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冬!

おはようございます。
関東地方は凍える寒さ!
冷たい雨の音に目をさましましたが、今やそれも
音もなく降る 雪に変わっています!


こんな日ではありますが、
ご入学を迎えたみなさま、おめでとうございます。
きっと、あと後まで、思い出に残る入学式になりますね。



さて、我がパートナー氏は日勤と夜勤の繰り返しのシフトで 仕事をしています。
夜勤の日は 夕ごはんを家で食べてから、出社しますが、
時間の関係上、
そんな日の夕飯は いつもより1時間はやい、午後5時と かなり早め。
その後、わたしは息子と一緒に歯磨きをしてしまい、
夜食もおやつも食べずにご就寝・・・という、ヘルシーな食生活を送っているわけですが、
寝る前に、なんとなく小腹がすいたときに、
お弁当の本をちょっと見るのが好きです。

お弁当の本、といっても
レシピ本ではなく、目下 よくながめているのがこちら↓

冬!_d0314849_08244350.jpg
シリーズになっており、こちらは3冊目。
文字通り、メジャーなお料理研究家でも、著名人でも芸能人でもない、
ごくふつうの人が作る、マイお弁当が紹介されている本です。


おかずが盛りだくさんのお弁当から、
女子なのに、男子の弁当?と見紛うお弁当、
または、ごはんにおかずがどーんと一品載っているだけの、まさに男子弁当、
男子なのに、きれい~、こんなの作れない!と思うお弁当、
などなど、
作った方が 楽しんで作った、
作った方のための、日常のお弁当です。

ちょこっとレシピも載っていて、
作り方の参考にもなるのですが、
この本の何が好きって、
やっぱり、お弁当は、好きなようにつめていいってことかなぁ。

彩りとか栄養とか可愛さとか、いろんなことを考えていると、
お弁当作りはめんどくさくなってしまうかもしれないけれど、
なんでもいいんだ!と思えると、
明日もお弁当を作ろう、
冷蔵庫に何があったかな、と思える。

節約のためでもあり、
多少、栄養が偏っていても、添加物が入ってない分、いいかな
というあたりが、わたしの落とし所。

というわけで、
きのうは久しぶりに、夜勤のパートナー氏のお弁当を詰めました♪

冬!_d0314849_08245646.jpg
白いのは、ゆで卵。
半分にカットしたのに、お弁当箱が深くて、
まるまる一個の形で入っちゃった。
ハンバーグ、青梗菜とちくわの炒め物、にんじんのオリーブオイル煮、ジャガイモのハーブ炒め。
白いご飯に梅干しは、画竜点睛というか、
あるとないのとでは雲泥の差、一気に全体が引き締まります。


ほぼ、夕飯のおかずという(笑)、サプライズのないお弁当なので、
申し訳ない気も半分、
「おいしそ♡」という気も半分(笑)。


頑張らないし、さぼってもいい。
それが、お弁当ライフのコツかもしれませんね。

え、小腹がすいた時に、そんな本見たくない?
よけいお腹がすく?
うーん・・・
間髪いれずに寝てしまえば、なんとなく、
満ち足りた気分で眠りにつけるもんですよ~(笑)。















# by patofsilverbush | 2015-04-08 08:46 | 本・映画

春!

今日から新学期が始まりました。

花粉のため、ず~っと部屋干ししていた洗濯物も、
久しぶりに外に干し(だってこの日差し!もったいない!)
窓も開け放って、一日中、たっぷりと風を入れて・・・
なんて気持ちがいいの。

ここ数日、あまりにもじっと座ってちくちく手仕事していたので、
エコノミー症候群にならないように(笑)、
散歩ついでに、買い物に出かけました。

きっとどこのおうちの花壇も、綺麗なのでしょうが、
住宅街を歩くのは あまり好きでないので、
散歩のときは、なるべく人通りの少ない道を選びます。

畑の横っちょには、意外とお花が植わっていることが多くて、
なんでもなく、生えてきました~という風情が とってもかわいい。

春!_d0314849_14084205.jpg
先週の風と雨で、散ってしまったかな、
と思っていた桜も、
ある場所では、まだ満開を少し 過ぎたところ。
風が吹くと 花びらがひらひらと舞って、
ああ、桜が散ると、なぜか静御前を思い出すんだよね・・・と、
しばし 遠い昔に思いを馳せたりして。

不思議ですよね。

春!_d0314849_14132611.jpg

お花見の宴席は、苦手です。
一人で静かに花を見たいし、さまざまな思いが湧きあがってくるのに、
わいわいとお酒を飲む意味が、まったくわからない(笑)。

こんなに可憐な佇まい。少女のようです。

春!_d0314849_14144764.jpg
ぎぎぎ・・・という、あの独特の鳴き声に、見上げると、
黒いフロックコートのつばめが。


アンがやってきたのも、こんな季節ですね。


「自分って、もっと○○だと思っていたのに、意外と ちがうのかなぁ」
と、つぶやく人に、
「始まったね」と
バーの店主・セツコさんが。

映画『マザーウォーター』の一場面です。

自分が知っていると思っている自分なんて、ほんのわずか。
思い込んでいることも、いっぱいあります。

それに気がついたときから、始まること。動き出す時間。

「たのしい時間が始まるね」

バーをあける、宵の口。
でも、楽しいのはその日一日、そのひとときだけじゃない。

楽しい時間が、始まっています。












# by patofsilverbush | 2015-04-06 14:24 | 季節

イースターおめでとうございます

昨日はイースター。
肌寒い、雨もよいの一日でしたが、

夜中に ふと眼を覚ますと、
明るく 大きな月が輝いていました。

イエス様に出逢い、新しく生まれ変わった自分で、
あらたに人生が始まります。
毎年毎年。
素晴らしいですね!
灰に戻って、そして、生まれ変わり、
無垢な、新しい瞳で、世界を、自分を、見つめられるというのは!

   
     わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、
     わたしの道は あなたたちの道と異なる と
       主はいわれる。

     天が地を高く超えているように
     わたしの道は、あなたたちの道を
     私の思いは
       あなたたちの思いを、高く超えている



神さまは、どのような道をご準備してくださっているのでしょう。
一人ひとり、その人にふさわしい道
豊かな喜びへと続く道は、
どんな道なのか、歩きだしてみなければ わかりません。


     雨も雪も、ひとたび天から降れば
     むなしく天に戻ることはない。
     それは 大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ
     種まく人には 種を与え
     食べる人には 糧を与える



雨の日や、凍えるような雪の日があっても。
「どんなふうになっても、大丈夫なのよ」
と、シスターがよく、
ゆっくり、味わうように、そうおっしゃっていたのを思い出します。



      あなたたちは喜び祝いながら出で立ち、
      平和のうちに 導かれていく。
      山と丘はあなたたちを迎え
         歓声をあげて喜び歌い、
      野の木々も 手をたたく。


                  (イザヤ55-8~12)


神さまの慰めや祝福を必要としている、すべての人に、
何も欠けることのない世界が 訪れますように。










# by patofsilverbush | 2015-04-06 09:24 | 季節

キスが目に見えるとしたら

庭に、小さな花畑ができました。


キスが目に見えるとしたら_d0314849_13510252.jpg



日当たりがよくないこともあって、憧れの花いっぱいなお庭にはなりませんが、
いわゆる園芸種の、
花期が長く、華やかな色合い、おおぶりのお花には、あまり興味がないので、
こんな小さく 地味な花が ぽつりぽつりと咲いている庭も、
わたしらしいかな。


庭、というより、
林の中を、散歩している気分を味わえます。

キスが目に見えるとしたら_d0314849_13511577.jpg
「もし、キスが目に見えるとしたら、すみれのようなものではないかと思うわ」

と言ったのは、アンの友人のプリシラ。
素敵。
我が家の“小径”にも、キスがあちこちに散らばっています。



ブログタイトルの “ささやく小径”は、
モンゴメリの小説『銀の森のパット』から借りてきました。


「ダイアナに借りた小説にでてきたので、あたしたちも欲しくなったのよ。
とってもロマンチックでしょう?」
と、アンも 家の裏手の道を、“恋人たちの小径”と名付けていますが、
庭、というにはちょっと細長い、小さなスペースに、
煉瓦を敷いて、
だから 我が家の“庭”は、“小径”でもあるわけです。


幸せというのは、
現実に 目に見えたり、手で触れるものよりも、
目に見えないものを どれだけ感じられるか によるところが、
大きいような気がします。

何を、どのくらい持っているから幸せ。
持っていないから 不幸せ。
という単純なものではなくて、

自分の毎日の暮らしに、どのくらい歓びや、感謝を感じられるか。

もっといえば、目には見えないけれど、
確かにそこにある、何か美しい、幸せに満ちた気配を 感じ取れるか。

何か持っているから幸せになれるわけじゃない、
幸せだと感じるから、幸せ。
あ、すごく単純なことですね!


幸せな人は、どんなふうに見えても幸せなのですし、
幸せじゃないと感じている人は、何を、どのくらい持っていても、幸せじゃないのでしょう。


自分の持っている、
明るく、前向きで健全な、よいエネルギーが、
ハッピーオーラを作りだすことも、もちろんあるでしょうし、
目には見えない幸せな気配を感じ取って、
ますます自分もハッピーになることができる。

生きていくって大変で、
大人になると、心が傷つかないように、
ある種の鈍感さを身につけていくものだけれど、
鈍感なままでいると、そんな気配にも鈍感になってしまうものかもしれません。


いろいろな経験をして、防御する時期を経て、
だんだんに、少しずつ、
いろんなものに心をひらく、
また硝子のように透明な、繊細な心で 生きていたいものです。
たぶん、むかしよりは若干、強化ガラスになっている。と、思いたい(笑)。
年齢を重ねた強みかもしれないですね(笑)。





















# by patofsilverbush | 2015-04-04 14:09 | 季節

聖金曜日

主のご復活、イースターを明後日に控え、
今日は聖金曜日。
イエスが十字架につけられた、ご受難の日です。

聖書のその個所を読むと、胸が痛くなるし、
イエスがわたしたちのために払われた「命」という犠牲を思い、
「わたしたちも 犠牲を捧げるように」
と 教会でも言われます。

教会に行き始めたころは、
主がわたし(たち)のために捧げてくれた、大きなものを思い、
犠牲を捧げるのがクリスチャンの務め、というようなイメージを抱きましたが、

洗礼を受けてからこのかた、
実はあまりそんなふうに、この時期を(いや、いつもか)
過ごしたことは、ありません。



神さまがわたしたちに求めているのは、
犠牲を捧げることではなく、
日々を 楽しく過ごすことではないかと思うからです。


一般に「楽しい生活」という言葉から連想される生活とは、
もしかしたら 少し違うかもしれませんが、


日々、自分に与えられることに感謝し、満ち足りた気持ちで過ごすこと。
神さまがわたしに求めておられることが なんであるのか、
知るための、または そのようになれるための 努力を惜しまないこと。
どんなことが起ころうとも、その中に光を見出せるように、
つまり、
神さまの方を向いて生きていくこと。

その中で、「犠牲を払う」ように思える出来事があったとしても、
それを「犠牲」だとは、感じないのじゃなかしら。
だから わざわざ「犠牲を払いなさい」というのは、なんだかちょっと違うような気がする・・・
と 思ったりして。



これは神さまのご意思?それとも、わたしの勝手な解釈?
と 思い悩むことはしょっちゅうですし、
神さまの目線で物事を見るなんて、とうていできず、
不満もいっぱい、
神さまのご意思であると思われることが、あまりに自分の気持ちとかけ離れていて、
ぐるぐると煩悶してしまう日常です。

神さまよりも、人の意に沿って生活している方が 楽だと思うこともあるし、
(神さまは赦して下さいますが、人は なかなか許さない生き物ですから)
神さまの方を、いつも向いて生きるのは、
一口に、単純に「癒し」とは言えないようなことでもあります。

それでも癒しであるのは、
神さまが 大きな愛で包んでいて下さるから。
神さまの愛の中にいることを 幸せと感じるからこそ、
「(この)世」でない、もっと大きな世界の中に生きようと、思えるのです。

『 誰かのためにはらうのは 犠牲ではなく、
わたし(主)の愛を あなたのまわりに伝えなさい 』
と、いうことではないのかな。


他の誰か、ではなく、
この「わたし」、神さまがお作り下さった「わたし」に、
神さまは 何を、どう生きることを、望んでおられるのか。


「わたし」にできることは、ほんのわずかです。
でもこの数日、少しだけ、わかりかけたこともあります。


   いつも喜んでいなさい。
   絶えず祈りなさい。
   どんなことにも感謝しなさい。
          (テサロニケ1 5-16~18)


聖書のなかの、大好きな句です。




















# by patofsilverbush | 2015-04-03 10:31 | 聖書

日々のあれこれを綴ります


by anne