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メリィクリスマス!

クリスマスの朝早く

サンタクロースの贈り物を 早く見たくて、
まだ暗いのに、寒いのに、
子供たちはベッドから飛び起きたことでしょう!

子供の頃のわたしがそうであったように。

サンタクロースは何を持ってきてくれたかな?

今朝は窓の外に浮かぶ雲が、
朝日で薔薇色になり、とても綺麗でした。

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サンタクロースのそりが 帰っていくように
息子には見えたようです。

一人で暗い階下に降りるのはイヤらしくて、
「ね~ママ、もう起きようよ~。ママにもプレゼントがあるかもしれないよ~」
と、
調子のいいことを並べたてる息子に付き合って、
しぶしぶ、
あたたかなベッドに別れを告げましたが、


クリスマスツリーの下の、小さな箱を見つけ、
欲しかったもの、
とはいえ、
予想外であったプレゼントに
息をのみ、
静かな興奮に満ちてゆく彼の顔を見られたことは、
とても愉快な、楽しいことでした。


どうそみなさまも、
素敵な、楽しいクリスマスをお過ごしください!


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by patofsilverbush | 2014-12-25 09:55 | 生活 | Trackback | Comments(0)

在り方

その人らしい在り方、を思うとき、
わたしはなんとなく、「個性的」ということを思ってしまうのですが、
よく考えてみたら、
ごく自然に どんな場にでも溶け込めて、
違和感がない、
「没個性的」ということも、立派な「その人らしさ」でありますよね。


うちの息子は、特別
「強い個性」があるわけでもないと思うのですが、
たくさんの子がいる学校の教室の中で、素直に「波に乗っかれる」タイプではありません。
反抗しているわけでも、自己主張が強いわけでもないのですが、
どういうわけか、
「みんなと同じペース」「周りと一緒に」というものに、
乗っかれないらしい。
乗っかりたい、乗っからなきゃ、という意識が、そもそもあまりないのかも。

わたしはといえば、
乗っかるのは好きでない、と思いつつも、
乗っかれて、それなりにやっていかれるタイプです。
すべきことは きちんとする方が好きだし
(あ、でも、小学生のころは、そうでもなかったかなぁ)
息子をみていると、
「もう男子!ちゃんとやって!」と
ちびまるこちゃんにでてくる みぎわさんのように言いたくなってしまう。


自分の好きなことは 自分の中だけですませたいので、
パブリックな場所とプライベートな場所とでは、
はっきり自分を区別していたようなところもあり、
いつごろからか そのことを窮屈に感じ始めたような気もします。


「ありのままでいい」と思うとき、
つい「個性」という言葉を使ってしまうのですが、
性格的に、
苦もなくまわりと合わせられる、社交的な方もいらっしゃるわけで。


『若草物語』は4姉妹の物語ですが、
特に
二女のジョーと、末っ子のエイミーは対極的な性格に描かれています。


本の虫で小説家を目指すジョーは、
「女の子」という型にはまるのを極端に嫌悪する女性です。
社交辞令や、うわべだけ調子のよいお付き合いも大嫌い。
だからいらない問題を巻き起こしたり、自分が損をすることも しばしばです。


いっぽうのエイミーは、芸術を愛し、美しいものが大好き。
貧しいながらも 自分で着こなしを工夫して、
美しく装い、
あい対する人に よい印象を与えたい、
本当の意味でも「レディ」になりたいと願います。

やさしく、素直で、物腰のやわらかいエイミーのまわりには たくさん人が集まるし、
苦もなく周りの人たちを幸せにする術を心得ている、
得な性格。


『若草物語』を読む人は、割と性格のはっきりした、
つまり、「個性的」なジョーが好きなのではないかなと思うのですが
(わたしもジョー大好きです)
周りを振り回す、あっと驚かせる、
ある意味で、好き・嫌いがはっきり分かれるような「個性」のないように思えるエイミーの、
このやわらかな在り方もまた、
素敵な個性なんだなぁ・・・
と、最近、思うようになりました。

ジョーに 
生きていくのが楽になるから、
エイミーのように振舞え というのは 無理な話だし。


エイミーに 
芸術家なら ジョーのように破天荒に生きよ、
というのも、これまた無理なお話で。


つまり二人とも、そのままでいい、
と いうことなのです。

たぶんわたしは、長いこと
「ジョーがエイミーのように振舞っている」ような状態だったのだと思います。
(あ、すごく個性が強いわけでも、社交的ないい子なわけでも、ないのですが。)

もちろん、二つの性質は
わたしの中にしっかりあって、
今でも ジョーになったり エイミーになったりしているけれど、
以前よりも 
どちらもそのまま出せるようになってきた今は、とても楽ちんです。

「エイミーがジョーのように振舞う」
というのも同じことですが、
自分の性質と会わないことを、無理にするのは、
やっぱり窮屈なことですよね。





親は子供に、たくさんの期待をかけたり、
こうあってほしい、こうふるまってほしい

いちいち 感じてしまうのですが、
どんな在り方でも、
子供自身が無理をせず、自然のままに振舞えているのなら、
それがつまり、
その人の「在り方」なんですよね。

もっと周りと強調して!と思うこと。
逆に、
もっと個性を出して!と思うこと。


自分が思う「理想的」な型に  子供をはめてしまうことのないように、
日々、
気をつけたいと思います。










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by patofsilverbush | 2014-12-24 14:56 | 子育て | Trackback | Comments(0)

個人的興味ですみませんが

今日は賞金王決定戦 改名グランプリです。

競艇チャンネルに加入しているわけではないので、
全レースをみられるわけもなく(笑)
インターネットで気になる選手をチェックしますが、

なんと!
濱野谷選手がグランプリ・シリーズに優出(優勝決定戦に出場)しているではありませんか!
(賞金王グランプリと、グランプリ・シリーズは、
同じ場で開催していますが、基本的には違うレース?なのです。
賞金王は、単純に獲得賞金の高かった選手たちで争われます。
グランプリ・シリーズは、残念ながらそれには及ばなかったものの、上位陣)

6号艇なので 期待薄ではあるのですが(*賭けません!)、
やっぱり頑張ってほしい!わたしがギャンブラーなら 船券、買います!(*買いません)

濱野谷選手が出る11レースの前の、10レースも、
超豪華メンバー!
10レースから、
優勝戦の11レース、
賞金王の決定する12レース(これが本当の賞金王決定戦)まで、
このあと、わくわくお楽しみで~す。





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by patofsilverbush | 2014-12-23 14:20 | 生活 | Trackback | Comments(0)

12月のおばあさん

アンデルセンの童話に 

『馬車できた12人のおきゃく』

というお話があります。

みしみしいうような寒さの、星が美しい、風ひとつない、
静かなお年とりの晩のこと。
街の門の前に駅馬車がやってきて、12人のお客がおりたちました。
順々に馬車から降りてくる、立派な紳士や陽気な若者、歌姫や姉弟たち・・・
そう、彼らは12の月の精たちなのです。

子供のころから好きなお話で、年末が来ると、毎年なんとなく思い出します。

一月は クマの毛皮の外套を着て、長靴をはいた、立派な紳士。

二月は謝肉祭をもりたてる道化師。

三月はキリストのご受難の月なので、断食節そのもののような 質素な人。
ボタン穴にすみれの花束をさしています。

四月は陽気な若者 エイプリル・フール。

五月は美しい森の歌姫。

六月は若い奥さん。昼間のいちばん長い日に、パーティーをひらきます。

七月はその弟くん。持っている荷物は 海水帽と水泳パンツだけ。

八月は2人のお母さんの八月夫人。
果物商であり、養魚場の持ち主でもあり、額に汗して働く お百姓でもあります。

九月は絵描きさん。色彩の大家で、森の木々はこの人をみると、葉の色をかえるのです。

十月は犬を連れた地主さん。

十一月は風邪をひいてはいますが、木挽き組合のおやかたです。

馬車から最後に降りてくるのは十二月。
火壺と、小さなもみの木をもったおばあさんです。

「わたしは
気長にこの木の世話をして、
天井まで届くくらいのおおきなクリスマスツリーにしてやりましょう。
木のてっぺんの天使は、つばさをひらひらさせながら、
部屋の中の子供たちにも、
部屋の外の貧しい子供たちにもキッスするでしょう。」


『一年たって、この人たちが、
わたしたちにどんなことを持ってきてくれたか お話しましょう』
・・・と、お話は締めくくられます。

『いまはまだ、わたしにはわからないし、
この人たちだって、自分でもきっとしらないでしょう。』


一年がもうすぐ終わろうとする今、
私の中のおばあさんが 丹精込めてたいせつに育ててくれた 心のツリーを前にして、
わたしは美しいなと思います。

きれいなツリーになったな。
ぴかぴかに磨いた飾りもあるし、磨ききれなかったものも。
古くからあるオーナメントもあるし、
あたらしくやってきたものもある。
完璧じゃないけど、うん、わたし好み!つまり、わたしらしいツリーだな、と。

また新しくやってくる一年に、
この12人の人たちが何をもたらしてくれるのか 楽しみだし、
それがどんなことなのか、想像もつかないことにわくわくしながら
おばあさんが持ってきてくれる、また小さなツリーを、
大きく大きく育てたい。
育った木で、いつか森ができるかもしれない。

なんて。
現物のツリーを眺めながら考える クリスマス・タイムです。










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by patofsilverbush | 2014-12-23 14:02 | | Trackback | Comments(0)

調和する~『赤毛のアン第12章・3』

赤ちゃんや 小さな子供と同じように、
もともとが「ごくふつうの」、「世間」というものからかけ離れた境遇で暮らしてきたアン。

一方のダイアナはといえば、
両親や妹のいる家庭で、ごく大切に育てられ、
成長の過程で ほどよく「常識的な行動」をしつけられたり、両親の振舞い方から自分で学んでいったりする、
ごく当たり前の女の子です。
そればかりか、個性的な登場人物の多いアン・シリーズの中にあって、
あまり個性の感じられない女の子かもしれません。

アンと違って高等教育を受けたいという野心もなく、
地元の学校を卒業後は、結婚までの数年間を、
家事手伝いをしながら、家庭の仕事を覚え、
適齢期にお嫁に行く、という、当時の女性の生き方の、ステレオタイプ。

おしゃれや、流行や、村の噂話、男の子の話なんかをして、
お友達と楽しく過ごすのが好きな、可愛らしい女の子です。

空想力をフルに発揮するアンと、
現実的で、想像力のないダイアナ。


だからこそ、
作者・モードは、アンの腹心の友に、ダイアナを選んだのかもしれません。

自分のあるがままを素直に振舞うアンは、やっぱり 
世間の人から見れば 奇妙な存在。
そのアンに、「世間でどのようにふるまえばいいのか」を教えてくれるのが、
マリラであり、ダイアナでもあるのです。

アンがアンらしく、ひとりで学校へ行き始めたら・・・?
「変わった子が来たわ」
と、なかなかお友達ができなかったかもしれない。
(日曜学校へ行ったときには、だれも話しかけてくれませんでしたし)
でも、ダイアナが一緒なら、みんなアンを受け入れやすくなったと思うのです。


ダイアナが何よりも素晴らしいのは、
「あなたって変わってるわね」とアンに言いながら、
そのアンの「かわった」ところを、そのままに、
アンを愛してくれたこと。


さびしい さびしい子供時代。
空想のお友達を作って、さびしさや みじめさを紛らわしていたアンを、
はじめて愛してくれる、
家族や お友達ができて、
アンの世界は一変したのです。


「あるがままの自分でいい」
とはいっても、
そこに、
他者に対してのやさしさや、心づかい、思いやり、親切、尊重・・・
そういうものがなければなりません。


周りの世界と調和しつつ、自分自身とも調和すること。
それは 
あるときには、
とても難しいことかもしれません。

周りの人に対して、やさしさ、深い愛情を持ちながら、
理想を心に描き、美しく生きようとするアンは、わたしにとって理想の生き方ですし、
子供を育てるうえでの、
理想でもあります。

あなたはパーフェクトな存在。
あなたらしくて素晴らしい!
でも、公共の場での、振舞い方はある。
現実に、「まず、これをせねば!」と 心をきめなければならない問題もある。
とうことを、子育てしながらじっくり教えたり、学んだりしてゆきたい。
バランスを、持てる人に、なりたいし、なっても もらいたい。



・・・
と書きつつ。
今、ご近所さんからの、なんだか感じの悪いご指摘の電話がかかってきたりして、
あ~あ・・・
と思うわたしなのでした(泣)。
「感じ悪い!」なんて思っちゃうあたり、
まだまだエゴがいっぱいの自分です。スミマセン。


というわけで、
自分自身と調和する
周りの世界と調和する

「調和」ということが、この章のわたしなりのテーマであったかなと思います。


















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by patofsilverbush | 2014-12-21 12:57 | ferrbirds赤毛のアン | Trackback | Comments(0)

素直に自分を表現する~『赤毛のアン第12章・2』

そもそも、ダイアナに会いに行こうとする前に、
アンはマリラに叱られています。

原因は 先週の教会での出来事(前章)。
アンが、飾りっ気のない帽子を、
道端で摘んだ野バラやキンポウゲで ごたごたと飾り立てて教会へ行ったことを、
今週になって マリラは初めて、
リンド夫人から聞かされたのです。

アヴォンリー中でうわさになっている、
「グリーンゲイブルスの孤児の、奇妙な服装、奇妙な振る舞い」について、
きっと誰も遠慮して マリラ本人には何も言わなかったでしょうに、
さすがはリンド夫人です(笑)。


「どうしてそんな悪ふざけしたの。きっといい見世物になっただろうよ!」
と、
自分の監督の目が届かないところで アンがしでかした「ふつうでない」振る舞いに、
マリラは腹を立てますが、
当のアンは、
何を怒られているのかピンときません。
「ピンクと黄色は(赤毛の)あたしには似合わないわね」
と答えては、またマリラをイラつかせます。

「世間というのはね、
私に常識がないから、あんたをそんな恰好で外に出したと思うものなんだよ」

そう言われて、アンは泣きだします。
「本当にごめんなさい。
薔薇やキンポウゲが あんまり綺麗で可愛かったから、
帽子につけたら素敵だろうなって思っただけだったの」


この場面の、マリラとアンの対比!

常識的なマリラは、世間の目や 批判を気にして、
「アンがどう思われるか」ということより、
「アンの保護者となった自分が どう思われるか」
ということが気になってしまいます。
親としては耳が痛い。
子供を叱るときに、つい、そんなふうに、問題をすりかえて怒っている自分に気がつきます。

「こうあるべき」「これがふつう」という 
固定観念や常識にしばられている マリラの不自由さに比べて、
アンの発想は なにものにも囚われず、自由です。

ただ 花がきれいだったから。


周りからどう思われるか なんて気にしない、
(というか、周りがどう思うかなんて、そもそも気にかけていない)

自分の感性に素直で、
心から 美しい花を楽しんだだけ。


アンの豊かな想像力や表現力は、作者・モンゴメリの持っている性質そのものであったことでしょう。
けれども、
彼女には マリラの持ち味である「分別」もありました。
自分が考えている、美しい想いを そのまま表現すると、
大半の人にはわかってもらえない、
という経験をして、それを人から隠すことをおぼえました。
「わたしは 他の人が吹く笛に合わせて踊ったのです」
と 聖書の言葉をもじって そう書き記しています。

美しい考えを人に表現した時の、
無理解、あざけり、または
うすっぺらい同意の言葉に、とても傷ついた、とも。

自分をそのままに表現することは、
怖いことでもあります。
自分が傷つかないために、人は、自分をかくすことをおぼえ、
他の人に合わせた言葉を使うことを覚えます。

それはそれで、大切なことではあるのですが、
本当は、人はそれぞれ、あるがままでよくて、
誰もがその人の持つユニークさを、認めて生きられたら、そのほうがずっといい。
イエスが目指した世界は、そんな世界ではなかったかなと想像します。

自分を素直に表現する。
大人になっても、母親になっても 「あの人はロマンチックなところがあるからね」と
村人たちの噂になる、アンの表現力は、きっと
アンの個性として、そのままに残ったのでしょう。

自分の世界と、世間に見せる顔。
ふたつの自分のはざまで苦しんだモンゴメリにとって、アンの素直さは、
理想の 人の在り方だったかもしれません。











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by patofsilverbush | 2014-12-19 10:18 | ferrbirds赤毛のアン | Trackback | Comments(0)

新鮮な目と心~『赤毛のアン 第12章』・1

今月もfree birdsにお越しくださり、ありがとうございました。
アン・クラスは数回に分け、12章を読んでいましたね。
いよいよアンの「腹心の友」ダイアナが登場します。

名前だけは、マシュウやマリラから聞いていたものの、いよいよ本物のダイアナに会えるとなって、
アンは緊張に打ち震え、真っ青になり、マリラを呆れさせます。
実際にあってみたダイアナは、アンの憧れる黒髪の持ち主で、とっても美人かつ、陽気な女の子です。
アンはダイアナと、腹心の友となる誓いを交わし、
2人の友情が始まってゆきます・・・。


みなさんは、お子さんが初めて立った!初めて歩いた!日の、感動をおぼえていらっしゃいますか?
ちょっと思い出してみてください!
どんなシチュエーションだったかしら?

わたしは、息子が初めて立った時の顔を、よく覚えています。
「できた!」と言わんばかりの、得意ではちきれそうな、嬉しそうな顔!
あのとき、しゃべることができたとしたら、どんな言葉を叫んだかな?と思うのです。


初めて立った時、歩けた時、初めてワンちゃんを見た時・・・
あかちゃんは、どんなふうに世界を感じているんだろう?
初めてママと離れて幼稚園に行くとき、どのくらいの不安を感じているんだろう?


自分の居場所ができて、家族ができて、近所の人と知り合って、初めての友達ができようとしている。
ふつうなら、日常の中で少しずつ体験しながら成長してゆくことを、
アンは11歳にして初めて体験しているわけです。
赤ちゃんや、小さな子供と同じように、新しい体験に目を見張りますが、
それを言葉で表現する術も もちあわせている年齢です。

ただ「泣く」という行為でしか表現できない、赤ちゃんや子供のかわりに、
アンは
その時感じた 喜びや、悲しみや、怒りを、豊かな言葉で表現してくれます。


ダイアナに会えると聞いて、

「こわいわ、とうとうその時が来たのね。
もしダイアナが、あたしを気にいってくれなかったら どうしよう!
これこそ、わが生涯最大の 悲劇的な失望となるでしょう!」

などというアンに

「そんなに大騒ぎするんじゃないよ。
そんな仰々しい言い回しはやめておくれ。小さな子供が使うと 滑稽だからね」

とマリラは言うのですが、

きっと
いろんなことを体験し、なんとなく世間の在り方を知り、
「それは普通でしょう」「そんなものでしょう」「それがあたりまえでょう」などと
うそぶいている大人と違い、
子供は毎日の出来事を、こんな心で捉えているのではないかしら?

喜びは より大きく、悲しみも より深く。
きっと 子供の心には響くのだと。

だから このアンの 
大人にとっては なんだかおおげさすぎる言葉も、
きっとアンの心を表すには ちょうどぴったりな分量なのだと思うのです。

そのできごと、見たものに、
ぴったり調和する言葉。

「へ~あ、そう。よかったね」という言葉で 流してしまいたくなる、学校での出来事を、
息子が何十分もしゃべり続けることができるように。

アンチエイジングという言葉。
食べるものに気を使ったり、お化粧品や、スポーツや、何かを新しく学んでみること・・・
人によって さまざまな取り組み方があるな と思うのですが、

なによりも、
いつも新鮮な目と心で、
日常の物事、
身の回りの風景を見て、感じる心が、なによりのアンチエイジングではないでしょうか。

若いということは、心がやわらかいということです。
「絶望のどん底」から、「第七天国にのぼる心地」まで、
いつも感じて、それを言葉で表現できたら とても素敵だし 楽しいですよね。


え、こんな言葉づかいをしてたら、変に思われる?
うーん・・・
ご心配な方は、心の中でこっそり、つぶやいてみてはいかがでしょうか?
一人だけの秘密の遊びをしているようで、これまた楽しい気分になれそうです(笑)。






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by patofsilverbush | 2014-12-18 10:34 | ferrbirds赤毛のアン | Trackback | Comments(0)

使命を自覚しなさい

洗礼を受ける前に、「キリスト教」そのものについてのお勉強をしていた時のこと。
イエスの12人の弟子の話から、
洗礼を受ける、ということは、
イエスの弟子になる、ということですね、
弟子としての使命を自覚してごらんなさい。
と、シスターに言われたことがありました。

ええ~、自覚!?
そんな大層な気持ちもないし、
まだまだ何も分からない、迷うことばかりだし、
こんなにあやふやな気持ちで洗礼を受けても、大丈夫でしょうか~(泣)
と、もちろん なりましたが(笑)、
シスターがおっしゃったことは、もっとすごく単純なことだったように思います。

どんなふうに生きていきたいのか、漠然と考えるのではなく、
自分で決めたことを、自覚しなさい、
ということ。

イエスのようになりたいと思うのなら、なぜ、そのように生きていきたいのか。
そのために、どんなふうに生活したらいいのか、
きちんと自覚をもって歩みなさい。


信仰の話だけではなくて、
自分の人生に責任を持つ ということにおいて、誰でもそうあったほうが、
良いことのようにも思えます。

たとえば、free birdsは、自分の身体と心を見つめる会ですので、
ゆっくり、丁寧に自分と向き合える時間になったらいいなぁ と思っていますが、
一口に 「丁寧な生活」 と言っても、どんな生活を思い描くは、きっと人それぞれです。

漠然と 「丁寧な生活」 という言葉を使うより、

具体的に、
どんなふうに生活したいの?
なぜ、自分はその生活がしたいと思っているの?
と考えていくと、
そんなふうに暮らすために 自分はどうすればいいのかは、
わかるものではないでしょうか。

何かを、どこかを改善したい と思っていても、
人間は怠け者ですから、
ついつい、今までの生活・思考のパターンに流されてしまいがちです。
そのとき、自覚や、覚悟があるのか、ないのかでは、
きっと流され方も違うはず!と 思いたい!(笑)

いろいろな体験をして、そこから得るものがあったり、
人の思考は全く同じところにとどまっていることはありません。

目的・目標や、そのための行動に変化があるのは あたりまえのことです。

どんな生活をするか、
というのは、ごく表面的なことで、
流れてゆく、その中で、「今いる一点」を大切にする、
それが何なのかを、そのつど確認し、自覚することが、
「丁寧に生きる」ことの、根本かもしれません。


年末・年始に
「来年の抱負」や「今年の目標」を立てるときに、
なぜ、どうして?
と、あと少し 深い部分まで、
自分の内面を、探ってみたいです。














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by patofsilverbush | 2014-12-16 13:20 | | Trackback | Comments(0)

あたたかな夜

子供と一緒に布団に入ると、つい うとうとと
とても早い時間に寝入ってしまうことがあり、
そんな時には必ず、夜中に一度 目を覚まします。

暗いので何時なのかはわかりませんが、
いつも 同じような時間であるらしく、
いつもほんの少しだけあけてあるカーテンの隙間から、
大きなダイヤモンドのように あかるく輝く星がみえるのです。

あんなに輝いているのは、きっとシリウス・・・。
と思いつつ、いつもそのまま眠ってしまうのですが、
先日、思い立ってベッドから起き出し、
カーテンをひらいてみました。

息をのむような星空!
目の前には大きなオリオン座が「たかく歌」っており、
その斜め下には、いつも私の眠りを見守ってくれているシリウス。
隣りには大神ゼウスの化身・おうし座。すばるが「さざめいて」います。
星・星・星・・・
冬の星座は、明るく、華やかな星が多いのですが、
いつも眠っている時刻、カーテン一枚を隔てた向こうに広がっている美しい世界に、
しばし呆然と見惚れてしまいました。

主の恵みみたいですね。
それをみる目や、心がありさえすれば、
こんなにも豊かな恵みを、わたしたちは頂いている。
あるいは、
こちらにうけとる気持ちさえあれば、主はこんなにも美しいものを準備して下さっている。

感謝の気持ちとともに、「私の目を見えるようにしてください」と、
聖書に出てくる目の見えない人のように、祈らずにはいられません。

窓を開けてみると、
予期したよりもずっと外気は冷たく、
冬の夜の、澄んだ冷たい、いい匂いがしました。
寒い寒いと思っていた室内は、ずいぶん暖かいんだな、
ということも分かり、あたたかな場所で、心安く眠れることも、
また感謝なのでした。


ほんの5分ほどのことでしたが、
ベッドへ戻ってみると 息子が大の字になって眠っており、
布団の中に戻るのに一苦労した、あたたかな夜のできごとでした。










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by patofsilverbush | 2014-12-15 09:29 | 生活 | Trackback | Comments(0)

冬の庭

ふうせんかずらのグリーンカーテンを撤去後も、
遊びにきてくれるジョウビタキちゃん。

今日はまた別の小鳥ちゃんがやってきました。
地面を飛んで歩いては、お散歩しているみたい。
すずめにちょっと似ているけれど、黄色っぽい羽がみえます。

カワラヒワかな?と思いましたが、
カワラヒワより顔つきがワイルドな(笑)
アオジという小鳥ちゃんでした。

バードウォッチングの趣味はありませんが、
いろいろな小鳥が見られて楽しい。
冬枯れた庭も、楽しみはたくさんあります。




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by patofsilverbush | 2014-12-13 13:52 | 生活 | Trackback | Comments(0)

日々のあれこれを綴ります


by anne
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