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『失敗した男』

ちっともうまくならないバレエでしたが、
ステージ前の あの緊張感や 恐怖とともに、
忘れられないのが、やっぱり、
ライトを浴びる快感?というものでしょうか。

基本的には 人前で何かすることや 目立つことは大の苦手で 
今でも、いつでも、しどろもどろしてしまうのですが、
なんていうか、ステージの上って 独特ですよね。

当時見ていた『フェーム』というドラマは
未来のスターを夢見て 芸術学校で日々練習に励む
高校生たちの姿を描いたもので(今の『グリー』に似ているかな)
冒頭のテーマ曲とともに、いつも ダンスの先生のセリフが流れるのです。

「あんたたちは名声を夢見ている。
でも名声への道は、長く険しい道よ。いいね!?」


ステージでスポットライトを浴び、喝さいを浴びるスターが、
私生活で必ずしも幸福だとは限らない、
というのは 悲しいことでもありますが、
そんなものを投げ打っても つかみたい何かがある、というのは、
わかるような気がします。


「わたしは今までずっと くずだった。
そこへ、何かになれるチャンスが訪れたのよ。
そのチャンスを捨てることはできなかった、
たとえジョーのためではあっても」

マリリン・モンローもかつて、
ジョー・ディマジオとの離婚について、
インタビューでこう言っていますしね。



前置きがすっかり長くなってしまいました。
『失敗した男』は、文字通り、「人生に失敗した」男の話です。
子供の頃は、ふつうの話、ごく平凡なストーリーだと思っていたのですが、
大人になった今は、
読むとなんだか、泣いてしまう。


事業で成功をおさめ、巨万の富を築いたもの、
大学の学長をしているもの、
歌手としての名声を博しているもの、
日の出の勢いの弁護士の妻として、多忙な生活をしているもの・・・
華やかな人生を送る、モンロー一族の中で、
長兄・ロバートだけは、みすぼらしい小さな農場主です。

成功をおさめた弟妹たちを 誇らしく、うれしく思うロバートでしたが、
ふと耳にした叔母の言葉が、
彼の心に深く突き刺さります。
「ロバートだけは、人生の失敗者。
なにひとつ、ろくなことはしていない、一族の恥ですよ。」


権力をかちえたり、富をたくわえたりできる自分ではないことを、
よくよく知ってはいたものの、
そんなことは大した問題ではないと思っていたロバートですが、
そんな自分が、
一家の、弟妹達の恥であったのだと、
叔母の目を通して見る自分の「真の姿」に初めて気づき、
胸の痛みと、自分に対する恥ずかしさで 
心がいっぱいになってしまいます。

ロバートの様子に気がついた妹のエディスは、
兄の「真の姿」を、兄自身に気づいてほしいと、
きょうだいたちに、あるくわだてを相談します・・・。


貧しく、地味な暮らしをしている、
目立たないロバートの「真の姿」とは、
はたしてどんな姿なのでしょうか?
ロバートの人生は、真に「失敗」だったのでしょうか?



誠実さ、やさしさ、
人生の過酷な状況に 屈しない心の強さ、
聡明さ、誇り高くあること、献身、
信じること、辛抱強くあること、
己の意思をもって行動する勇気・・・
目には見えないけれど、
真に価値あるもの。


目に見えるものに惑わされ、
流されてしまいそうになる自分に気がつくとき、
この話は、
自分がいたい場所、いるべき場所につなぎとめてくれる、
錨の役目をしてくれるのです。



「みんなに でくのぼう とよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに わたしはなりたい」

そんなふうに書いた宮沢賢治を、この短編を読むと、
いつも思いだします。



人生が「成功」だったか、「失敗」だったか。
「そこから得たものより、そこに自分が何をつぎ込んだかによるのよ」
と、アラン夫人がアンに語る場面がありますが、
それはやはり、他人の目には一目で見ることのできない、
その人らしい、パーソナルな部分なのでしょう。

みんながそれぞれ、
苦しくないように歩めたら。


と思います。













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by patofsilverbush | 2016-03-26 10:35 | ferrbirds赤毛のアン | Trackback | Comments(0)

開幕⚾

プロ野球シーズンが始まりました。

まだまだ現役姿を見ていたかった、高橋選手が新監督に就任し、
毎年、「勝つぞ~」って気持ちしかなかったのに、
きのうの開幕戦は、
いつになく、緊張して そわそわしてしまった(^^;)。
ルーキーの頃から見てきた選手が、今や監督・・・
感慨深いです。

みんな由伸大好きだからねぇ。
優勝させてあげたいって!って、選手もファンも、
みんな思ってるんじゃないかな。

イライラとストレスがたまる展開ながらも、
まずは一勝✨

どこのチームも、ベンチの中には見知った顔がいっぱいで、
なんだかベンチにいるのが惜しいようにも思ったり(笑)。


個人的に、他チームにも好きな選手はいっぱいいますが、
とにかくジャイアンツ!
秋の胴上げを 楽しみにしています💛












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by patofsilverbush | 2016-03-26 09:30 | 生活 | Trackback | Comments(0)

ユニーク

春休みに突入してしまいました( ;∀;)

成績表(図工、素晴らしい!)とか、
後期の皆勤賞の賞状(風邪ひかずがんばった!)とか、
いろいろ持って帰ってきた中に、
丸いコースターくらいの大きさの「賞」がありました。

担任の先生が、
ひとりひとりに書いてくださったのであろう ○○賞。
息子は、「ユニーク賞」(笑)。
とっても素敵な言葉を 書いてくださっていました。



ドラマ『グリー』に、登場する、黒人の男の子。
特別目立つところのない黒人の男の子なのですが、
実はひそかに、
女性の格好でステージに立ちたい という願望をもっています。
すっごくゴージャスで、すっごくワイルドな、
彼女の名前は「ユニーク」。
それが 本来の?理想の?自分自身なのだと。




ユニークなうちの子を、ユニークなままにしておいてくださった
お若い先生に感謝です。




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by patofsilverbush | 2016-03-25 14:46 | 子育て | Trackback | Comments(0)

今日のお客さま

は、つぐみ。
初めてのお客さま。
顔はホオジロみたいでしたが、
体長から、つぐみってことに(笑)。


うっかり動くと飛んで行ってしまうので、
写真が撮れません。

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by patofsilverbush | 2016-03-24 10:46 | 季節 | Trackback | Comments(0)

あさがきた

時計代わりに、毎朝見ている朝ドラ。
「あさがきた」は、それはもう楽しく見ていたので、
もうじき終わってしまうと思うと さみしい。

なにしろイケメン二人(いや、三人か)が目の保養だし♡
いきいきと仕事をしながらも、ちょっと抜けたところのある
あささんも、かわいいし♡
しっとりしながらも、凛としたはつさんも素敵だし♡

楽しみの一つに、
あさや、あさの娘・千代の着ている着物がありました。
大店の奥さま・お嬢様にふさわしい、
華やかな着物にうっとり。
帯との色合わせや、帯締め、半襟、髪飾りにいたるまで、
もうそれだけを じっくり見せていただきたいくらい、
イケメン以上に?目の保養でした016.gif016.gif016.gif


“ファーストペンギン” である あさは、
洋装(ドレス)も積極的に取り入れて、
こちらも楽しみの一つでした。

レースやフリル、織りの布地の贅沢さ✨
アンも、こんなドレスを着ていたんだなぁ
と ちょうど時代が重なるアンにも、思いを馳せたり。
そういえば、
すでに中年になったあさが、乗りこなそうと挑戦する自転車。
若かりし頃のモンゴメリも、
当時 流行した 自転車か、カメラか、どちらを買おうか迷った挙句、
カメラを選んだので、自転車には乗れません 
と ペンフレンドへの手紙に書いています。



既成概念にとらわれず、おそれずに新しい価値観に向かう あさ。
どんなことも柔らかく受け止め、やわらかな言葉や物腰の陰で
凛と周りの人を支える 新次郎さん。
後世に、真に価値あるもの残すべく、個をすてて奮闘する 五代さまや、
成澤先生。
自分がおかれた環境の中で、流されることなく、
芯をもって生きる はつ。

みんなみんな素晴らしく、
自分は、どんなふうに、誰のようになりたいかなと
毎朝、ちょっと考えてしまう、朝でした。











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by patofsilverbush | 2016-03-24 09:39 | 生活 | Trackback | Comments(0)

天国

三月と四月、人は庭に出ると 神様に出会うのです

と書いたのは、詩人のエミリー・ディキンソン。


詩人や、音楽家、画家、作家・・・
あらゆる芸術家が、
ときに 人間の生きる苦悩を描くいっぽうで、
至福の世界をも描きました。
豊かな感受性によって垣間見える、
「この世」ではない世界を 言葉や絵にしようと
心を砕いたのです。


モンゴメリの長編『エミリー』シリーズでも、
作家を志す少女、エミリーは、
ときおり、あまりに美しい世界を垣間見るたびに
「ひらめき」が訪れたと感じ、その美しや感動を、
見えたそのままに伝える言葉を探すのに苦心します。


わたしたちと 向こうの世界は、
ベール一枚でへだてられているだけ。
時おり、その向こうの世界を ちらりと見えるものだけが、
その世界の消息を、絵や音楽、言葉に代えて、
わたしたちに伝えてくれるのです。

夏目漱石の『草枕』にも、同じように描かれていますね。




ある春、お友達とでかけた 楽しい森のピクニックで、
妖精に叶えてもらいたい願い事を言い合ったとき、

「すべての人の心も、あたしたちみんなの生活も、
いつも春であることを願うわ」 

と言ったアンに、
「それでは、この世が天国であるように願うのと同じじゃないの」
とプリシラが言います。


モンゴメリが時おり描く「天国」には 
あらゆる “美” が備わっているので(笑)
アンも、
「夏も秋も__ちょっぴり冬もあるでしょう。
ときにはキラキラ洸る雪野原や、白い霜も
天国にあったらいいな、と思うの」
と答え、
「善良で、教えられたことはきちんと信じ、
教会役員もしているにもかかわらず、
天国について 必要以上に考えたことのない」ジェーンは
アンのこんな答えに どぎまぎしてしまいます。

妹に 天国で着る服のことを聞かれて、
天国では着るもののことなんか いっさい考えないのだと答えた
というダイアナに、アンはこう言います。

「(天国での命は)永遠なのだから、
少しくらいは、美しい衣装のことを考えても いいんじゃないかしら。
あたしは2,3世紀の間は、ピンクの服を着ていたいわ」

赤毛ゆえ、
「この世ではピンクが好きなのに(似合わないから)着られない」
アンらしい希望(笑)。




モンゴメリを読んでいると、
この時代の、たいていの人の頭にある死後の世界、「天国」では、
人は「白い着物を着た天使になる」ようですが
モンゴメリは、
そのように「現実世界」から あまりにかけ離れたものであるとは、
考えなかったようです。
美しいものは、より美しく。
楽しいことは、より楽しく。
個人の欲や願望は消えて、よき人になろうとすることが、よりたやすくなり、
世界を、人の心を、より美しくする「神様のお手伝い」が、
よりたやすく、心からできるようになる。

死後、わたしたちが生きるのは、そんな世界なのだと。



四季それぞれの 自然の美しさがあふれる天国を想像したアン。

アンの豊かで繊細な感受性を受け継いだ 息子のウォルターは、
天国をこんなふうに想像します。


「(森や小川、花さく庭園のほかに)
素晴らしい街もあるんだよ。
夕日のような色で__
サファイアの塔がそびえ、虹色のドームが建ち並ぶ。
すべてが金やダイヤモンドでできてるんだ。
道もダイヤモンドで、お日様のように輝いている。
広場には光が口づけしている、水晶のように輝く噴水があって、
いたるところに、
決して枯れない花が咲いてるんだ」



誰にもわからない世界。


庭を美しくすることは、世界を美しくすること、
それは神さまのお手伝いをすることだと、
アンはウォルターに教えます。



「天国」は、どんな場所だと思いますか?
大切な人は、どんな場所にいるのだろうか。
会えないけれど、遠く遠くにいるわけじゃない。
そんなにたいへんな隔たりはないのだと、思えます。











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by patofsilverbush | 2016-03-23 09:05 | 季節 | Trackback | Comments(0)

『ロイド老淑女』

眠りについていたものたちが、生き生きと目を覚ます、
喜びの季節。
そんな春を、毎年 やりきれない気持ちで過ごす、
ロイド老淑女。

わたしは、モンゴメリの描く「老婦人」の話が
ロマンチックなラブストーリーと同じくらい、大好きなのです。
年を重ね、人生の豊かな経験を積んだ、
寛容で、慈悲深く、奥行きのある老人といえば、
モンゴメリの場合、「おじいさん」であることのほうが、多い気がします。
どちらかといえば 偏屈だったり、
内に秘めた情熱を誰にも知られることのない、
平凡だったり、貧しい暮らしをしていたり、
長年のうらみを抱いていたり・・・
することの多い、
モードの「老婦人」たち。

そんな「老婦人」たちのお話の中で、
これは一番好きな短編です。



金持ちで、村の名家のお嬢さんであったにもかかわらず、
今ではたいへんなケチで、教会へも足を運ばず、
人目を避けて暮らしている変わり者、
と 村人たちから思われている、ロイド老淑女。
実はたいへん貧しく、
三度の食事にも事欠くありさまだということは、
誰も知らないのです。


教会へ行かないのは 
献金のためのお金すらないから。
かつては美しく、ファッションリーダーであったのに、
母の古着を直しなおし 着ている姿を見られたくない。
一日に二度しかできない食事、
しかも、数枚のクラッカーやなにかで 飢えをしのいでいるだなんて、
誰にも知られたくない。
そんな意地や、見栄から、
誰にも心を開かず、貧しさと寂しさに長年耐えてきた 老淑女にとって、
ものみな花開く、生き生きとした歓びにあふれた春は、
ことさらにやりきれない季節でもあったのです。


『彼女には愛するものがなにもなかった。
これこそ人間にとって もっとも不健全な状態である』


美しい服や、食べるものがないということ。
そんな生活の表面的なことではなく、
彼女の不幸せの本質を、モンゴメリはこう表現しています。

その、美しい春のある日、
老淑女は、村のある家庭に新しくやってきた 音楽教師の少女を見かけます。
見覚えのある、なつかしい面影。
彼女は、ロイド老淑女のかつての恋人、
人生でただ一度愛し、つまらぬけんかで失ってしまった恋人の 
娘だったのです。


もし彼と結婚していたら、自分の娘であったかもしれない。


そんな思いから、老淑女は、
貧しいながらも、自分にできる精一杯の愛場を込めて、
彼女の生活を楽しいものにしたいと、
秘密の贈り物を与え続けます。
小さな花束や、かごに摘んだベリー、
自分が飢えて死のうとも、後生大切にしていた、家宝の壺を売って、
ドレスを贈ったり、
「父親のものは、なにも持っていない」という娘の言葉を聞いて、
なによりも大切な思い出であった、詩人の恋人から贈られた、
自費出版の 小さな詩集を贈ってしまったり。

送り主は自分だと名乗ることもせずに、
老淑女は、娘にありったけの愛情を捧げるのです。




キリスト教でよく言われる、「自己犠牲」の精神。
自分の利益や 損得はかえりみず、誰かのために尽くすこと。
日本人の感覚から考えると、なんとなく、
自らを犠牲にして他者のために!という、
つらく、重苦しい、
悲壮感の漂う美談(-_-;)のようなイメージがありますが、


モードの描く「自己犠牲」は、
犠牲とは 本当はそんなに苦痛なことではないということを、
わたしたちによく教えてくれます。


よろこんでハイハイと言いなりになれる事では、もちろんないのです。
自分のしたいことを我慢して、誰かのために時間を使うことや、
自分のほしいものを我慢して、誰かのためにその分まわすこと。


「犠牲」を払おうと決めるまでの、
自分の欲望との葛藤や、損得勘定は、きっと誰にだってあるのだから。
でも、そこを超えたときに、
払う「犠牲」は、義務感も何もなく、
ただ単純な喜びや 満足に変わるものなのです。
自分がそうしようと 決めたことを、実行するから。
誰かに強いられたことではないから。
良心に従って行動することは、
苦痛ではなく、喜びを伴うことで、
そこが“神様のみ心”が働いているのだなぁ!と思う、ゆえんです。
だって神様は、わたしたちに
幸せと、喜びだけを与えたいと思っているのだから。
もう、あふれるばかりに。



貧しさゆえ、
その愛しい、家庭教師として働く 貧しい娘に、
自分が何をしてあげられるのか、
見当もつかず、ロイド老淑女は神に祈ります。


『あの娘のために、わたくしにできますことを
なにか考えつかせてくださいませ。
なにか わたくしにできる、小さな__小さなことを
思いつかせてくださいませ』


美しい、お祈りの本質というべき祈り。
神さまはその祈りをかなえ、
ロイド老淑女の春は、若い喜びに満ちていたころと同じように、
「ふたたびいとしい、美しいものになった」のです

『愛がもう一度、老婦人の心によみがえり、
飢えた魂が 神の食べ物というべきその愛を 豊かに味わったからであった』



美しい春、五月からはじまり、
実り豊かな十月へと、移りゆく物語。
最後に老淑女は、最大の「自己犠牲」を払い、
最大の「愛」の豊かさを受けることになります。



『神と人とは 程度の差こそあれ、
種類は違わぬ、同一物ではなかろうか?』

与えるものが大きいほど、得るものも、また大きい。




プリンス・エドワード島の 美しい自然の描写とともに、
言葉のひとつひとつを じっくりと味わいたい、愛の物語です。










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by patofsilverbush | 2016-03-22 10:11 | ferrbirds赤毛のアン | Trackback | Comments(2)

春!

なんだか大量の花粉が飛散しているようで・・・。
主婦の強みと言うことで、
なるべく外出を控えられるありがたさを、しみじみと感じていますが✨

それにしても、

室内干しの洗濯物が 部屋に下がりっぱなしだったり、
家の中で運動不足気味だったりと、
なんとなく、うっとうしい感じがぬぐえない今日この頃。

それでも、
あちこちでハクモクレンの満開の木々を見られたり、
つくしが顔を出していたり
するのに気がつくと、
やはり心は踊ります。


庭のこでまりも、きゅっと縮こまっていた新芽がひらいてきて、
緑色になってきました。


春!春!

大好きな季節が始まります。







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by patofsilverbush | 2016-03-20 09:55 | 季節 | Trackback | Comments(0)

おしえてあげたい!

ところで、
みなさんが学生さんの頃、
「ホワイトデーのお返しは、渡されるものによって意味が違う」
という説は、ご存知でしたか?


先週の『ちびまる子ちゃん』は 
そんなホワイトデーのお話で、
こちらも、ああ、なつかしい~(笑)と笑ってしまいました。

ヴァレンタインに、大好きな花輪くんにチョコをわたした みぎわさん。
「お返しが
キャンディーだったら “ぼくも きみが好き”
クッキーだったら “お友達でいましょう”
マシュマロだったら “気持ちには応えられません”
という意味が あるんですって」
と お友達におしえられたのですが、

花輪くんから(チョコをくれた女子全員に配れらた)お返しは 
薔薇の花と ホワイトチョコ。
「ホワイトチョコだったら、どういう意味があるの~?
“結婚しよう” って意味~!?」
と 友達に詰問するみぎわさん。



そういえば、わたしが小学生の時に、そんな説が女子の間で飛び交ったわ!
と 思い出しました。


でもね、。
気障な・・・いや、小粋な花輪くんは知っているかもしれないけれど、
たいていの小学生男子は、
そもそも お返しにそんな意味があることすら、
知らないと思う(-_-;)。

と、今、小学生男子を見ていると思います(-_-;)

わたしはヴァレンタインにチョコをあげたことも、告白したこともないけれど、
ああ、
あの時の友達に、教えてあげたい!
それともそれって、
乙女の夢をこわす行為かしら?


あ~あ、知ってしまうということは、ロマンがなくなるってことですねぇ。
あの頃好きだった男の子は
うちの男子より、かっこよかったはず!と、まだ思いたい(笑)。






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by patofsilverbush | 2016-03-18 10:01 | 季節 | Trackback | Comments(0)

はつこい

『おもいでぽろぽろ』は、いわゆる “適齢期” を迎えた主人公が、
小学5年生のときの自分を思い出しつつ、
これからの、未知の人生と対峙しようとする物語。
今 思い出せば笑ってしまうような、他愛ない思い出の中に、
主人公でなくとも
「きゃ~♥」と 
くすぐったくて笑ってしまうような、
はじめての淡い淡い恋?みたいな記憶もよみがえります。


『耳をすませば』は、
もう少しお姉さんになった、中学3年生の女の子が主人公。
受験を控え、
まだ方向性すらもわからない 自分の未来への不安、
運命を決するように思える一大事・受験や、
親の無言の期待を感じることへのプレッシャー、
そして、人を恋する気持ちなど、
日々揺れる思春期の心を 描いています。

あるかなきかのような、小学生のレンアイと違い、
中学生の恋は、たいへんです。
こんな自分じゃ、相手と釣り合わない!と落ち込んだり、
片思いだったり、
友達だと思っていた男の子から、突然 告白されて、
とまどい、相手を傷つけてしまったり。
かわいいけれど、
もう 大人への入り口に差し掛かっている。


小学5年生になろうとする息子と一緒に見ていましたが(ジブリだから)
「さいご、ハッピーでよかったね~。いい話だね~」
と 素直に、最後の衝撃の?(笑)告白を喜ぶ小学男子(笑)。
数年後には、人生がこんなフクザツなことになろうとは、
夢にも思っていない、くったくのなさ!うらやましい!


「きゃ~♥」と 声に出してしまう恋より、
もうちょっと真剣に、相手や、自分を見つめる季節の恋は、
見ている方も、
もう「きゃ~♥」とは 思わないかな。
もっと胸がぎゅうっとなって、あの頃を なつかしく思い出しました。






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by patofsilverbush | 2016-03-18 09:45 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

日々のあれこれを綴ります


by anne
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