楽な選択でもいい!

ふだん のんびり暮らしていますが、
時々「さあ、どうする?どうしよう?」と
やる・やらないの選択を迫られる時もあります。
そんなたいした事じゃなくても(笑)、
「お肉とお魚、どっちにしますか?」的な、
小さな選択を繰り返しながら、わたしたちは日常を過ごしているわけですが、
時々は悩ましく、決めかねることも、ありますよね。

出さなきゃいけない書類とか、
これをしないと物事の流れが滞る、という場合は、もちろん
気が向かなくてもしなければならないけれど、
別に何が滞るわけではないというとき、
「やりたくないなら やらない」という選択をしてもいいかな
と、最近、ちょっと思えるようになりました。
やりたくない、ことでも、
やったほうがいい?と、なんだか自分に枷をつけてしまう傾向があるのです。
責任感なのか、いい人ぶりたいだけなのか。
できる範囲でする、の「できる範囲」を、
自分に嘘をついてまで広げてしまうというか。
できるんだけど、本当はやりたくないと思ってることって、ありませんか?
それをしないと、すごく罪悪感があった。
できるんだけど、やらない自分に対して。

そんなに自分に厳しくなくてもいいか、と
今はちょっと思う。


本当に自己管理のできる人からしてみたら、
「十分、甘すぎですっ!」というレベルですが(苦笑)
まあ、自分が苦しいというのは、
せっかく生きている「私の人生」の中で、わたしがかわいそうだな~
なんて。

それでもまだ、迷って決めかねることも もちろんあるけれど、
「やりたくないなら、やめたら?」
と言える親切は、自分のためにしてあげてもいいかな。
そんな選択肢も、あるよ!と提案できるようになって、
だいぶん、気が楽になりました。





[PR]
# by patofsilverbush | 2017-06-08 13:59 | | Trackback | Comments(0)

余地

息子の幼稚園は、近所にあるものの、
いわゆる認可の大きな幼稚園ではなかったので、
小学校で、同じ幼稚園に通っていた、という子はほとんどいません。
みんな小学校に上がってから友達になりました。

親である私も、だから子供たちのことはほとんど知りません。
息子を学校まで送っていくうちに、お互いに顔を覚えた・覚えてくれた子、
ソーイング活動で学校に行くうちに、「あれが○○(息子)のお母さん」と
覚えてくれた子もいるし、
けっこう子供って、「誰々のお母さん」を知ってるもんだなぁ!とびっくりします。


「しっかりした子なんだな」
「身体は大きいけど、おっとりしてるんだね」
「うちの子と似たようなタイプなのかな」
「活発なんだね」などなど、
息子の話しから、それぞれのお友達の印象を受けるわけですが、
ときどき、主観と客観ということを考えます。

仲のいい、好きなお友達のことを話すときには楽しい気ですが、
相手のいいところや、かっこいいところばかりではなく、
「意外とこんな面もある」ということをぱっと話すときなど、
本人はたぶん無意識だけれど、相手のことを客観的に見ているんだろうなと
感じることもあります。
いいところも、そうでないところもあって、総合して「誰々」。
一緒にいて楽しいときもあれば、今日は一緒に遊びたくないかな、
という日もあって、それがふつうというか。
男の子ならではのさっぱり感なのかなぁ。

一方、ちょっと苦手な子の場合は、
なかなか「いいところ」に目がいかないようで、
そんなときには、主観で話しているのかな?
それとも、それが客観的に見たその子の姿なのかな?
と、相手を知らない、受け手である私は ちょっと考えなければいけない時もある。
うちの子がこういっていたからと言って、
悪いのはうちの子かもしれない、ということも、
往々にしてありますからね。
もしかしたら、息子の言う通りの子なのかもしれないし、
そうでないかもしれない。
と、思う余地は、必要かなと思います。


自分の目線もそうですが、
何事も客観的にとらえるのは難しいことです。
つい、感情的になったり、ある一つのことにしか、目が向かなくなったりする。
視野が狭くなっている。
正面からは見えないけれど、球体には裏側もある、
と思う、心の余地は、ないよりあったほうが、きっと心が緩やかだし、おだやか。









[PR]
# by patofsilverbush | 2017-06-07 09:26 | | Trackback | Comments(0)

合気審査

きのうは半年ごとに行われる、合気道の昇級審査がありました。
無事に準4級、合格!ということで、ほっとひと息。
審査してくださるのは外部の先生というわけではなく、
いつもの道場の先生ですし、
「このレベルなら受かるんだから、受けなさい」という感じなのですが、
それでもやっぱり、みんなが見ている前で審査されるというのは、
かなり緊張することですよね。
息子の学年、6年生は人数も比較的多いので、
一人っきりで審査されるわけではないのが
息子としてもほっとするところ。

子どもと大人の、ちょうど中間くらいの年齢。
いつも子供たちは1時間で稽古が終わり、
そのあと大人は続けてさらに1時間、稽古がありますが、
「そろそろ、大人と一緒にどんどん稽古してください」と言われていました。
わたしがバレエを習っていた時も、
子供のクラスから お姉さんクラスに上がったのも、
確か6年生か中学一年くらいだったかと。
いったい何をやっているのか分からない💦くらい難しくて、
始めのうちはほんっとに!!緊張したっけなぁ。


息子が通っている道場は、お父さんと子供、で習っている方もとても多くて、
(お母さんと息子さん、という組み合わせも)
かっこいい中学生や高校生は少ない(😢)のですが、
その数少ない高校生の男の子の演舞をきのうは見られて、
わたしも見ごたえがありましたわ(笑)。
(彼は攻めが綺麗なのはもちろんのこと、
受けがもう、格段にほかのひとより美しくて♡
動きが美しいと、やっぱり目が吸い寄せられますね)


これで春の行事は一段落。
来月の修学旅行まで、ちょっと気持ちがのんびりできそうです。

みなさまもよい週明けをお過ごしくださいませ!




[PR]
# by patofsilverbush | 2017-06-05 09:39 | 子育て | Trackback | Comments(0)

『イ・サン』

ただいま毎日、夫が見ている韓国ドラマが『イ・サン』。
前にちらっと書いた『トンイ』と同じく、韓国王朝物です。
『トンイ』を見終わったとき、朝鮮王朝最悪女と呼ばれているとかいう、
チャン・オクチョンのあまりの企てっぷりに、
「もう陰謀はいいよ・・・」と思ったのですが
(聡明そうな美人の女優さんが演じていらして、お顔だけでも見ごたえはあったけど)
夫が遅番出勤で出かける、直前の時間帯に放送しているため、
家にいるとついつい、いっしょになって見てしまう
→続きが気になる
というスパイラルに(苦笑)。
どこの世界でも、権力争いと陰謀が渦巻いている、それが王朝(笑)。

『トンイ』は王様を支える女官トンイが主人公でしたが、
『イ・サン』の主人公は、
父である世子(セジャ・王の跡を継ぐもの)を無実の罪で殺され、
自身も、幾度も暗殺の危機にさらされながら王に即位した、
トンイのひ孫にあたるイ・サンです。

民を慈しみ、
欲にまみれた重臣たちが、民から搾取する世を変えたいと奮闘するサン。
現行の制度を改革すること、
そのたびに巻き起こる重臣らの反発。
反対勢力を、権力を使って一掃すればいいと思う部下に対し、
「わたしが目指すのは、多くの意見が調和する世なのだ」
と サンは説いて聞かせます。

「自分に都合のいい者だけを集めた世ではなく、
賛成するもの・反対するもの、あらゆる意見を集約して、
調和をはかることこそが大事なのだ」と。
どこかの国のトップリーダーを名乗る方々に、聞かせたいようなセリフですが、
その人たちは自分の保身や、権力を振りかざすことに汲々としている
重臣たちのほうに似ていますね。


暗殺計画や、クーデター計画を幾度も企てる者たちを、
個人的には「許すまじ!復讐してやりたい」という怒りを、心のうちに覚えるサンですが、
一個人ではない、王である立場を考えれば、
自らの言動は慎重に律しなければなりません。
そんなサンが、幾度、寛大な心を見せても、
自分の保身や欲ばかりを考える人々は、自らが犯した罪について、
なんら反省の色を見せないどころか、ますますサンに反発を強めるのです。
さあ、サンは自らの良心に従った改革を、どのように進めてゆくのでしょうか。

そんな『イ・サン』を毎日見ていると、
ふと、
いったい、他人の罪を幾度許せばいいのでしょう?
とイエス様に聞いた聖書の中の人を思い出しました。

他人の罪を幾度許すか。
というと、それこそ陰謀や窃盗や殺人など、いわゆる刑法にひっかかりそうな
重い罪を想像しますが、
「もう~!何回言ってもやらないんだから!」とか
「またですか?」と言いたくなるようなことって、
日常の中で 実はたくさんありますよね。

毎回、同じことで悩んでいますが、
「誰かのためにやってあげよう」という、義侠心から何かした結果が、
わたしにとっては あまり愉快なものではなく終わった、
のに、
相手に同じようなことを求められると、
つい親切心というか、そういうものが芽生えて、
またやってあげようかなと思う
→結果は結局のところ、あまりわたしは愉快なことにならない
というばからしいことを、幾度か繰り返してしまった後で、
ばかばかしいからもうやめた!と思ったりする。
「こうしてほしい」と言われて、したあげくに、さほど感謝もされず、
時には馬鹿を見るようなことになるのだけれど、
自分がバカを見るくらいのことなら、幾度でもやってあげればいいことなのか、
人の欲求や要求なんて無視してしまえばいいのか、
毎度毎度、ちょっと悩むんですよね。


イエス様のお答えは、「7の70倍」つまり、何度でも許しなさい。
なかなかに高すぎるハードルです!


おこった出来事そのものは、些細なことであれば たぶん、
時がたてば忘れてしまうことのほうが多い。
でも その時感じたことって、小さなことでもなかなか
「なにもなかった」かのようには思えないもので。

要求してくる相手に対し、
「自分がどう受け止めるのか」
「自分がそれに対し、どういう態度で臨むのか」
サンの戦いを見ながら、
自分の在り方について、ちょっと考えたりします。


自分のできることで、お役に立てたり、喜んでもらえたら嬉しいなと思うけれど、
自分のできる範囲や OK!と思える範囲があまりに狭いという壁に
ぶつかっているわけですな(^^;)










[PR]
# by patofsilverbush | 2017-06-04 10:32 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

ばかばかしいけど

安倍政権になってからなのか、
あるいは以前からそうであったのに意識しなかっただけのか、
はたまたアベさんが嫌いなあまり、自分が過剰反応しているだけなのかわかりませんが、
「一億総○○」の名のもとに、どうも何かを強制する方向に、
国全体が向かわされているような気がします。

社会的に、金銭の発生する場で“活躍”することとか、
子どもの道徳心や愛国心に点数をつけて洗脳しようとか
(↑そこまで言ってない?でもそういうことですよね。全国いっせい森友学園化ですか)
憲法9条を改正しようとか、自衛隊を戦闘地帯に派遣させたいとか。

一億総スポーツ好きにしようという、ばかげた案があるとかで、
なんだかもう、タメイキものです。


ばかばかしい、などと笑っていられるうちはいいけれど、
気づいたときには笑い事じゃすまなくなっている、ような、気がします。






[PR]
# by patofsilverbush | 2017-06-03 15:01 | その他 | Trackback | Comments(0)

調理実習で

みなさんは好き嫌いはありますか?
わたしは辛いものがダメだし、息子はアレルギーこそないものの、卵が嫌いです。
ケーキやホットケーキなどに混ざっているのは大丈夫ですが、
「たまご」ってことがわかるともうダメ。
甘い卵焼きだろうが、卵サンドだろうが、かつ丼だろうが食べません。

さて、学校の調理実習で
スクランブルエッグを作る由、
しばらく前からやだなぁ やだなぁと言っており、
「食べなくていいように、連絡帳に書いてあげようか」ということになったのですが、
いざ、書くとなると、なんて書いたものやら??

好き嫌いなく、なんでも食べられるように「指導」する
という授業の趣旨も、大切だとは思うし、
「これが嫌いだから、食べさせないでください」と書くのも、単なるわがままだなぁ
とは思ったのですが、

実際は大人だって苦手なものはあるし、
食事は楽しいもので、嫌いなものを無理やり食べさせる時間ではない
という気持ちもある。
嗜好も年齢とともに変化するし、
今、食べられないものを
今、食べさせる必要があるのかどうか。
うちでも時々「一口食べてみる?」と 一口だけ、チャレンジさせてみることはありますが、
無理強いしたことはありません。
本人の身体が、「必要じゃない」と言っているのだと思うのです。
発達障害の一環として、好き嫌いとは無関係に、
「食べられないもの」というのもあるらしいですね。
うちの子がそれなのかどうかは不明ですが(笑)、
第一、個人の好き嫌いまで「指導」されたくないし!というのが正直な気持ち。

というわけで、
「食事は楽しくするものだということを 第一に大切にしたいので、
試食は本人の意思に任せていただけるとありがたい」むね、
連絡帳に書いてみました。

帰宅後、
「たまご食べた」と言うので、
「先生が食べなさいって言った?」と聞くと、
どうやら、わがままだと自分で思ったらしく、
連絡帳も先生に見せることなく、ちょっとだけですが食べたそうです。


「くそまずかった!」そうですが(笑)、
自分の意思でチャレンジしてみたこと、すごくえらかったと思いました。

わたしが連絡帳に書いたことは、個人的なわがままでもあり、
個人の自由を尊重することでもあった。
すごくわがままかも、と思っても、
どうしてもそれを通したい、個人の自由もあれば、
わがままを抑える必要性もある。
先生や親や、誰かの言いなりになるのではなくて、
その場その場で自分で判断できるようになれば、と思っていますが、
大人でもムズカシイことですよね。
そういう場面がちょとずつ増えていって、彼自身の判断ができるようになれば
と思います。










[PR]
# by patofsilverbush | 2017-06-02 08:58 | 子育て | Trackback | Comments(2)

日々のあれこれを綴ります


by anne
プロフィールを見る
画像一覧