<   2016年 10月 ( 22 )   > この月の画像一覧

ハロウィーン

ピンポ~ン!
と玄関のチャイムが鳴り、
「ハッピーハロウィーン~!!!」
と 息子のクラスメートの女の子たちが!!

たいへん、我が家ではお菓子、常備していませんのですよ💦💦

いただきもののお菓子の箱があったので、あわてて開けましたが、
びっくりしました。ドキドキ。
ハロウィーンの催し物がやってきたのは初めてです。

明日はキリスト教では諸聖人の祝日。
善き方々の日ですので、
悪しき者たちは出てこられません。
今夜はおばけや魔女で、外はいっぱいでしょう!
みなさま、お気をつけあそばせね!

[PR]
by patofsilverbush | 2016-10-31 16:39 | 生活 | Trackback | Comments(0)

終了しました✨

前日の冷たい雨から一転、おだやかな好天にめぐまれて、
よいバザー当日を迎えることができました✨

うちの子もそうですが、こどもたちはみんな、でっかい紙袋をもって!
売り場をまわるだけで、わくわくするみたい。 目をキラキラさせています。
わたしがいたのは 子供たちが買いに来るフェルトのマスコットの前なのですが、
「いいもの 買えた?」と声をかけると、
自分が買ったものを教えてくれたり、
欲しいけど迷っているものを教えてくれたり。
「あれとあれを買うの!」と、
わくわくが口から飛び出てくるように 自分から申告してくれる子もいたり(笑)。
かわいい。


2度、買いに来てくれて、
「さっきお友達と並んだんだけど、お友達はお金がなかったから1個しか買えなかったの。
もう1個プレゼントしてあげようと思って」
という息子のクラスメート(女の子)や、
3歳くらいの妹をつれた低学年の女の子たちが、
「○○ちゃん、どれがいーい?あれにする?これでいいの?」と 
やさしい声でめんどうみている姿を見ると、
ジーンとしてしまいます。

毎年、子どもたちの可愛い・おもしろい姿を見られるマスコットの売り場は
秘かに好き♡


うちの子もきっと、あちこちの売り場のお母さま方にお世話になったことと思います。
どなたかに声をかけていただいたり、荷物を大きな紙袋にまとめていただいたりして、
バザーを満喫してきた様子の我が子を見ると、
安心してバザーを楽しめるよう、ご尽力くださっている 
たくさんのお母さまや お父さまたちに感謝です。



今年も無事に終了し、ほっとしました。
「明日からさびしいね」
「でも 自分のものを作るでしょ?」
「中毒だよね~手を動かさないと 気持ちが悪い!」
と言い合って、また秋冬の間、いろんなものを作る人たち(笑)。
また春になって、作りためたものを見せてもらうのが楽しみ♫

バザーとは無関係なのだけれど、
バザー終了と同時に「あれもやめよう!」と思った 自分の生活の中のこともあって、
無関係だけど、ちょっとつながっている何かがあったのも、
個人的にはおもしろかったです。
迷っていたことの、答えがでたというか。

なにはともあれ。
とにかく半年、おつかれさまでした!のんびり日曜日を満喫します♫
みなさまも、よい休日をお過ごしくださいませ。











[PR]
by patofsilverbush | 2016-10-30 10:48 | 生活 | Trackback | Comments(0)

パワーをくれること

今週末は いよいよ学校のバザー!
半年間、のんびり かつ がんばった作業も今週でおしまいです。
もう数年バザーソーイングに携わっている人、今年初めて係りになった人、
バザーとは無関係に、何か作るのが好きで いつもいつも何かしら創作している人もいれば、
興味があって 作り方を覚えたいなぁと思って入った人もいます。
今年は何か新しいものにチャレンジしてみよう!と意欲的な人もいれば、
誰かの作業がしやすいように 下準備や事務的な作業を率先的にしてくれる人もいる。
いろんな人がいて、それぞれが、それぞれにがんばった半年。
みんなで作ったブースができあがると、「わぁすごいねぇ✨」とわくわくします。


結局のところ、実際に「縫って形にする」作業そのものは、
自分のできる範囲で分担しながら、自宅に持ち帰ってしているのだけれど、
そういう 個人的な作業と、
みんなでひとつの「バザー」を作り上げていく共同作業のバランスが、
わたしはとても好きです。
たまたま同じようなタイプのメンバーがそろったせいなのかな。
「個」と「集団」のバランスが わたしにはちょうどよく、
そんな環境に楽しくいられることは、ありがたいことだなぁ と 毎年思います。
誰かが作ったものを見るのはわくわくするし、
刺激をもらって、また何か作ってみようと思えることも、
ありがたいことです。


明日の準備、あさっての当日を前に、
まだまだ創作している人もいます。
「まだ作るの~?」
と言い合いながらも、自分でも結局、何か作りたくなっちゃうんだよね(笑)。
「え~、作る気満々なんだけど~✨」なんて言われると、
わたしももうちょっと作りたくなったりして♫
やっぱり手を動かすのが好き016.gif


一人でいるのが大好きだし、
静かにひとりで引きこもっているのが いちばん好きですが、
自然な中を歩いて、そこにあるものから深い思索や感情をいただけるように、
人から受けるポジティブなエネルギーもまた、とてもうれしく
ありがたいものですね。
生かされてるんだな~。ありがたき幸せ!


今日も 手を動かす一日になりそうです♡















[PR]
by patofsilverbush | 2016-10-27 09:17 | | Trackback | Comments(0)

パワーいただきました♡

きのうは幼稚園時代の友人と 久しぶりにご飯を食べにゆきました。
死ぬほど笑った!!!


園が小人数だったこともあって、幼稚園時代のママたちは
それはそれは仲良しでした。
いまだに「ママ友」という感覚がピンとこないのは、だからなのかも。
みんな「○○ちゃんのママ」ではなく、名前をちゃん付で呼び合う 個人だったし、
「今日も一緒にどこかへゆきましょう♫」
というような べったりしたところは皆無で、
「個」を尊重する人たちばかり。自分の「個」も、人も「個」も。


だからそれぞれ個性的で、
興味の対象もそれぞれ。
自分の興味があることを熱く語っても、だれも「・・・」とひかないし、
(というか、おもしろいから聞いてても飽きない!うえに、こちらも興味がわいてくる!)
そのことについてどんどん質問しても「え、そこまでつっこむ?KY?」だなんて誰も思わない。
なにを言っても大丈夫、な根底には、
お互いへの敬意や 好きって気持ちや 思いやりがあって、
興味本位や、がさがさしたところのない言葉だったからだと思います。
自分が思ったことは、何を言ってもそのままに受け止めてくれる人たちでした。


ものすごく深い話を毎日していたし、
自分が自分でいられる心地よさや、みんなから受ける 前向きなエネルギーは、
とても刺激的で、わくわくした。
当の子供たちより、私たちのほうが楽しかった!と言えるくらい、
濃くて、深くて、楽しくて、エキサイティングな時間。
神さまの思し召しがあれば、まだ続いていく人生の、
早い段階で みんなに会えたことは、ラッキーで幸せだったね!
とお互いわかちあった きのう。


しょっちゅう会うわけではないのだけれど、
会えばいつでも刺激をくれて、ポジティブなパワーを分けてくれる。
いろんな話をして、何を聞いても やっぱり「変!」とも思わなくて、
「変わってないね~」ってなる。
そんなつきあいって なかなかないので、
「子供のこと、 “うちの子 変わってる!”
って思ってるけど、親であるわたしたちが、そもそも変だったんだね!」
と今更悟って、また大笑いです。



きのうはなぜか、そんな明るいエネルギーがいっぱいで、
遠くに住む大切なお友達から、お菓子のはいった箱♡とお手紙がとどいたり、
(ありがとうー!ゆっくりお手紙書きます!)
義母から明るいニュースのメールが来たりで、
ポジティブなパワーをたくさん!たくさん!もらえた一日でした。






[PR]
by patofsilverbush | 2016-10-26 08:50 | 生活 | Trackback | Comments(0)

恥を知れ!

私の大好きな、「ちびくろサンボ」の“ちびくろ”は人種差別的表現である!
などという とんちんかんな論旨に始まり、
今や「これは差別用語かしら」と 口に出すときにいちいち考えてしまうことも多いほど、
差別や偏見に敏感な現代。
にもかかわらず、
「土人」発言とはこれいかに。
そしてそのことが、さほど大問題としてニュースにも取り上げられず、
さらりと流されていることに、疑問を覚えます。


「表現はともかくとして、
仕事をなさっている方のご苦労はしのばれます」というような発言もありましたが、
どのような表現をするか、
という うすっぺらなことではなく、、
そのような思想がまかり通って 言葉に出てしまう、
ということが問題なのでは。
そんなことにも思いが及ばないのか。
そんな人たちが国家のトップにいることが恐ろしい!!

誰に対しても、そんな言葉で呼んで言いわけがないのはもちろんのこと、
まして自国の人間に対し、「土人」などと呼ばわれる、
その無知さ!厚顔さ!
「沖縄の人たちが悪い」とでもいいたげな表現もされていましたが、
何が?
どちらが軽蔑に値するのやら。
よくも恥ずかしくないものです。
それを大きな問題として取り上げない国家・マスコミの在り方も、
恥を知れ!とののしりたくなります。





[PR]
by patofsilverbush | 2016-10-24 09:42 | その他 | Trackback | Comments(0)

咲く

川沿いの土手の下を歩いていると、
自分がいる側の岸は 生い茂るやぶでほとんど見えません。
土手の上を見あげても、道端に植わった木々の梢や 空が見えるばかり。
反対に、対岸の岸辺や 対岸にある家はよく見えます。
きのう 尾の長い小鳥たちがたくさん集まってさえずっていた 
向かい側の岸辺に生えている大きな木に、今朝はキジがひっそりととまっていました。
同じ側の岸にいたらきっと見えない光景です。


小さな浮橋を渡って 対岸を往復して帰ってきますが、
帰りは、
今まで自分が歩いていた側の岸を反対から見る事になり、
歩いている時には見えなかった土手の上や、岸辺が
こちらがわからはよく見えるんだなぁと思ったりします。


自分のことや、自分が今、おかれている状況とよく似ています。
自分のことはよくわからないし、渦中にいると物事を客観視しづらくなる。
ちょっと離れた見たら、時を置いて振り返ってみたならば、
ああ、と よくわかることがたくさんあるのだけれどね。

そのかわり、自分の足元はよく見えたりもします。
小さな花。水たまり。草むらの中のテントウムシ。ちょうちょやトンボ。
離れたところからでは絶対に見えない、小さなもの。小さな状況。
見ようと思えば気づくことはたくさんあるけれど、
あまりに些細なこと過ぎて、見えなくなってしまうかもしれない小さな事柄。
近い視点と大きな視野を、いつも持てていたらと思うけれど、
何かあるとあわあわとパニックになってしまう、それもまた人間らしさかもしれません。



「おかれた場所で咲く」という言葉の中の
「咲く」という表現だけをピックアップして考えると、
今ある状況の中で「華やかに」咲くことをイメージしてしまうかもしれないけれど、
華やかでなく、つつましく咲いている花もある。
いちいち目をとめる人は いないかもしれないけれど
草むらに小さく咲いている花は、そっとかがんでみると
惚れ惚れとみとれてしまうほど可憐です。


秋が深まってきて、
あざやかだった緑も、しだいに深みのある錆びた色合いに変わる今頃。
アワダチソウやキツネノボタンや、まだ小さく咲いているつゆ草や・・・
藪や道端や草むらに たくさんたくさん咲いている小さな花々は、
いちいち自分の色を主張せずに、
ひとつに溶け合い、調和して「秋」というハーモニーを奏でている。
置かれた場所で咲く美しさは、
華やかに存在し、賞賛を与えられ、道行く人すべてに愛でられるばかりではないのだな
と思う、秋のウォーキングです。






[PR]
by patofsilverbush | 2016-10-22 14:25 | | Trackback | Comments(0)

主体性をもって受ける

最近よく行くウォーキングコースは 川沿いの遊歩道。
車道のある土手の上ではなく、土手を降りた、川沿いの道です。
車が来ないのでのんびり歩くのにちょうどよいのですが、
川に沿っているのに、藪があって川はなかなか見えないという(笑)。
ここ何日かは、あおさぎをたくさん見かけます。


お天気が良くて 暑かったきのうは、朝から天高く鳴くヒバリの歌が降ってきて、
ああ、あの人も聞いていて、胸を躍らせたり、するといいな
と、ちょっと心にかかっている人のことを思ったり。
なかなかそんなことに 心が行かない日々もありますよね。
それとも ふだんからそんなことは心に留めもしないかしら。


川沿いの藪や、川面や、道端の草むらには、
たくさん素敵なものがあります。

小鳥の声や、水音や、風が藪の草をそよがせる音・・・
そんな世界の音を聴きながら歩くと、瞑想のようでもあり、
「あ!小さな花が咲いている!」なんて気がつくと、けっこう忙しくきょろきょろしているようでもあり。
立ち止まってみたり、空を見上げてみたり、ただ 風を感じてみたり。
日常と非日常の、淡いをゆくような散歩。
よく考えてみると、そんなときにはあまり何も考えずに歩いているようです。
ただ、周囲を眺めている。
まわりにあるものを、ただそのまま受け取るだけ。
自分の「感情」みたいなものは、持って歩いていないから、気分転換になります。


ただ受け取るだけで、すごく豊かになるものがたくさんあるけれど、
そこに価値を置かない人には 関係のないこと。
自分にとって 真に価値のあるものってなんだろうかと、
ときどき、改まって自分に問う時間がないと、
際限なく、無価値なことに時間を費やしてしまう時もありますね。




好きでないけれど、興味はないけれど、
現実に「しなければならないこと」があるとき、
そこに意味や価値を見つけられるのも、大切なことだと思っています。
人にわかってもらう必要もない、自分だけの価値。
自分が積極的にものごとに取り組めるための、意味を。自分のために。
先日の「その他大勢の心意気」ではありませんが、
与えられたことを、ただ与えられたままにこなすのでは、
やりがいも 成長も、楽しみもない。ただの苦行にすら、なってしまいかねない。

物事をそのままにいただくこと。
と同時に、
そこに何を、どんな思いをこめるのか、そこにどんな価値を見出せるのか、
主体性をもって生きることも 大切なことです。














[PR]
by patofsilverbush | 2016-10-21 16:20 | | Trackback | Comments(0)

お勉強

世の中には本がたくさんありますが、
時に「くそみたいな本」にも出会ってしまうのは、残念な事実です。
『glee』の口の悪い部員・サンタナのように、汚い表現でまことにすみませんが、
そんな表現がぴったりな本、というのも、また残念な事実です。


どんな本が「くそみたい」なのかは、人それぞれちがいますが、
わたし個人としては、
児童書の棚にたくさん並んでいる怖い本の中の、
ただ「恐怖」をあおる為だけの本が、たとえばそれです。
人の気持ちの中のネガティブな部分だけを、ことさらに強調した本は、
見るだけで気持ちが悪く、
児童書の棚に並べてあるのは、正直言って、
児童書の棚に児童ポルノが並べてあるのと同じくらい、倫理的にどうかと思う。


息子が誕生日プレゼントに「買って」と持ってきたのが、
まさにそんな本の中の1冊でした。

ちょっと迷いました。


それはだめ。
というのは、簡単。買ってあげなければいい。
「それは、なんら あなたのためにならない」
という理由も、きちんと説明できます。
ただ、そう説明したところで、「ふうん、そうか」と素直に納得するとも思えない。
人の心を刺激する本って、怖いもの見たさもあり、スリリングでもあり、
大人だって読んだり見たり、しているではないですか?
ダメと言われればなおさら、見たくなるのもまた心なのですよね。

というわけで、買いました。
いっさい意見することなく。


なんだか怖いらしくて、ちょっと読んではギャグマンガで中和している(苦笑)。
「ママもちょっと読んでみなよ~」と持ってきたので、一話目を読んでみましたが、
まさに私の中の「くそ」でした(笑)
怖い、といより、人を不快な気持ちにさせる本、なんだよね、要するに。
お風呂読書タイムで黙々と読んでいましたが、
読み終わって
「はぁああああああああ・・・・・・・・・」
と、私の顔を眺め、深いため息をつき・・・
「この本、(担任の)先生に上げる(←怖い本がお好きらしい)」
と一言。
「はぁああああああ・・・・」
「大丈夫、そのうち忘れてしまうからね」
という慰めの言葉しかありませんでしたが、
読ませて良かったのかは気にかかるところでもあります。

不快なもの、想像以上に嫌なものも、現実にはある、
ということを知るのも、また成長過程で必要かなぁ、
とも思うのですが、
できれば見せないでおきたい、まだ、見せないでおきたい、
とも、母はやはり思う。
自分で選んだ結果を受け止める、というお勉強を、息子はしたのじゃないかしら。


「あなたには十分に考えて選ぶ余地があった
その責任はおとりなさい。
その代わりに、この教訓を生かして大きな間違いをしないようになさいね」という温かさと厳しさ。
人を成長させるために必要なのは、
温かさと厳しさだとおっしゃる渡辺和子さんのご本を、母さん熟読し、熟考せねばな!







[PR]
by patofsilverbush | 2016-10-17 10:01 | 子育て | Trackback | Comments(0)

誕生日

神様と出会わなかったら、子育てはとてもしていけなかっただろう
と、いつも思います。
何歳だから、このくらいの成長。
何歳だから、これができるはず。
というように、いつも月年齢と成長の度合いの目安で「平均」を測られる子育てにおいて、
今、これができなくたって 大丈夫。
これができなかったとしても、問題ない。
と思えるのは、
「神様がお創りになった、この子はパーフェクト!」と信じられるからです。
完全無欠ということではなくて、
でこぼこであっても、どんなふうであっても、それが彼の「完璧」な姿である、と。
レディ・ガガも歌ってますもんね。
神様が間違うわけがない。神様がお創りになった、ありのままの、これがわたし!って。





6人の子供の母親になったアンと、彼女の子供たちの日々を描く『炉辺荘のアン』の中で、
アンが捧げるお祈りが好きです。


主よ
いたるところの母親をすべて助けたまえ。
導きと愛情と理解をわたくしたちに求める、敏感な 愛情こまやかな心や考えをもつ子供たちをかかえ、
わたくしたちには多くの助けが必要でございます




世間的な価値観にとらわれていたら、こんなに楽しく息子は育てられなかったと思います。
きっとわたしも 息子も、うんと苦しかったと思うのです。
多くの助けを必要とするわたしは、神さまの救い無しでは日常は乗り切れないにちがいない!
神様がお創りになった、パーフェクトで魅力的な子を、そのまま育てるために、
わたしには助けが必要です。
自分の価値観から解放されることや、押しつけないこと、狭量な心を広げること、
その他もろもろ。
それは、ある価値観にとらわれている自分や、それを押し付けようとする自分の傲慢さや、
心の狭さや、その他もろもろの自分を、ありのままに認めることでもあります。

わぁ、やなやつ!と思うこともあり、
ああ、こういう人なんだ、と冷静に思うこともあり。
ときにネガティブな感情に囚われてしまうこともあるのだけれど、
自分にはこんないいところもある✨
ということを、有頂天になったり天狗になったりせず冷静に眺めることと、同じように、
謙虚に「自分」というそのものを、受け入れられたらいいなぁ。
そんな日々でもありました。
もちろん、継続中です(笑)。



気持ちのいい青空や、輝く月が美しかった週末、
11歳の誕生日を迎えられた息子。
朝から、叔母(わたしの妹)たちや両家の祖母から、次々とお祝いメールが送られてきて、
とっても嬉しそうでした。
生れた日を祝福してもらえるなんて、素晴らしいことですね。
みなさま、ありがとうございました✨
感謝感謝。
と、シスターの口癖で、御礼申し上げます✨


健康や、幸福を思願ってくれる家族や、愉快なお友達や、笑いや、日々の幸福や・・・
たくさんのものに恵まれ、
また今日という朝を迎えさせていただけたことに、感謝感謝。
ありがたき幸せです、神さま!

















[PR]
by patofsilverbush | 2016-10-17 09:19 | 子育て | Trackback | Comments(0)

輝きの裏側

昔、SMAPのライブに密着したドキュメント番組を見たときに感じた
猛烈な嫉妬心を、いまだに覚えています。

もうとっくにバレエはやめていた私ですが、
そしてSMAPと比べるのもなんなのですが、すみません・・・と思う、
小さな舞台にしか立ったことのない私ですが、
舞台に立って、パフォーマンスをしたことのある身として、
彼らの舞台に強烈な嫉妬を覚えました。

舞台までのリハーサル、
いや、そのリハーサルが始まった、初めの一歩から、
実際に舞台に立つ瞬間までの、
彼らの、厳しいまなざし。
全力でお客さんを楽しませようと 五感を研ぎ澄ませたパフォーマンス。
当たり前で、ステージに立つ人なら誰でもそうであろうに、
あれほどに強烈な意識を感じたのは、SMAPだけでした。

あの輝くスポットライトも、
あの場にいる、すべての人の視線も、歓声も、拍手も、賞賛も、
すべて彼らのもの。
それだけのものを手にできる、彼らへの嫉妬や、
それだけのものを手にできる彼らが感じる、極度の緊張や 恐怖や責任や、
それを見せない、ただ全力で楽しませようとする彼らのパフォーマンスや。
いろんなことが強烈で、
言葉も出なかった。
「かっこいい」ことではなくて、輝きの裏にある彼らの、
プロフェッショナルな厳しさに、あらためて衝撃を受けたのでした。



今、ラジオから流れるSMAPの曲を聞いて、
毎週泣いてしまうのは、
あのライブがもう2度と見られなくなってしまうからです。
あれだけのものを、あれほどのものを。
あまりに惜しくて惜しくて、泣けてしまう。


いつもあんなにぎりぎりのところで生きられるのか。
というのを聞いたら、きっと「そんなところにいない」と彼らは笑って言うのだろうけれど。












[PR]
by patofsilverbush | 2016-10-16 14:02 | その他 | Trackback | Comments(0)

日々のあれこれを綴ります


by anne
プロフィールを見る
画像一覧