かれた 封筒の中身は、なんとお金!

届けに行った交番のおまわりさんに、
「このお金はきみたちのものだよ」と言われますが、
“もっといいもの”(シールとか、着せ替え人形とか)が入っていると思った二人はがっかり。
もとの場所に返そうと、バラ横丁へ戻ったとき、
3軒並ん家の、まんなかのおうちに「売家」の札が出ているのに気がつきました。

中から出てきたのは、素敵なおばあさん、バラの木夫人。
小さな女の子が大好きだという夫人ですが、
「ひとりぐらしのおばあさんの家をたててください」とお願いした大工さんが、
どうかんちがいしたのか、できあがったのは
「小さな女の子が2人で住むおうち」。
「だから、てきとうなひとに、お売りしようと思ってるのよ」


アンネリとオンネリは、決心します。
拾ったお金で、このおうちを買うわ!


小さな女の子が、2人で住むのにぴったりな、素敵なおうちで、
ふたりの暮らしが始まります・・・・




物語は、こんなふうに、いつも日常から始まるのです。
わくわくしますね!
かわいい、素敵な家を見かけるたびに、
中はどんなかしら?どんなお部屋があるのかな?
と想像するくせのあるわたしの、想像力を申し分なく満足させてくれる、
そんな素敵なおうちのお話です。

(余談ですが、アンが、「パティの家」に住めるようになるくだり、
本当にわくわく・どきどきします!
いまだに、そんなことが現実に起こらないかなぁ~と、秘かに期待してたりして)


子どもって、大人が考えているより、
ずっとずっと「孤独」であることも 多いような気がします。
人は、子供の頃からずっと「自分の居場所」を 探しているものだし
かたや愉快なお隣さん、かたや不愉快なお隣さんに挟まれて、
人それぞれの事情を思いやったり、
毎日の過ごし方は、自分の気持ち次第で、
愉快にもなれば 不愉快にもなるのだとわかったり、
誰にも心を開かずに、お金貯めこんでいても、ハッピーにはなれないと知ったり。
愛があるだけで、人の顔は見違えるように素敵になるんだと思ったり。



子供の頃は、ただわくわく楽しく読んでいただけでしたが、
読み返すと、
もちろん いまだにわくわくもし、
それから、
居場所があるって、生きていく土台なんだな、と思ったりします。



この本、
最近、本屋さんで新装版がでているのを発見。
思いがけない場所で、なつかしい親友に出逢ったみたいに嬉しくなって、
あやうく買ってしまうところでした!(うちに、なつかしいまま、いてくれるのに!)


「子供の心情はそのままで価値あるものなのだ。
子どもは子どもであって、けっして“おとなに成長していく存在”
などというものではない」

と、作者は語ったそうです。

子供の夢は、ときに
大人が介入しない場所で、静かにそっと、育っているもの。
「親」という名目で、大人の目線になにもかも晒してしまおうとするのは、
暴力ですら、ある、
と、この本を読み返すと、なんとなく思ったりします。













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by patofsilverbush | 2016-06-10 10:07 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

『夢が実現した話』

過去を振り返ったとき、
あの時こうしていたら 今頃は・・・
あの道を選んでいたら 今頃は・・・
と思ってみたりすること、時にはあるかもしれませんね。

過去に戻ってやり直すことはできませんが、
未来なら、秘かに思い描いている夢が 叶う日がくるかもしれません。


このモンゴメリの短編も、前回ご紹介した『偶然の一致』と同じく、
映画で言えばコメディー。
ただしロマンチックなところはまったくなく(笑)、
ある日突然、長年の夢が叶ってしまった初老の男性の、
悲喜こもごもが コミカルに描かれています。



本来のおれは、こんな男じゃないんだ!
と いつも心に野心を秘めているアンソニー。
もし機会さえ与えられれば 大冒険家になれる能力があるはずなのに、
こんな田舎の、事件の一つも起こらない村に生まれたばっかりに、
おれのワイルドさ、大胆さを発揮できる場もないときている!

浮浪者の自由さ加減をうらやましがり、
追いはぎになれたら素晴らしいだろうな!
などと、
トム・ソーヤー並みに、素晴らしい追いはぎ生活を空想してみたりする
アンソニーですが、
実際のところは、
誰も知らない自分の豪胆さを胸にたたみ、
やさしく家事上手(だけれど平凡!)な妻クララとともに、
よろずやに強盗がはいったことが 大事件!であるような村で、
平平凡凡な日を送る毎日です。



少年の心を忘れない、などと言えば 聞こえはいいですが、
男の人って 要するに、いくつになってもアホですよね(笑)。


さて、そんなアンソニーですが、
実は若かりし頃から秘かに、村の名士のお嬢さん・キャロラインに思いを寄せ、
身分違いであるとはわきまえながら、
そしてクララという(平凡!だけれど)良き妻がありながら、
60歳を超える今になっても、
秘かに彼女を思い続け、
二人っきりで話ができたら・・・なんて、甘い夢を抱いているのです。


小さな村を離れ、都会の社交界で華々しい注目を浴び、
結婚し、死別し。
そんなキャロラインの動向を、長年、村の新聞でチェックし続けていたアンソニー。
彼女が村に戻ってきていると知り、
一目会いたいものだと 彼女の家の前を通りかかったところ、
急用ができた使用人に、
病気のキャロライン奥さまを一人にしておけない、
家人が戻ってくるまで、自分の代わりに留守番をしていてほしいと頼まれます。

病気とはいえ、彼女とふたりきり!
長い間、崇拝し続けた彼女の眠りを見守るなんて、
これほどロマンチックなことがあろうか!

有頂天で喜びをかみしめるアンソニーの前に現れたのは
短剣を手にし、ねまき姿にごてごてとおしろいを塗りたくった、
乱れた灰色の髪、しわだらけの、
入れ歯もはめていない!年を取ったキャロラインだったのです!


若かりし頃の、夢のように美しい彼女を、
いまだ思い描いていたアンソニーは たいへんなショックを受けます。
さらにひどいことに、
「(頭の?心の?)病気」であるキャロラインに短剣を突き付けられ、
パジャマに着替えさせられたあげく、
そのまま彼女が運転する車に乗せられて、
人でにぎわう街の繁華街を、猛スピードで!信号も無視して!ドライブするはめに・・・!



ワイルドな冒険!
美しいキャロライン!
夢が叶ったはずなのに、半泣きで家に帰りたいと願うアンソニー。
速い車に乗っけられても 急にスピンをかけられても怖くない、
はずの豪胆さはどこへやら。
平穏な幸福に満ちた、素晴らしい日常、
つまらない女だとばかにしていたクララが、どんなに良い妻であったか、
しみじみと思いいたるのでした。


アンソニーの「秘めたる恋心」なんて、とっくに気がついていたクララ。
キャロラインの「病気」がどんなことであるのかも知っていたし、
子供みたいな夢を思い描くアンソニーを、
そっと見守る、大人の女性です。


それにしても、60歳を超してなお、夢があるというのは、
本来、とっても素敵なことですよね。



タイトルだけ見ると、
今でいえば「奇跡のサクセス・ストーリー」みたいな印象なのだけれど、
実際のお話は正反対。
ある種の夢の、おろかしさを語るモンゴメリは、かなりの皮肉屋です。

目の前にある幸せに気づかず、
感謝することなく 心に不満ばかりを募らせてみる、
白日夢みたいな夢は、
たとえ叶ったとしても、
こんなふうに、自分が勝手に思い描いている幸せには、
ならないのかもしれませんが、



いくつになっても叶えたい夢があるというのは 楽しいことです。



わたしにも夢があるけれど、内緒♫
実現のめどすらたちませんが、というより、
そもそも、実現に向けて、計画的に行動しよう!という類のものではないのだけれど、
いつか、こんなふうになったら素敵♡というような、
お気楽な夢です(笑)。


みなさんの夢はどんなことかしら?














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by patofsilverbush | 2016-05-25 09:24 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

『偶然の一致』

もう我慢の限界!もう無理!
と、ある日 感情がバクハツしてしまうこと、ありませんか?


すごく気にしていることや、
それほどでもないけれど、でもなんとなく我慢して黙っていること。
にこにこして、気にしないふりはしているけれど、
本当はすごく傷ついていること。

自分の心の中に、塵のようにたまってゆくモヤモヤが、
我慢の限界を超えてしまうとき、
いつも、この短編の中にある “蓄積的効果” という言葉を思い出し、
憤怒する心を慰めております。


え?何の慰めになるのか、わからない?

「なにか失望することがあると、
“我が人生は 埋もれた希望の墓場だわ” と言って 自分を慰めるの」
というアンに、マリラも問うていますね、
「それの 何が慰めになるんだい?」 って(笑)。
「だって自分が ロマンチックな物語のヒロインになったみたいだもの」
というのが、アンのお答えです。

“蓄積的効果”という言葉は ちっともロマンチックじゃないけれど、
少なくとも、この物語の主人公・シャーロットになった気分には、
なれるというわけ。



40歳の誕生日を迎えたシャーロット。
(あらまぁ、いつの間にか、彼女より年上になってしまったわ!)
独身だけれど、まだまだ綺麗で 40歳には見えないし、
「花や猫や雑誌や」、日記帳にこっそり書き記す 詩作のおかげで、
幸福で 満ち足りた毎日を送っている彼女ですが、
たったひとつ、
「結婚していないこと」ではなく、
「今まで一度も “崇拝者” を持ったことがないこと」だけは、
ひそかに気に病んでいたのです。


100年まえの40歳といえば、ずばり!行き遅れのオールドミス。
アヴォンリーと言う小さな村に生まれ育ったおかげで、
子供の頃から ずっと自分のことを知っている、つもりになっている
近所の人たちに、
「一度も彼氏がいない」ことで憐れまれたり、
あてこすりを言われたりすることに、秘かに傷ついていたシャーロットは、
ある日、
我慢の限界を超え、“蓄積的効果”が発揮されて、
つい、みんなの前で嘘をついてしまいます。

一度だけ、アヴォンリーを離れた旅先で、
素敵な男性に出逢ったのだと。
ちょっとしたことで諍いをして、そのまま別れてしまったけれど、
生涯忘れえぬ恋だったのだと。


「一度も彼氏がいない、かわいそうなオールドミス」から、
「生涯をささげたロマンチックな恋物語のヒロイン」へと 
格上げされたシャーロットは、
みんなに質問され、その場で思いついたままに、
架空の彼氏の名前や、職業などを話してしまいます。
うきうきとヒロイン気分を楽しんでいたシャーロットの耳に、
ある日、とんでもないニュースが飛び込んできます。

自分がてきとうにでっちあげただけの彼氏と、
同性同名、同じ職業の男性が、アヴォンリーの親戚を訪ねてやってきている。
向こうも独身でいるから、きっとあなたのことを、忘れていないのよ・・・


さあ、どうしよう!!
シャーロットは真っ青になります。
相手の、見ず知らずの男性が、怒鳴り込んで来たらどうしよう?
知らないまま、立ち去ってくれたらいい。
向こうは自分を忘れてしまったんだと、
みんながまた 私を憐れむかもしれないけれど、
いきさつを説明して、ウソがばれ、恥をかくよりはずっとまし!


「しかし神は私に対し、別の考えを持っておられた」






子供の頃からずっと好きな、
モンゴメリらしい、先の予測がもしかしてできちゃう!?
ハッピーエンディング。
ついついうっかり、馬鹿なことをしてしまう、
人間の愚かしさや おかしみ、
でも確かに、誰もが持っているネガティブな感情を、
コミカルに描いて見せてくれます。


いろんなことがあって、
日常生活の範囲内ですが、
傷つくこと、憤懣やるかたないこと、気持ちが荒くれてしまうこと、
寂しいこと、泣きたいこと、我慢していること、ありますよね。
人と交わっていれば、楽しいことばかりじゃない。
傷つかない鋼鉄のハートを持っている人は、きっと少ないし、
だからこそ、
人の痛みにも敏感になれもするのだけれど、
タフで鈍感なことと、繊細さのバランスは、けっこう微妙なものがあります。

でも、ハッピーなことも、やっぱりたくさんある。
自分では思いもかけないようなことが起こって、
びっくりするような幸福がやってくる。
そんなことも、確かにあって。


人生の、希望やロマンスや幸福・・・
そんな明るいほうに、自分の気持ちをいつも向けていたいなぁ。
と思うし、
モンゴメリを何度も繰り返して読むのは、
人生の中のシンプルな喜びや楽しさが、たくさん詰まっているから。

愚かしいけど、それも素敵。
滑稽だけれど、愛おしい。
人って、そんなですよね。













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by patofsilverbush | 2016-05-18 13:09 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

『ラヂオの時間』

なんだか 身体も心も ダルイんだよねぇ~
なんにもする気がおきないわぁ~


やさぐれ感満載で 失礼いたしましたが、
こんな気分のときって ありませんか?
本も読みたくないし、
何かを創るって気分でもない、
かといって、見たいテレビ番組があるわけでなし。


大好きで、何度見ても飽きない
『かもめ食堂』『めがね』『マザーウォーター』は
テレビの録画内蔵機能に録画されているので、
わざわざDVDをセットしなくても見られるのですが、
どういうものか、気分が内向きな時には 
見たくならないのです。


そんなときの わたしのお助け映画は
三谷幸喜監督『ラヂオの時間』。

息子も大好きで、何度一緒に見たことか(笑)。
内容も 結末も知っているのに、ついつい真剣に見入ってしまう。




自分の書いたシナリオによる、
ラジオドラマの 生放送を直前に控え、
緊張しながらリハーサルを見守る 
主婦のスズキミヤコさん(鈴木京香さん)。
キャストの素晴らしい演技に見惚れ・・いや、聞き惚れつつも、
気になるのは 
主人公・リツコを演じるかつてのスター女優・千本ノッコ(戸田恵子さん)。
どうやらご機嫌ナナメらしい彼女が 
はてしなく繰り広げるわがままに、
ドラマの内容は時々刻々と変更を余儀なくされ、
生本番中にもかかわらず 変更に次ぐ変更!
「平凡な主婦の、ドラマチックな恋物語」であったミヤコさんのシナリオは、
誰にも行方のわからない、
壮大なスペクタクルドラマへと変貌していくのでした・・・・



どたばたコメディ、というジャンルになるのかもしれないほど、
登場人物がどたばたと走り回り、
ドラマの内容も、わけのわからないどたばた騒ぎに。
けれど、決して
騒々しく、悪ふざけが過ぎて下品!にならないのが、
三谷ドラマの素晴らしいところです。




勝手に変更されていくシナリオを前に 困惑する、
ちょっと弱気なミヤコさんや、
とにかく事なかれ主義なプロデューサー、
とにかくわがままな元スターに、
それに対抗しようと意地を張る相手役、
言葉遣いにうるさいナレーション担当のアナウンサーなどなど、
こんな人、いそうかも。
と思ったりするのに、
こんな展開はありえない(笑)。


個人的に好きなのは、
ノッコのわがままっぷりを腹に据えかねた、相手役の細川俊之さんが、
本番中に、自分の役名を勝手に変えてしゃべってしまうところ。
(しかも“ドナルド・マクドナルド”に!)

こんなわけのわからないことになっちゃって、
いったいドラマのラストはどうなるの!?
と やきもきさせながら、物語は怒涛のクライマックスへと向かいます。



大風呂敷をぶわっと広げまくって、
丁寧にたたんでみせる、手際の良さというか、
おさまりのいい気持ちよさが、
見ているこちらのやさぐれた気分をも、きれいにまとめてくれるのかもしれません。


元気になるとか パワーをもらえるってわけじゃないんだけれど、
あ~よかったね~
と楽しくなれる、極上のエンターテインメントです。


今週もお世話になりました(笑)。
















   

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by patofsilverbush | 2016-05-06 15:20 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

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