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愉快極まるひととき

きのうは金曜ミサに与った後、
久しぶりに友人と待ち合わせ。
会うのは2年ぶりくらいだったのに、
会った瞬間から「きのうも会ってました」という遠慮のなさ(笑)。
ランチ→お茶という長丁場をものともせず、話が弾んで、
はっと気づけば「え~もうこんな時間!???」と、
時計を見たわが目を疑う始末です。

バレエ時代の大親友ですが、
学年も、学校もちがうのに、
もっと言ったら学校生活や私生活、いわばプライベートな部分だって、
ほとんど知らないのに、
この「おいたちから知ってます」みたいな共感性は、
厳しい環境を潜り抜けてきた同士ならではなのかな。
近況から、子供のこと、バレエ時代のこと、宗教から仕事のことまで
とにかくしゃべってしゃべった、愉快な半日でした。

また、それぞれの場所で、
それぞれの日常をがんばるんだよね。

今日で9月もおしまいです。
秋も深まってきますね。
よい週末をお過ごしください。




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by patofsilverbush | 2017-09-30 13:30 | 生活 | Trackback | Comments(0)

主のみ心を行うこと

午前中は教会にて、シスターの主催するお勉強会があるはずだったのですが、
今朝の大雨。
家を出る頃にはほぼやんでいたのですが、
教会に着いてみると中止です、ということが判明しました。

帰りかけたところ、たまたま神父さまが玄関からお顔を出されましたので、
思い切って、
日ごろ悩んでいることについて、
お話を聞いていただくことができました。なんという主の思し召し!


教会というところは、
神様に祈る場所であると同時に、「共同体」という組織でもあります。
子どものPTA活動などもそうですが、
組織である以上、がっつり役割をもって参加した方が、
知り合いもでき、やることもでき、活動していくうえでのやりがいにもなる、
という面があります。

ただ、すべての人が、そこに「がっつり」取り組めるかというと、
そこには個々にそれぞれの事情があるわけで。


教会というのは、別に善人の集まりではありません。
まだ洗礼を受ける前には、「閉鎖的だなあ」と感じたこともありますし、
洗礼を受けてからも、オープンマインドの人は少ないように感じるのも事実です。
教会に行く・行かないで信仰の度合いを測るような風潮も、なくはないですし、
信仰があることをアピールするために、役職に積極的についたほうがいい、
という善意のアドバイスをいただくこともあります。

わたしは神さまに相談した結果、
今はとにかく、子供のことに専念しよう!と決めていますので、
正直言ってミサに与れることも、ままならないのが現状ですが、
その気持ちを汲んでくださる方と、
とにかく教会に来るように!教会は癒しを求めるためだけに来る場ではないよと、
善意の厳しいアドバイスを下さる方とおり、
その善意を否定せずに、
けれど「主がわたしに求めていることは、今はこれなのです」といちいち説明もできず、
ちょっと閉塞感を感じていました。

「教会に行く」ことや「教会で奉仕活動する」ことで、
信仰が測れるとも思わないし、
教会に行かなければ、神さまと会えないとも思っていない、
むしろ、教会の外の、それぞれの場所で
どうクリスチャンとして生きていくのか、ということが大切では???
でもそれって、わたしの言い訳に過ぎないのかな??
という疑問に、
神父様は
「教会のことはできる人がやればいいのだから、
言い方を考えつつ、断ればいいんじゃない?」とあっさり(笑)。
「信仰は生き方ということだから、教会で何をする・しないについて、
別に引け目を感じる必要はないですよ」と。


神父様のお墨付きをいただきました!というわけでは、けっしてありませんが、
ほっと気が楽になりました。


信仰というのは本当にバランスで、
個と団体、とか、
受け入れることと 主体性をもって取り組むこと、とか
忍耐することと 変化しようと決断すること、とか
「主がこうおっしゃっている」と信じることと 
「でもそれは、人間としてのわたしの個人的な感情ではないのか?」と疑問を常にいだくことetc.
いつもバランスを取れるように、
なにかに傾いてしまわないような
自己の規律が必要です。

そしてそれとは別に、
個人として神様からいただいている
課題みたいなものに取り組んでいくことは、
誰に対してもナイスな人間でいようと思うことなく、
強い意志をもって!取り組まねば、と
教会うんぬんではない厳しさも、あらためて心した、
ありがたい朝でした。

本当は、誰に対してもナイスであることと、
神様のご意思に従うことは両立可能であるとは思っています。
ただ、お互いへの敬意がなければ、無理だとも思っています。
相互関係は、一方的な思いだけでは解決しないのが難しいところですね。





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by patofsilverbush | 2017-09-28 14:12 | | Trackback | Comments(0)

中学を前に

きのうは、ご自宅で私塾を開校されている先生がお話をしてくださる、
小さな集まりに参加してきました。
10人に満たない少人数でのお話会でしたが、
ご自身の塾にも発達障害の方がたくさんいらしているという先生のお話だけに、
集まったのも、
発達障害がある・またはグレイゾーン??である子供たちを持つお母さまが多かったようです。


「こういうテーマで」という講演会ではなく、
お母さま方の「うちの子はこんなことで困ってるんですが・・・」
というそれぞれの話を聞いて、
真摯に、やさしく答えて下さる先生。
みなさんのお話に
「うん、わかるわかる!」と共感できる・してもらえる喜びを覚えたり、
「うーん、それは難しいね・・・」と親身な感想を抱いたり。
なかなか理解されなかったり、説明が難しかったりする子供のことや、
自分の心のことを、
無理解なまなざしにさらされることなく話せる場所があるのは、
素晴らしいことだと思いました。
わたしは幸い、共感してもらえる、または「それはそれで個性」と思ってくれる友人に恵まれたので、
息子が淡いグレーゾーンであっても、さほど悩むことなく今を過ごしていられますが、
誰にも言えない・・・という気持ちを抱えて子供と向き合うお母さまも、
きっとたくさんいらっしゃると思うのです。
“障害”の度合いが大きければ大きいほど、
理解してもらう努力をあきらめてしまうことも、あるのではないでしょうか。


あるお母さまが、
「うちは完全に発達障害だから、支援学級で特別扱いしてもらえるけど、
グレーゾーンにいる子は、普通学級で、一人で何でもやらなくちゃいけないから、
かえって大変そう」
という感想をおっしゃられていました。
うーん・・・どちらが大変ということはないけれどもね(苦笑)。
自分の子が発達障害であることや、
自分が発達障害である、ということを、
まず認めることそのものが、多くの人には大変なのだろうと思いますが、
まずはそれを認めることが、本人にとってのよい一歩につながることは、間違いなさそうです。


先生のお話で印象に残ったのは、
「子供が苦しい思いをしているようなら、学校なんて行かせる必要ない。
他にも行く場所は、探せば見つかります」
ということ。


子どもを守れるのは親だけ。
中学校は子供そのものを見る場所ではなく、勉強を教えるところ。
(だから子供のために訴えても、何もしてくれない場所です)
先生というものは大学で教職課程をとって、教員資格を持っている、ただそれだけの人。

柔らかで静かな口調で語られる、厳しい現実!?
でも、いじめによる自殺だと本人の遺書を前にしても、
「いじめの事実はなかった」と発表されるようなニュースを見ていれば、
それが現実なんだなと思わざるを得ません。
中学に入れば(育児の)手が離れるよ、というのも本当だけれど、
「子供を守れるのは親だけ」ということは、きちんとこの先も、
肝に銘じていなければならないなと感じました。







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by patofsilverbush | 2017-09-26 09:13 | 子育て | Trackback | Comments(0)

心弾む

キンモクセイがふわっと香るお彼岸。
昨日はお墓参りに行き、忙しかった今週もフィニッシュです。
そして来週はさらに忙しいという、
なんだかわたしには珍しく、予定が満載のこの9月。

このところ、ちょっと自分を甘やかしていた向きもあるかなぁ
などと思うけれど、
それはそれで、必要な時間であったとも思う。
キンモクセイが甘く香るので、なんだか祝福のようです。

何をするにもよい気候。心が弾みますね。
よい日曜日をお過ごしくださいませ。


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by patofsilverbush | 2017-09-24 11:21 | 季節 | Trackback | Comments(0)

頑な

ある絶対的な価値観や、それに伴う義務や行動を、
「同じ価値観を持つものなら、おこなってしかるべき」と強要する、
そんなできごとにぶつかると本当に疲れます。

いろんな事情のある人がいて、
その「行ってしかるべき」義務や行為が、できない人もいる、
一時的にできない理由がある人も、いると思うのだけれど、
強要する人にとっては、
「できない理由」は「できないいいわけ」にしか過ぎないのですよね。
できないいいわけをして、甘えているだけだと思っているし、
誰かが何かしてくれるのを、待っているだけだと思っている。
自分に都合のいいことだけを、期待しているだけだと思っている。
相手の中に深い思想があるなんて考えもせずに、
反省や熟考をうながす人。

自分にはわからない、あるいはいっそ、
他の誰にも分からない、
その人だけの事情を理解しようとせずに。


もちろん、言い訳の時だってあるかもしれないけれど、
言い訳してでもしたくない理由が、またあるのかもしれないし。


結局のところ、「同じ価値観をもっている」というたてまえのもとに、
自分の価値観を上乗せして、できない人を責めているだけでは・・・??
という気持ちがぬぐえません。
きちんとしていて、まじめで、理知的な人に多いような。
義務を遂行する決意に満ち満ちている。


今日は、そんなふうな壁を感じて、ちょっと疲れた一日でした。









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by patofsilverbush | 2017-09-21 15:55 | | Trackback | Comments(0)

お芋のケーキ

明日ははじめて、教会の地区集会に参加させていただく予定です。
持ち寄り集会のため、
久しぶりにパウンドケーキを焼いてみました。

家族や友人なら、多少?の不出来など気にも留めずに食べてくれますが・・・
うーん、お口にあうといいのだけれど!
痛み止めの香料が入っていないのを祈るばかりです!
とりあえず、粉は入っている模様(笑)。

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by patofsilverbush | 2017-09-20 09:11 | 生活 | Trackback | Comments(0)

晴天に

台風一過の青空がひろがったきのう、久しぶりに息子と散歩に出かけました。

グゥェロロロロ・・・
というような、なんとも言えない鳥の声に、
からすの子ども(の甘え声)かな?と見上げると、
真っ青な空に悠々と輪を描く鳶と、
ばたばたと羽根を羽ばたかせながら、必死にくっついていこうとする、
小さなシルエットが。
「あ、赤ちゃんじゃない?」と 息子もすぐに気づいて、
2人でしばし、飛行訓練の様子を眺めてしまいました。
気流に乗り旋回する、優美なお母さんと、一生懸命 羽を動かす子供。
彼女も空の上から、わたしたち親子を見ていたかもしれません。
あら、同じね!って。


散歩は、来年、入学する中学校まで。
小学校まではほど近いのですが、やや遠くなる中学校は、
その場所自体がよく分からなかったため、確認したくなったようでした。
ふだん自転車で遊び歩いているテリトリーの、さらに先へ。
ほんの少しですが、足を延ばせば
車で走っている道でも、子どもにとっては自分の行動範囲外です。
ほんのちょっと緊張する、ほんのちょっと不安。ちょっとだけ心配。
なにしろビビリな息子なので、
下見に行くくらいのことで、そんなちょっとした不安や心配が少なくなるのなら、
20分ほどの散歩もお安い御用です。
往復したら小一時間だけれど(笑)。


今朝、学校へ行く息子を、ベランダで洗濯物を干しながら見送りましたが、
手を振って去ってゆくのをみて、
学校まで送っていった一年生の日々のことを懐かしく思いだしました。






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by patofsilverbush | 2017-09-19 14:15 | 子育て | Trackback | Comments(0)

マリア様のこころ

今日のミサは「マリア様の深い悲しみに沿う」がテーマでした。
神父様のお説教が沁みました・・・・( ;∀;)


カトリック教会においては「神の母、聖マリア」と呼ばれ、
みんなのお母さまであられるマリア様ですが、
わたしは、
マリア様がごくふつうのお母さんであったところがとても好きです。

もちろん敬虔に神を信じる、「ふつうの」人よりもきっと強い信仰心があったからこそ、
神の子であるイエス様を授かったのですが、
マリア様ご自身は「神」ではなくて、
授かった子がどう育つのか、どんな運命を背負っているのか、
わからないから戸惑い、哀しみ、大切な我が子の死にゆくさまに嘆き悲しむ
そんな、ごく当たり前な人間のお母さんであったからこそ
より、マリア様に助けとなぐさめを祈りたくなるのです。

自分には計り知れない神の御心やご計画が どんな形をとって毎日の出来事にあらわれようとも
何も言わず、そっと心にとめて生きることは、
なんて難しいことでしょうか。
まして自分のことではなく、
大切な我が子に降りかかることであれば、
どんなことをしてでも「自分が思う幸せの形」に添わせたいと願ってしまうものだけれど、
自分のまったく予期しない、子どもに用意された主の御心を信じる強さを思うとき、
神様への強い、絶対的な信頼を感じます。
自分が子供に用意できる(と傲慢にも思う)中途半端な幸福みたいなものではなくて、
もう絶対的に、
神様はこの子に、最高の物を用意してくださっているのだという信頼。
自分の気持ちで、その恵みをねじまげようとしない謙虚さ。


ふいに、わけもわからず心がいっぱいになって、涙が溢れてくる時は、
目に見えない主が、恵みをこころに満たしてくださったときなのだと、
おっしゃるキリスト者の方も多いと思いますが、
本当にその通りで、
なんだかすごくよく泣くようになった。
今日のミサ中も、なんだか泣けてしまい、
大人げないような気がしましたが(苦笑)
涙は、目に見える主の愛や恵みなのだと思います。


子どものことで多かれ少なかれ日々 心を悩ましている、
そして子供の幸せを願っている、世界中のすべてのお母さんに、
愛と祈りを送ります。











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by patofsilverbush | 2017-09-15 13:35 | 子育て | Trackback | Comments(0)

AかB

むかし、知人が主催する自己啓発セミナーのようなものに行ったとき、
トップセールスを誇る営業の女性が
「やるか、やらないかです!やればわたしのようになれますよ」
と言ったのをきいて、
「やらない」を選択したワタクシですが、

AかB、どちらか選ぶ、
ということは、すごく苦手です。
やるか、やらないかと似ているようであるけれど、ずっとむずかしく感じます。


結果的にどちらのほうがベストであるのかわからない、
先が見えない道を選ぶこと。
決めかねて2か月ほど、どうしようかなぁと頭の片隅においてあることがあります。


どちらを選んでも、
神様がよきように導いてくださるのだと、今、キーボードをたたきながら思いました。

選択することは、重大なようでありながら、
実はほんの些細なことなのかもしれない。
選択したことにどのように取り組むのか、のほうが、きっとずっと大切なことなのです。
どちらを選んでも、
その人が取り組んだようになってゆくのだし、
神様はその人にとってよい恵みを、惜しみなく下さるのだから。

決定しなければならない期限まで、まだもうちょっとあるので、
それまでによく考え、かつ祈りたいと思います。








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by patofsilverbush | 2017-09-13 12:59 | | Trackback | Comments(0)

親友宣言

「○○と親友だってことがわかった!」
と、学校から帰ってきた息子の、こんな報告。
その○○くん、何年も前から、息子となかよくなれそうな子だよなぁと
母は思っていたのですが、
時々遊んだりはするものの、「すごくよく遊ぶ」風でもなくて、
不思議には思っていたのでした。

まぁ、母の感想はさておき。
「それって、○○くんに確認したりするの? “おれたち、親友だよな” とかって言うの?」
「そうだよ。握手するんだよ。勝手に親友って言うと、××(←クラスのリーダー格の男の子)に
逮捕されるんだよ(※もちろん、遊びです)」
えー、親友宣言ですか!びっくり!

「太陽と月のあらんかぎり・・・って言わないの?」
とからかったら、
「言わない。握手するだけ」
とのこと。

「わたしたち、親友よね♡」は 女子だけの世界だと思っておりましたよ。
男子もそんなことしてるんだ~。
それとも、息子の学校だけ?
流行ってるの?
自分も体験してきたとはいっても、
子どもの最新情報はいつでも新鮮です。






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by patofsilverbush | 2017-09-11 13:10 | 子育て | Trackback | Comments(0)

日々のあれこれを綴ります


by anne
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