<   2014年 09月 ( 23 )   > この月の画像一覧

日曜学校(『赤毛のアン』11章・その2)

この記事はブログのファンのみ閲覧できます

[PR]
by patofsilverbush | 2014-09-27 09:18 | ferrbirds赤毛のアン

新しい靴

d0314849_163455.jpg


じゃじゃ~ん!これが“ダルメシアン柄”の靴です!
豹でしょ?(笑)

今週、熱を出して学校を欠席していた息子が、ようやく登校しました。
キンモクセイ香る、素敵な秋晴れ。
新しい靴で外出です♪

ヒョウ柄といえば、アーバンキャットなお洒落さんが履いていそうなイメージだけど、
わたしが履くと、田舎の猫って感じだなぁ(笑)。

夜勤明けのパートナー氏と待ち合わせして、一緒にランチを食べましたが、
靴を眺めつつ、
「なんか、すっごい足取り軽く歩けそうだね~!」
そうでしょう!自分でもそんな気がする!!

色が与える心理作用っておもしろい。

青空と、雲と、黄色のお花のコントラストが鮮やかで、パチリ。
すぐ隣りは造成中で、ショベルカーががんがん働いていましたが、
世界はやっぱり美しい。


d0314849_1654395.jpg

[PR]
by patofsilverbush | 2014-09-26 16:07 | 生活 | Trackback | Comments(0)

宗派 (『赤毛のアン』11章・その1)

夏休みをはさんで ここ数回の『赤毛のアン』クラスは、
第11章・日曜学校の印象  でした。

むかしの児童欧米文学には、よく登場しますね、日曜学校。
日本人の子供にはまったく馴染みのないものだけに、子供の頃は「想像の余地」がありましたっけ!

アン・シリーズには、プロテスタントの宗派がよく出てきます。

キリスト教は大きく分ければ、カトリックとプロテスタントの二つに分けられます。
もともとは、今でいうカトリック(旧教)が、「キリスト教」というものでしたが、
権力や堕落した?生活や道徳観念などに疑問を抱く宗教家たちが、
「それは本来のキリストの教えと反するのではないか」と立ち上がったのが、
清教徒革命などの宗教革命であり、
旧教に対する 新教(プロテスタント)が生まれました。

わ、懐かしい、世界史・・・(笑)。

聖書の言葉をどのように解釈するのかによって、そして民族によっても、
プロテスタントにはさまざまな宗派が生まれました。

当時のプリンス・エドワード島に移住してきたのは、
スコットランド、アイルランド、イングランド、フランスからの人々でしたので、
それぞれの国から、それぞれの宗派を持ちこんで 教会が建てられました。
アンの作者・モードは、スコットランド系の移民ですので、プロテスタントの長老派。
マシュウ・マリラのカスバート兄妹も、アンも、スコットランド系の長老派です。
アン・シリーズによく登場する、その他のプロテスタント宗派にはメソジスト派があります。


本来、キリスト教はキリストを信じ、キリストの姿を通して神を知る人ということですので、
こんなふうに分裂してしまうなんてありえないことです。
現在ではその考えのもと、お互いに対話を持ち、
理解を深めようというような動きも活発化しているようですが、
当時は
宗派が違えば まったく相いれないものであり、
プロテスタントとカトリックの結婚は不可能ですらあったようです。


愛国心や、自国に対する誇り、民族意識の強いスコットランド人の、
強い仲間意識は、
数少ない移住者が 数々の困難に直面した時、
宗教的にも団結して 危機を乗り越えようとする他宗派の人々の気持ちを邪魔するものであった
と私の持っている本には書かれています。

最近の記憶に新しい、スコットランドの独立運動の際にも、
「スコットランド人の9割は、自分のことを“イギリス人”ではなく“スコットランド人”だと言う」
と言っていた人がいましたが、
アン・シリーズにも、
わたしはメソジスト派とは関わりにならない と公言する人、
自分の家がメソジストじゃなく、長老派で嬉しい と自慢する人も登場します。

単一民族(まあ、いわば)である日本人には、なかなか理解しがたい、
民俗意識。
それぞれがプライドや、愛国心を持ち、
どこに住もうと 国に対しての忠誠心を持ち続ける姿は、
日本人の、政治家に扇動されやすいナショナリズムとは全く違うように感じます。
[PR]
by patofsilverbush | 2014-09-25 08:42 | ferrbirds赤毛のアン | Trackback | Comments(0)

煎り玄米

というわけで(前回の流れからね)、
家族や自分が体調を崩して、あまり食欲がないなぁというときには、
よく野菜スープを作ります。

干しシイタケ、長ネギ、たまねぎ、にんじん、おじゃが、ミニトマト、キャベツ・・・
そのとき家にある野菜を、少しずつ、でもたくさん入れて。

脂っこいものは避けたいので、ささみを一緒に入れて、静かにコトコトすると、
チキンの出汁も取れます。
適当なところでささみを取りだしたら、
割く、というよりは、繊維をつぶすように、指でつぶすと、ふわふわの触感になるので、
お肉嫌いの息子でもペロリと食べられ、
身体を作るのに必要なタンパク質も、たっぷり取ることもできます。
(チキンライスに入れると、お肉が入っているのかわからないような感じになります。
触感が欲しい人には物足りないかもしれませんが、子供は食べやすいみたい。)

味付けは塩のみ、というスープですが、
シイタケや野菜、チキンのうま味だけで充分美味しく、
食欲がないときでも、ちゃんと食べてくれるので、
子供が熱を出した時にも安心です。

そこで便利なのが、煎り玄米。

一晩、お水につけた玄米を、水気を切って、フライパンで空煎りします。
表面の水気はもちろん、お米の中の水気まで、しっかり飛ばして、
キツネ色になり、香ばし香りがしてきたらできあがり。
そのまま食べるとポリポリしますが、まだ芯は残っている状態です。

1カップから1カップ半くらい、煎ったものを 瓶にいれてストックしておきます。

玄米ご飯を炊こうと思おうと、ちょっとハードルが高かったりしますが、
これがあると、たとえば白いご飯を炊くときにちょっと混ぜたり、
毎日のお味噌汁に大さじ1杯分いれたりして、
使いたい時に、すぐにちょっとだけ使えて、便利なのです。

栄養ある、ということもそうですが、
やっぱり なんとなく、
エネルギーがありそうな気がしますよね、玄米って。

スープは入るけど、お粥はあまり好きじゃない、という息子のために、
先ほどのスープにも、煎り玄米を大さじ1~2くらい入れて、
お野菜と一緒にことこと煮てしまいます。

お粥ほどたくさんの量はないけれど、細かく切った具と一緒に、穀類も食べられて、
なんとなく元気になれそうな、生命力が高まりそうなメニューだわ!
と、
これは勝手に思っているだけですがね(笑)。


ちなみに、わたしが具合が悪いときは、
パートナー氏がにんにくたっぷりの炒め物とかを、作ってくれます!
ありがたいけれど、そんなときはお茶づけでいっかなぁ・・・(笑)。
パートナー氏曰く、にんにくでパワーをつけてねってことなんだそうですが、
熱が高いときには なかなかね。

風邪にきく薬は無い!ということで、わたしは休養と食べ物で治したいタイプだし、
パートナー氏はすぐに風邪薬を飲ませたがります。
健康に対する考え方、
家族ではあっても、本当にそれぞれですね。
[PR]
by patofsilverbush | 2014-09-24 10:05 | 生活 | Trackback | Comments(0)

どうしてお野菜を食べなきゃいけないの?

・・・と子供に聞かれたら、、みなさんはなんて答えていますか?
栄養があるから?
でも栄養なら、たとえばサプリメントでも取れますよね。
わざわざお野菜を食べるわけは?

という疑問に、先日、本屋さんで立ち読みした本には、こう書かれていました。

“がんばる力”がつくからですよ。


日当たりが悪かったり、逆に日当たり良すぎてカラカラになったり、
水が多かったり、少なかったり
暑かったり、寒かったり・・・
しても、
どんな過酷な状況におかれても、
地面に植えられた植物は、自力で移動することができません。
そこで耐えられなければ 枯れてしまいます。

だから植物は、
どんな状況でも生き抜く力、過酷な状況にも負けないエネルギーや強さを、
持っているのですって。


お野菜を食べるということは、もちろん、「必要な栄養素を取るため」でもあるのですが、
管理・飼育された肉類にはない、
生きる力、生命力、エネルギーを、身体の中に取り入れることでもあるのだそう。

目には見えない、数値にもあらわれない力だけれど、
たとえば具合が悪い時、
お薬の手助けをしてくれるのは、きっと本人の持っている生命力であろうし、
身体の具合だけではなく、
心が折れそうに弱ってしまうときでも、
踏ん張れる力を与えてくれそうな気もします。

栄養のことだけ考えがちな、日々の食事ですが、
身体も心も、 子供には穏やかに育ってほしいなと思うとき、
ただ「食べるものを出す」だけではない、もっとやさしい目線が必要だなぁと
あらためて思いました。
[PR]
by patofsilverbush | 2014-09-24 09:36 | 生活 | Trackback | Comments(0)

同じですね

ところで、お墓参りに行って住職さんや奥様にご挨拶をすると、
いつも必ず 宗教誌というのかな、薄い冊子をいただきます。

私の実家はいわゆる「葬式仏教」ですので、日々、お経を唱えることもなく、
お葬式や法事以外は お寺とは無縁な関係。
わたしは活字中毒なので、頂いた冊子にも一通り目を通しますが、
以前は特別に興味を惹かれることもなく、「ふ~ん」と思うほどのことすらなく、過ごしてきましたが、
キリスト者になってからは、興味深く目を通すようになりました。

先日のお墓参りでも、いつものように冊子をいただきましたが、
お坊さんが書いた「ご本尊さまと 人との関わり」というような記事を読み、
ああ、キリスト教も仏教も、やっぱり根本は同じだなぁと あらためて思いました。


「毎朝毎朝、ご本尊さまに向き合っていると、
あるときはご本尊さまがやさしく微笑み、あるときは厳しいお顔で叱っているような、
そんなふうにご本尊さまが語りかけてきます。
これは私の心持が生み出す幻想にすぎないのかもしれませんが、
ご本尊さまと向き合って、祈りを捧げれば捧げるほど、
ご本尊さまが私に語りかけているにちがいない、と思わずにはいられません。
ただ漠然とご本尊さまに対峙するのと、確かな確信をもって祈るのとでは、
仏さまのお姿もまったく違って見えてきます」


そうそう、そうなんですよね。


「親が子供に、こうあってほしい、ああなってほしいと思うのは、親のエゴにすぎません。
親が子供に注ぐ愛情はとても強く深いものですが、
しょせん 私たちの思慮は仏さまの智慧から見れば浅はかなものです。
こうなれば、ああなれば ということが、
果たして本当に子供のためになっているでしょうか」


と、子育て中の親には耳が痛いことが書かれているのも、おんなじ(笑)。


「毎朝、ご本尊さまにお祈りしていると、ご本尊さまは、私を、
私にとって善かれという方向に導いて下さっているということが、だんだんわかってきます。
しかしそれは必ずしも私自身が望んだ結果になるわけではありません。
その時その時の、私の浅い智慧では どうしようもない絶望も、
仏さまの目から見れば、
希望の母であり、ある日、私はそのことに気づかされます」


「仏さま」も「神さま」も「キリスト」も、またはその他のどんな呼び名であろうとも、
そこに信頼する気持ちに 応えて下さる希望や、愛がある。
真の信心というものは、結局はそのことがすべてなのだと思われます。



妹とお洋服の話をするのと同じくらい、
たとえばシスターと、信仰に関する日常のあれこれを話すのは、
わたしにとっては心躍る、楽しいことです。
デトックスでもあり、チャージでもある。



私には関係ないわ。
という枠を超えて、お互いを理解しようとするとき、人は初めて、
相手も自分と同じものを見ているのだと気がついたり、
異なっているようでなんら変わりはないのだな ということに、気付くのかもしれません。
ついつい狭くなりがちな自分の視野を、広げてくれるのも、
(というか、なかなか広がりはしないのだけれど、少なくとも広げる努力をしてみよう、と思わせてくれるのも)
宗教かもしれないと、
最近 思います。
[PR]
by patofsilverbush | 2014-09-23 10:31 | | Trackback | Comments(0)

気分転換

秋晴れの清々しい(ちょっと暑い)日曜日、
妹と一緒に、祖父母のお墓参りに行ってきました。

春・秋のお彼岸には 3姉妹でお墓参りに行きますが、
何を隠そう、メインは墓参りではなく、
その後のランチやショッピングです(笑)。

結婚したり、子供がいたりで、ふだんはなかなか予定も合わせづらいのですが、
恰好の口実があるのでね♪ これを逃す手はありません!

姉妹でお買い物に行くと、それはそれは楽しい。
遠慮もないし、あれこれ品さだめをしては大笑い。
あまり似ていない3人なので、店員さんは 「すごく遠慮のないお友達!」と思うらしいです。
買おうかどうしようか、迷ったらお茶を飲んで、またお店に戻っては迷ってみたり・・・
なんてことができるのも、お友達ではないからこそ。

江國香織さんはエッセイに、妹さんと「お買い物」している様子をときどき書かれていますが、
ものすごくよくわかります。
姉妹ならではの距離の近さ。

きのうは趣味のまったく異なる妹と、珍しくも同じお店で靴を買いましたが、
「ひょう柄の靴、かわいかったけど、どうしよう~。ふつうに黒い方にしようかなぁ」
と、さんざん言っていた挙句、
お店に戻ったら「ひょう柄」ではなく「ダルメシアン柄」と表記してあったので、
2人ともびっくりして大笑いでした。
だって、黄土色地に黒の斑点ですよ。ひょう柄ですよねぇ?

とまあ、いろんなことに笑った一日、
久しぶりに「ママ」でも「主婦」でもなく、楽しい一日を過ごせました。

いつもありがとう!
そして、子守りをしてくれたパパ達、どうもありがとうございました!
[PR]
by patofsilverbush | 2014-09-22 09:25 | 生活 | Trackback | Comments(0)

ヒーローに叱られたい!?

あまりドラマは見ない方ですが、
今季は『HERO』を 毎回 楽しみに見ています。
木村拓也さん演じる公利生検事の「ヒーロー」っぷりもかっこいいし、
くすりと笑えるコメディタッチなところがね、息子も大好きで、録画したものを繰り返しみています(笑)。

ヒーローといえば、悪い人たちをやっつける、正義の味方!
ということで、
古今東西、戦隊物のヒーローは男の子の憧れですよね。

『HERO』の公利生さんは、ちょっと違う。
武器も暴力も使わないし、「悪いことをした人」たちを、やっつけもしない。

ただ、真摯にその人に向き合おうとしてくれる。

効率やスピードが求められる社会の中で、
「どうでもよいこと」だとみんなが感じる、その人の性格や暮らしぶり、小さな疑問を、
いちいち時間をかけて、丁寧に知ろうとする姿勢は、
事務官の麻木さんの言葉を借りれば、「仕事が遅い」となるわけです。

誰に、どんなふうに言われても、
人と向き合うことだけが真実だという 信念を曲げない強さ。
与えられた権力を振りかざしたり、事実を自分に都合のよいように捻じ曲げたり しない強さ。

偏見や思いこみに縛られることなく、
他人のことを知ろうとするのは、疲れるし、時間もかかることです。


きのうテレビで
「誰かに叱られたい人が増えている」という番組をちょっと見ました。

大人になってまで叱られるのは、わたしはイヤですが(笑)、
うわべだけの共感や、失敗したことをそのままにされるのではなく、
叱られることで、自分が成長したい と感じている人が たくさんいるようでした。

人を叱るのはエネルギーがいります。
叱られるのもイヤだけど、
人がイヤだなぁと思うことを言わなきゃいけないなんて、本当はもっとイヤ。
疲れるし(笑)。
わたしに毎日のように叱られている息子。
一緒にその番組を見ながら、
「そうだよね~、叱られると、イヤなんだけど、なんだかスッキリするんだよね~」と共感!
ええ!?そうなの?
いい子になってくれれば、母は楽ちんなんですけど!!!

「叱られたい」というのは、きっと表面だけのことで、
本当の気持ちは みんな、
もっと真剣に自分と向き合ってほしい、
話を聞いてほしい、
真剣に、自分のことを考えてほしい

思っているんじゃないのかなぁ・・・と、なんとなく感じました。

大人二人で暮らすのと違って、
子供がいると、
笑うこと・叱ること・・・感情の振れ幅が大きくなり、エネルギーも使うようになった。
その分、真剣に小さな子と向き合うことで、
少しずつ、変わっていく自分というものを 感じたりもします。


人との関係が希薄になっている と言われ続けている昨今。
人と関わるのは面倒くさい。
イヤなことを言われて傷ついたり、相手を傷つけたりしたくないから、
当たり障りのないことしか言わない。
表面上、うまくやっていればいい。
というような風潮が続いていたけれど、
それでは人は成長しない
ということに、本当はみんな 気付いているのかもしれません。
[PR]
by patofsilverbush | 2014-09-20 11:08 | 生活 | Trackback | Comments(0)

「神体験」

「神さまの声なんて、本当に聴こえるの?どんなふうに聴こえるの?」
というのは、実に素朴でシンプルな疑問です。

自分にとって良い結果になる何事かが起きた時に、
「ラッキー!」と思うか、
「わ、神さま、ありがとう!」と思うか、人によってそれぞれだと思いますが、
些細なことでも、自分にとってハッピーなことが起きた時に、
ラッキーの向こうに、
いつも見守ってくれる存在がある、そのことに感謝する気持ちがある
ということが、信仰なのかもしれません。

信仰を持つ人はそれぞれに小さな「神体験」を積み重ねて、
その信仰を深めていくのかなと思いますが、
おもしろいもので、
第三者がふつうに話を聞けば、それは「神体験」でもなんでもなくて、
ただの偶然でしょ?と感じる、
それくらいささやかで、
でも、それを体験した人にとっては、とてもとても意味深い、感動的な体験です。


たとえば、息子のことで悩んでいたある日。

シスターのところへ向かう途中、ふと足元をみると、
ちっちゃなトカゲの赤ちゃんが、道端の藪からちょこんと飛び出しているのを見かけました。
茶色いカナヘビは我が家の庭にもたくさんいますが、
きらきら光るトカゲはなかなかお目にかかれないもの。
「あら珍しい!しかも赤ちゃん♡」
と思う一瞬で、赤ちゃんはぴゅっと藪陰に隠れてしまいましたが、
ものの10歩と歩かないうちに、
また足もとに(たぶん別の)トカゲの赤ちゃんが ちょろろん と顔を出して。
「あら、また!?」
と ちょっとびっくりしたのですが、
「ちょっと個性的だけれど、きらきら光るものを持ってる子だよ」
という、神さまからのメッセージだな と思えた、
ほら、こんなささやかなことが、「神体験」なのです(笑)。

ただの偶然、みたいなんだけど、
思い悩むわたしにとっては、神さまからのやさしいメッセージだったわけです。

先々のことに心を煩わして、恐怖すら覚える時、
「怖がらなくてもよい」という、聖書の中の天使の言葉が、
ふと心に湧いてきたり。


「神さまからのメッセージ」なのか、
「自分の勝手な意見を、神さまの名のもとに発信したいだけ」なのか、
とても微妙で 判断に迷う時も たくさんあります。
だから 人は謙虚でいなければならないし、
自分の言動にときどき疑いを持つことも 必要。

そしてそれでも、強く強く 心に響いてくる
小さな小さな言葉や出来事が、「神体験」だわと思うとき、
やさしく大きな愛情とともに、
神さまの奥ゆかしさや、物事を押し付けない謙虚さを 感じるのです。
[PR]
by patofsilverbush | 2014-09-19 14:46 | | Trackback | Comments(0)

サプライズ2!

きのう、午前中のfree birdsで
ストレッチしながら何気なく窓の外に目をやると、
なにやら庭を動くものが!!

茶色い毛が生えた、小さな、いや、大きな?生き物・・・え、ねずみ!?
いやいや、ねずみより、もっと細長いじゃない?

まさかイタチ!?

そう、赤ちゃんよりは大きいけれど、まだ大人と呼ぶには小さいかな、
というサイズの、
(たぶん)イタチでした。

可愛い~♡

しばらくお庭を散策したのち、隣家のお庭に歩いて行きました。

近くに雑木林があるので、たぶんそこからきたものと思われますが、
それにしても、
雉やイタチが遊びに来るなんて、なんというサプライズの多い土地柄なの!
雉の時にも書きましたが、ふつうの住宅街ですよ(笑)。

でもなんだか嬉し~♡
[PR]
by patofsilverbush | 2014-09-19 08:42 | 生活 | Trackback | Comments(0)

日々のあれこれを綴ります


by anne
プロフィールを見る
画像一覧