カテゴリ:心( 122 )

楽な選択でもいい!

ふだん のんびり暮らしていますが、
時々「さあ、どうする?どうしよう?」と
やる・やらないの選択を迫られる時もあります。
そんなたいした事じゃなくても(笑)、
「お肉とお魚、どっちにしますか?」的な、
小さな選択を繰り返しながら、わたしたちは日常を過ごしているわけですが、
時々は悩ましく、決めかねることも、ありますよね。

出さなきゃいけない書類とか、
これをしないと物事の流れが滞る、という場合は、もちろん
気が向かなくてもしなければならないけれど、
別に何が滞るわけではないというとき、
「やりたくないなら やらない」という選択をしてもいいかな
と、最近、ちょっと思えるようになりました。
やりたくない、ことでも、
やったほうがいい?と、なんだか自分に枷をつけてしまう傾向があるのです。
責任感なのか、いい人ぶりたいだけなのか。
できる範囲でする、の「できる範囲」を、
自分に嘘をついてまで広げてしまうというか。
できるんだけど、本当はやりたくないと思ってることって、ありませんか?
それをしないと、すごく罪悪感があった。
できるんだけど、やらない自分に対して。

そんなに自分に厳しくなくてもいいか、と
今はちょっと思う。


本当に自己管理のできる人からしてみたら、
「十分、甘すぎですっ!」というレベルですが(苦笑)
まあ、自分が苦しいというのは、
せっかく生きている「私の人生」の中で、わたしがかわいそうだな~
なんて。

それでもまだ、迷って決めかねることも もちろんあるけれど、
「やりたくないなら、やめたら?」
と言える親切は、自分のためにしてあげてもいいかな。
そんな選択肢も、あるよ!と提案できるようになって、
だいぶん、気が楽になりました。





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by patofsilverbush | 2017-06-08 13:59 | | Trackback | Comments(0)

余地

息子の幼稚園は、近所にあるものの、
いわゆる認可の大きな幼稚園ではなかったので、
小学校で、同じ幼稚園に通っていた、という子はほとんどいません。
みんな小学校に上がってから友達になりました。

親である私も、だから子供たちのことはほとんど知りません。
息子を学校まで送っていくうちに、お互いに顔を覚えた・覚えてくれた子、
ソーイング活動で学校に行くうちに、「あれが○○(息子)のお母さん」と
覚えてくれた子もいるし、
けっこう子供って、「誰々のお母さん」を知ってるもんだなぁ!とびっくりします。


「しっかりした子なんだな」
「身体は大きいけど、おっとりしてるんだね」
「うちの子と似たようなタイプなのかな」
「活発なんだね」などなど、
息子の話しから、それぞれのお友達の印象を受けるわけですが、
ときどき、主観と客観ということを考えます。

仲のいい、好きなお友達のことを話すときには楽しい気ですが、
相手のいいところや、かっこいいところばかりではなく、
「意外とこんな面もある」ということをぱっと話すときなど、
本人はたぶん無意識だけれど、相手のことを客観的に見ているんだろうなと
感じることもあります。
いいところも、そうでないところもあって、総合して「誰々」。
一緒にいて楽しいときもあれば、今日は一緒に遊びたくないかな、
という日もあって、それがふつうというか。
男の子ならではのさっぱり感なのかなぁ。

一方、ちょっと苦手な子の場合は、
なかなか「いいところ」に目がいかないようで、
そんなときには、主観で話しているのかな?
それとも、それが客観的に見たその子の姿なのかな?
と、相手を知らない、受け手である私は ちょっと考えなければいけない時もある。
うちの子がこういっていたからと言って、
悪いのはうちの子かもしれない、ということも、
往々にしてありますからね。
もしかしたら、息子の言う通りの子なのかもしれないし、
そうでないかもしれない。
と、思う余地は、必要かなと思います。


自分の目線もそうですが、
何事も客観的にとらえるのは難しいことです。
つい、感情的になったり、ある一つのことにしか、目が向かなくなったりする。
視野が狭くなっている。
正面からは見えないけれど、球体には裏側もある、
と思う、心の余地は、ないよりあったほうが、きっと心が緩やかだし、おだやか。









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by patofsilverbush | 2017-06-07 09:26 | | Trackback | Comments(0)

見極められない

なんとなく、もやもやと考え続けている案件が、ここ半年ほどあって。
いつも気にかかってしょうがない、というほどでもないけれど、
ふとした拍子に思い出すと、そのたびに「うーん・・・」と考えを巡らせてしまうこと。
我ながらしつこい!と思うほどなのですが、
なんだか「すっきり!」と理解できなければ、
「解決した!」ともいえないので、気になってしまうんですよね。

そのことに携わるたくさんの人たちそれぞれに、考え方や感情、思惑がある中で、
自分なりにできることはしたつもりでしたが、
もっと別の在り方があったのでは?
わたしがもっと違うアプローチをすればよかったのか?
何か別に、できることがあったのかしら?
と、ちょっと考えてしまう。


ひょっとして、もやもやを感じるわたしの感覚がおかしい?
すごくものごとを自分本位に、閉塞的にとらえてしまっているのかなぁ・・・
と思っていましたが、
ふとした時に、
まったく私の案件とはかかわりのない人々が、
その人たちの場所で、
わたしと同じような感情をもってもやもやしているようだという話を聞いて、
なんだかちょっと安心したのでした。

もちろん、多数派の意見や「ふつうはこう」と大多数の人が考えるあり方が、
常に正しいとは まったく思いませんし、
みんながみんな、物事に対して自己本位で閉塞的な見方をしていることだって
あり得るのですが、

ああ、でも困惑しているのは私だけではないんだな、
と知ったことで、
「人を困惑させるだけのことはある案件」なんだということは、
理解しました。
少なくとも、わたしだけが感じる困惑ではないんだな、と。


ストレートにズバン!とくる出来事なら、たぶん
腹は立っても、それほど困惑はしないのかも。
なんだか嫌な気持ちになる、のだけれど、
自分が何に対してそんな気持ちを抱いたのか、
はっきり言えないので、みんなもやもやしてしまうのかもしれません。
心理学の研究としては面白いのかも?

みんなで集まって その出来事について話し合い、
共感しあった、というわけではないけれど、
なんとなく遠巻きに「そうだよね」と安心し、
わたしが「何とかできる」問題ではないんだなと、そこだけは納得がいったのでした。


自分の問題と、誰かが自分で解決すべき問題は 混在するので、
どこまでが自分の問題であるのか、見極めが難しい。
親切なのか おせっかいなのか、
導きなのか 誘導なのか、
の判断が、難しいのと似ています。
自分がする側であっても、される側であっても。

ひとつだけにとどまらず、
なんとなく身近でそんな話がいくつかあったので書いてみました。






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by patofsilverbush | 2017-05-25 13:02 | | Trackback | Comments(0)

決めるのは自分

子どもと過ごす、こんな時間が至福・・・
と書いたところで、子どもが生まれる前は、
子どもなんて好きじゃない、いや、むしろ嫌いでした。
実際は今でも好きじゃないかも。
生意気そうだし、面倒くさいし、お店やなんかで走り回っている子供を見ると、
やれやれ と思うし、時には注意だってしちゃう、こわいおばちゃんです。
自分の子供がいて、いろんな姿を日々しているから、
よその子のがんばっている姿もかわいいなぁ~がんばれ!と思うこともあるけれど、
幼稚園や学校の先生になりたい♡と思うことは、
絶対ないと思われます(苦笑)。


子どもがいない時は、自分の時間を好きなように使えることが至福でした。
夜遅くまでテレビを見ていても読書してもいいし、
お風呂にず~っと入っていたっていい。
夜になってふらっとご飯を食べに行ったっていいし、
遅くまでふらふらとお買い物だってできる。
ご飯なんてそっちのけで手芸をしていてもいい。


今は子供に関わっているがために、めんどくさいこともたくさんあるし、
自分のしたいことばかり考えてもいられないけれど、
それを楽しもうと思わないことには、
子育てなんてやっていられない、というのが正直な気持ち。
そりゃあ少子化にもなるよね、と思う。
めんどくさいのにキャリアにもならないし、お給料をもらえるわけでもないんだし(笑)。
誰かが「がんばってるね!」と評価してくれるわけでもないんだし。


子どもがやってきたことで、学んだこともたくさんある。
いなかったら知らなかったであろうハッピーなことも、たくさんあります。
でもきっと人それぞれ、「その人に合った、その人に必要なこと・もの」は
それぞれに違った形でちゃんと与えられているんだと思うのです。


子どもがいない時は不幸だったわけでも、
子どもが生まれたから幸福になった、わけでもなく、
もちろん子供が生まれたから不自由だわと思っているわけでもなく、
いつのときも、
そのときの状況をハッピーだと感じられるかは、自分の心次第な部分も大きい。
そして
共感や慰めや理解が心の支えになることはあっても、
自分にしか決められないことでもあります。
同時に、自分だけが決められる、自分で決めていいことでもあります。

なんとなく今、
「ハッピーな状況にあるか」の判断を人にゆだね、
ハッピーじゃない状況を誰かに、どうにかしてもらおうと思うような感じが
あちこちにあるような気がしています。













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by patofsilverbush | 2017-05-24 10:15 | | Trackback | Comments(0)

不思議な贈り物

先日、お友達から素敵なロザリオをいただきました。
数珠玉をいくつも連ねたネックレス状の先に、十字架がついているのがロザリオ。
ネックレスとして使うものかと ずっと思っていましたが(笑)
そしてファッションアイテムとしてネックレスに使っている男性なども、
たまに見かけたりもしますが、
実は数珠と同じく、お祈りに使う道具?です。
珠を繰りながらマリア様の祈りを繰り返すためのもの。
いただいたロザリオはもっと短く、
旅先などに携帯して持ち歩ける形状のものでしたので、
これまたいただきもので、いつもポーチに入っている小さな小さなマリア像と一緒に
持ち歩くことにしようと思いながら、
今はまだ、テーブルの上において嬉しく眺めては、
時おり手に取って そっとにぎってみたりしています。



贈ってくださったお友達は、
時おり、素敵なサプライズの贈り物をくださるのですが、
不思議なことに いつも、わたしが気にかかっているものが
まさに「その時」届くことが多いのです。
不思議な繭の夢を見た・・・数日後に、繭を使った石鹸が届いたり、
ココアが飲みたいなぁ・・・なんて思った翌日、オーガニックのココアが届いたり!
どこかで見ているの?と思うほど、
遠方に住んでいるのにその魔法のようなタイミングに
いつも感激ひとしおなのです。

実は今回のロザリオも。
少し前に、「あ、これ素敵♡」と とあるお店で
ファッションアイテム、ネックレスとしてのロザリオを 
手に取ってながめたばかりだったので、本当にびっくりしました。
嘘みたいだけれど本当の話。

なんとなく、目に見えないけれどつながっているものがあるのかなぁ
と思うと、
わたしのことを思って選んでくださった、その方の時間と共に
しみじみと嬉しく思います。









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by patofsilverbush | 2017-05-18 14:21 | | Trackback | Comments(0)

心のお薬

つい先日、ちょっと気持ちが重たくなることがありました。
起こった出来事そのものは、たいしたことではなかったのだけど、
あ~なんだかなぁ・・・なんて思っただけだった直後から、
しだいしだいに心が重たくなってきて。
もやもやなんてものじゃなく、ずしんと重たい石のような気持。
しまいには頭痛までしてくる始末で、
とりあえず薬を飲んだものの、頭痛薬は、ココロのお薬ではないですもんね。


こんなときには、やっぱりSMAP!
ということで、久しぶりにスマスマ最終回の録画を見ました。
一緒に歌って踊って、あ~やっぱり元気のもとだなぁ♡って(笑)。
解散後も、みんなふつうにテレビに出ているし!中居くんのラジオも聞いてるし!
と思ってはいたのですが、
なんていうか、個人的に中居くんのファンとはいえ、
やっぱりSMAPのエネルギーは違うのですよね。
もう一発で、重たい気持ちを飛ばしてくれました。

あまり薬は飲まない方ですが、

ちょっとエネルギー不足を感じる時や、落ち込んだとき、腹立たしいときにも。
身体のお薬より、心のお薬のほうが重要かつ、必需品です。
自分なりにいくつか持っていると、いいですよね。








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by patofsilverbush | 2017-05-17 08:57 | | Trackback | Comments(0)

生きていてもいい

誕生日の朝は、家族がそれぞれの場所からメールをくれます。
実家の両親や妹たち、夫のお母さん。
あれ?わたし、何歳だっけ?といつも思ってしまうくらい、
年齢って気にしないのだけれど、
40代半ばになった今年も、お祝いしてもらうのは嬉しい44歳です(笑)。
お友達から素敵なプレゼントをいただき(どうもありがとうー♡)
入っていたサシェを引き出しにしまったら、
翌朝、開けたときに尋常ならぬいい香りがして♡
自分でいれたのに、びっくりしたくらいです。


変な話かと思われるかもしれませんが、
いつも「死」ということを隣において生きています。
あ、死にたいと常日頃 思っているということではなくて、
誰にでもやってくる、避けようのない、予定もできない事柄として。
だから割と、「生きる」「死ぬ」ということに対して、淡白なところがあります。
もちろん、病気で余命何日ですよ、とある日言われたら、
きっと頭が真っ白にはなると思うし、
「死」自体に対する恐れはないにしても
(その前の、苦しい・辛い思いとかは最高にイヤですが!)
いざそうなってみたら、きっと心残りや後悔があるんじゃないかなと思います。

なるべく、今日、感じることは今日、感じたいとは思っているけれど。

信仰があることと関係があるかはわかりませんが、
なんとなく昔から、生きにくい「この世」よりも
肉体を持たない精神だけの「向こう側」のほうが、生きるのに楽なような気がしたことは
事実です。
むこうに行きたい、というよりも、
帰りたいなぁという感じでしょうか。
だからあんまり、「浮世の楽しみ」みたいなことに未練がないのかもしれませんね。


毎日ハッピーに、くったくも憂いもほとんどなく過ごせていて、
感謝すると同時に、
いつ「死」がやってきてもいいと思って生きているけれど、
誰かがお祝いしてくれて、大事だと思ってくれる、
ということだけで、それが生きていてもいい理由なんだなぁ
と、近頃、よく思います。
自分は何のために、何をするために生きているのだろう??などと、
しかつめらしく理屈をつけようとしなくても。


日々、大好きな人たちと共に過ごせることに感謝。
いただいている時間を一生懸命に生きようと思います。













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by patofsilverbush | 2017-05-11 09:06 | | Trackback | Comments(0)

いつも神様と共に

『赤毛のアン』が映画化されましたね。
といっても、おそらく見に行くことはないであろうと思うのですが・・・
(だって~、マシュウにひげがないんですよ!?)

幾度も読み返すアンの物語。
わたしにとっては、神さまの愛を描いた物語でもあり、
近年になってますます強く、そう感じるようになってきました。

「アンがやってきたのは、神さまの思し召しだ。
全能の神は わしらにあの子が必要だとご覧になったのだよ」
とマシュウが言うように、中年・初老の独身兄妹のもとへやってきたアン。
処女のままイエス様を授かったマリアを思わせますし、
マシュウの馬車でやってきたアンが 初めてグリーン・ゲイブルズを見たときの
  
  「 家の上では、雲一つない南西の空に
    水晶のようにすきとおった大きな星が、明るくきらめいていた。
    あたかも二人を家へ導き、将来の幸福を約束する光明のように 」

という描写は、当方の三賢者を導いたベツレヘムの星を思わせます。


驚愕の受胎告知をされたマリア様は
「わたしは主のはしため。お言葉通りになりますように」と
その事実を受け入れますが、
マリラのほうは驚愕を驚愕のまま受け止め、
「主の下さったもの」を、わたしには不要です!と送り返そうとするところが、
いかにも人間!で笑えます。
神様の思し召しであることは、いつもあとになってみないとわからない。


アンが完璧な女の子であるわけではないのですが、
「生まれながらに光の子」だと、モンゴメリは書いています。
主のみ心をこの世で体現しようとするわたしたちは、“光の子”であるという、
聖書の言葉で。
お祈りをしたことがない、といって、これまたマリラを驚愕させたアンだけれど、
「お祈りするときはなぜひざまずくの?
わたしなら一人で深い森の中に入っていき、どこまでも青い青い空を見上げて、
ただお祈りを心に感じるわ」
という言葉は、祈りの形(ポーズ)ではなく 本質をついていますし、
「神様がご自分の喜びのためにつくられたような朝」というような、
この世界の美しさに 神の臨在を重ねた歓びの表現も よく見られます。

少女の成長の物語。
少女を育てる二人の成熟の物語。
という枝葉を茂らせて、モンゴメリが描きたかったのは、
「神の愛」ではなかったかと思うのです。
神は人間に試練を与えたり、厳しいまなざしで人を裁き、罰を与える存在ではない。
人間からは遠い存在などではく、
もっと身近におられ、いつでもそばで わたしたちの幸福を望んでおられるのだ。
ということ。
「神様には、いつ、どんな場所でお祈りしてもいいのよ」
(教会へ行くことだけが、祈ることではない)
と娘たちに教えるアンに、
神様と共にいつもある生き方を、わたしも(たぶん子供の頃から)教わってきたように思います。
エピソードを羅列して、物語の表面的な感動だけを描いても、
アンの物語は完成しないような気が、してしまうのです。

何度読んでも新たな発見がある『赤毛のアン』。
最近また読み返しています。







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by patofsilverbush | 2017-04-30 10:36 | | Trackback | Comments(0)

常識的な価値観、は、ときに窮屈

合気道は人と競うことのない武道、というところが好きなのですが、
義父はどうしても空手とごっちゃになるらしくて、
「がんばってオリンピックに」とか「(試合で)優勝したら」と、
それはそれはしょちゅう言っています。
苦労して家族を養ってきたという自負もあるので、
「がんばって目に見える成果を出す」ということが大事みたい。
「子供たちが全員結婚して、どこのうちにも孫が生まれて、
我が家に遊びに来てくれる、こんな幸せなことはない」
と言ってくれるのはいいのですが、
「子供が結婚できないうちだってあるんだから」
「孫ができないうちは不幸だよ」
「こんな幸せになりたかったら、おまえもがんばれ」
と、
結局は他人さまと比べて、自分の基準で幸せ度をはかり、
その基準を人にも押し付けてくるにすぎません。
自分がいかに、人様の幸福を願い、人様に尽くしているかを語ってやまないし、
そんな自分がいかに幸福を築いたかの自慢話のアピールを常にしていないと気がすまない。
とても常識的な幸福の測り方なんだろうと思うのですが、
とてもとても窮屈です。

きのうも、義母が手作りしたかわいいブローチを、息子が「わぁ、すごいね!」と
胸に付けたところ、
「男がこんなものをつけたらダメ!もうはずしてお母さんに渡しなさい」と
声高に言いつのり、
義母が「べつにいいじゃないの」と言っても
「いやいやお母さん、ダメなものはダメなの!男がこんなものをつけるのはダメ!」
と、滑稽なほど大騒ぎするには、笑ってしまいました。

こうあるべき姿、
その結果としての成果。

誰にでもあると思うのだけれど、
価値観の幅はなるべく広げたいとは思います。自分にとっても、周りの人にとっても。

いつもモデルさんのようにお洒落で、インテリア雑誌に登場するような素敵なおうちに住み、
仕事もばりばりしているのにお料理上手で、ホームパーティーなんかもお手の物。
そんな自分とか、
成績優秀、スポーツ万能、正義感が強くて自分の意見もきちんと言えて、
かつ、人の気持ちも考えてあげられる優しさをもつ。
そんなうちの子とか、
いうこととはまったくかけ離れた自分であり、うちの子であるので、
けっこう早い段階で比較をやめましたが(というか、あきらめた、というのが正解か)、
そうでなかったら、けっこう劣等感を刺激されてつらかったかも、
と思うくらい、
なんとなく子供のことを張り合ってくるお母さんというのも、けっこういるもので。

張り合って結果を出すのが、楽しいのかもしれませんね。

脱落してよかったと思う今日この頃です。











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by patofsilverbush | 2017-04-23 15:48 | | Trackback | Comments(0)

引退

長いこと続けてきた何かをやめるときって、
きっと自分の中で「一区切り」がついたときなのでしょう。

子どもの頃から21歳(だったか?)まで続けたバレエをやめたとき、
わたしの中にはものすごく「一区切り」ついた感じがありました。
アスリートみたいに「引退しよう」と思ったわけではなく、
ただ「やめよう」と思ってやめたのですが、
長い間には、やめたい!と思うことは何度もありました。
なんだかもう、バレエが好きなのか、嫌いなのかすら、自分でもよくわからなかった(笑)。
やめたからといって、他に何がしたいこともなかったせいもあり、
母や先生に「続けたら?」と諭され、ついうっかり続けてしまった、
というのが、もしかしたら本音なのかもしれませんが、

舞台が終わった後で
もっとこう踊ればよかった・・・
という悔いは必ず残り、もっと思うように踊りたい!という気持ちも、
やっぱり 確かにあったのです。
それが、ある時の舞台のあと、
きれいさっぱり悔いが残らず。
別に失敗もなく、会心の舞が舞えたわけでもなかったのだけど(笑)
どういうわけか、「ああ、もういいかな~」と思ったのですよね。

その先に、もっと追求できるものがある。
のも、わかっていました。
登ってきた山の途中、見晴らし台にたどり着いて、
ああ、いいながめ!と思う。
まだ先まで道は続いていて、歩き出したらまた険しい山道が続いている。
きっともっと素晴らしい眺めが広がっているのもわかる。
でも、ちょうど区切りがいいし、ここまででもう十分です、と思った。
満喫しました。と思ったのです。


傍から見たら「もったいな」かったり、「まだできるよ」と思われるのかもしれないし、
うん、続けてたら、まだできたと思う。
でも気持ちが続ける方に向かなかった。

やめたあと、ものすごい開放感があって、
「ああ、もうレッスンしなくてもいいんだぁ~」って(笑)。
うまくもなかったし、誰に期待されていたわけでもないのに、
なんだか重圧があったんだなぁと 今にして思います。
失敗しちゃいけないとか、続けなきゃいけない、とか。


誰かの引退会見をあまり見るもないのだけれど、
引退の報道があると、いつもなんとなく「引退」について考えます。










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by patofsilverbush | 2017-04-12 14:46 | | Trackback | Comments(0)

日々のあれこれを綴ります


by anne
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