祝!再放送

今週の水曜日から、
待ってました!『プリンプリン物語』再放送が始まりました✨

わたしと同年代の方、ちょっと年上の方は、
ご存知の方もいらっしゃるかな?
1979年から3年間、NHKで放送されていた人形劇。
放送当時6歳のわたしは、内容はまったく覚えていなくて、
プリンプリンの美しい銀髪の髪型が素敵♡ということしか記憶になかったのだけれど、
人形劇の最高傑作!と言われていたそうで、
再放送が始まる前の特集番組では、その人気の高さをうかがい知ることができました。
今まで夫以外の誰からも「プリンプリン」の話は聞いたことがなかったので、
みんな知らないのかな~
なんて思ってました。びっくり。


当時、録画に使っていたのは高額なオープンリール。
一度しか使わないのはもったいない!と
撮っては消し、撮っては消しと使いまわしていたため、
録画そのものの保存がまったくなかったらしいのですが、
声の出演の方、人形制作者の方、人形操作の方たちなどが
当時 放送したものを、ご自分のために録画していたビデオテープが見つかったことで
めでたく再放送可能となったそうです。
素晴らしい!


何年か前に後半部分だけ、再放送されたことがあり、
毎回15分の番組を、
わたしも夫も、毎日楽しみにしておりました。

お守役のおさるさん・モンキーと共に箱に入れられ、波間に漂っていたところを
漁師に拾われた赤ちゃん。
箱に王冠が入っていたことから、
「どこかの国のプリンセス」ということだけは分かりましたが、
それ以外の手掛かりはまったくありません。
15歳の少女になったプリンプリンは、
友人のボンボン、オサゲ、カセイジン(と呼ばれていますが、火星人ではありません)と共に、
まだ見ぬ祖国を探す、長い旅に出かける、という内容。

以前も書いたような気もするのですが、
大人の目で見返してみると、
世相や国家の在り方に対する風刺や皮肉、示唆に富んだ、
たいへん深い内容です。
「限りなく美しく、この上もなく清らかな、愛に満たされたところ」
それがわたしの故郷だと、プリンプリンは歌いますが、
行く先々、問題を抱えていない国はない。

子供番組らしいというか、それとも、らしくない、というべきか、
けっこうはちゃめちゃな場面も多くて笑えますが、
なにしろ、15分番組なのに、劇中歌が多い!
歌ってるだけで、話の内容がさっぱり先に進まない~なんて時もありますが、
毎日見て、毎日歌をきいているうちに、子どもでもきっと覚えちゃうんだろうな。
そしてその歌が また素晴らしいのです。
我が家にはCDもありますが(笑)
素晴らしい歌詞、珠玉の名曲の数々!
(お金さえあれば幸せになれる~という、
あからさまな欲望に満ちた悪役の歌なんかもあり、かなりインパクトもあります・笑)
本当によく口ずさんでいるので、
実際には『プリンプリン物語』を見たことがない息子も、
歌は知っていたりします。


今回の再放送は、残念ながら毎日ではなくて
毎週水曜日、2話分ずつの放送。
いまだ欠けている回もあるそうですが、
なにしろこれから始まるプリンプリンとの旅が 楽しみです。














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# by patofsilverbush | 2017-07-07 08:49 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

かご

かごを見ると、素通りはできません。
カゴバックであれ、収納用であれ、
かごを見たら立ち止まる!は、私の中ではもはや合言葉(苦笑)。
数々のかごが家にあるというのに、
お店でもウェブショップでも、かごをチェック。
なんていうかやっぱり、人が、手で、作ったものが好きなのよね。

一口にかごといっても、けっこう雑な作りのものも多く、
きちんと、丁寧に、作られているものは、やはりお値段もそれなりに・・・。
うかうかと買えはしないのですが、
その素朴でシンプルで誠実なたたずまいを見るだけで、
心が落ち着くように思います。

なにか素敵なものが見たいなぁ~✨
という気分の時に、
よくかごのウェブショップをのぞいてはうっとりしているわたしに向かい、
「またかご見てる」とあきれる夫。
「わくわくしませんか?」
「いいえ、俺のギターのサイトをみてるあなたと同じくらい、
まったく何も感じませんよ」
ああ、そう。いい例えですね!

出かける時の荷物は少ない方ですが、
それでもふだん、お出かけに持ち歩くかごは、
それ自体、それなりの重さがあります。
最近、本当に身軽に出かけたい時に使っているのが、
この小さくラブリーなかご↓

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こちら、実はかれこれ・・・うーん、何年前かな?
もうわからないくらい前に、誕生日に妹ちゃんたちに買ってもらった
お気に入りのかごなのです(覚えてるかな?)
息子が生まれるよりも、もっともーっと前だと思うのですが・・・
そうなるともう とにかく、少なくとも12年以上、前ですね。


持ち手の部分が本体から外れてしまい、
麻ひもで固定しているのですが、
持ち歩いている時にはずれるのが心配で、ずっと小物の収納に使っていました。


小さなお財布と、ハンカチ、リップ、携帯電話。かぎ。
なんとなく、いつものお財布をいつものように持ってしまうけれど、
小銭入れに必要なだけのお金やポイントカードを入れれば、
こんなにも身軽なんだなぁ!と、心も軽やかです。
中身が軽ければ 持ち手が外れるようなことも、今のところなく、
このラブリーなかごを持ち歩くことに、ウキウキ(笑)。


雑な作り、というわけではないけれど、手ごろなお値段で気軽に手に入れたものは、
気に入ってはいるけれど、実はあんまり思い入れはないことが多く。
思い切って買った!というものや、
値段はさほど高くはなかったけれど、あの時に、あの場所で、買ったもの、
と記憶がはっきりしているものは、
やっぱり使う頻度も高く、わたしとの親密度も高い(笑)。
手軽で惜し気がないというのも大事ですが、
この先、かごを買うならば、
やっぱりある思い入れをもって、大切に使えるものに限ろう、
と 
かごを見れば立ち止まりつつも、最近ではそう思っています。










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# by patofsilverbush | 2017-07-06 14:49 | 生活 | Trackback | Comments(0)

ビートルズがやってきた

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朝ドラ『ひよっこ』の劇中で、ビートルズが来日しましたね。

夫はずっとビートルズ好きですが、
わたしはドラマ『glee』の面々が歌って以来なので、
すごく最近、聞くようになりました。
(といっても、夫が車で流すのを、聞いているだけですが)
わたしにとっては劇中でgleeのキャストが歌っているのが
“ビートルズ”なのですが(ビートルズファンの方、いらしたらごめんなさい!)、
それでも、もともと好きな曲もあったり、
本家ビートルズを聞いているうちに 覚えて好きになった曲もあるので、
おお!ビートルズ来日か!
と、ムネオさんと同じように感慨深く、
来日を見守っています(笑)。


この曲を作ったとき、神さまが降臨したに違いない!
と思う、メッセージ性の強い歌もあって、
わたしの心の中で、何かはっと、
今、主のみ言葉を聞きました!(*個人的感想です)
という「気づき」体験をするとき、ビートルズの曲を聴いていた
ということも、幾度かあります。
歌詞にインスパイアされて湧き出る気づきなのか、
そのとき、自分に必要な祈りの答えを、神さまがくださっているのか
意見はあるかと思われますが、
わたしにとっては、それは祈りに対する、神さまの答えのような気がしています。



ある体験をする機会に恵まれた、
のだけれど、その体験を、自分は望んでいるのだろうか?
もっと端的に言ってしまえば、
それって必要な体験?どちらかといえば、不要では?
と思って、体験することを迷っていた数年前、
やはり車中で聴いていたビートルズの曲に、はっとしたことがありました。

それが必要なのか、不要なのか、
何を私が決めようとしているのだろう。
それがどんな経験になるのか、やってみなければ分からないというのに、
「わたしには不要」だと 決めつけようとしている愚かさ。
それが身になるのか、ならないのかは実のところ問題ではなくて、
そうやって世界を狭めようとしている、気持ちの頑なさに気づいたということなのです。

その体験をしたことが、今、結果的にどうであったかのか、
わたしははっきり「よかった」「素晴らしい体験であった」とは言えません。
それがあってもなくても、
たぶん気持ちは変わらないのだけれど、
宗教にある「洗礼」という儀式を、
形式ではなく、気持ちで語るとしたならば、
たぶん、私が主の洗礼を受けたのは、その瞬間だったのではないかと
今は思います。
自分ではかる、小さな思いや希望を超えて、
もっと大きな何かにゆだねること。

ビートルズが神や洗礼について歌っていたわけではないのだけれど、
I say Hello
と言われたあの瞬間の衝撃は、ちょっと忘れがたい。


愛がすべてだと、くちずさむ日。
あるがままでよい、と思う日。
こわがらないで、気持ちが変われば、すべてがうまくゆくよ、と鼓舞する日。
毎日の中で、小さく歌を繰り返して、
やっぱり愛がすべてだと思う、ビートルズ体験。
来日時のわくわくも体験できてよかったです♫












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# by patofsilverbush | 2017-07-06 13:58 | | Trackback | Comments(0)

ママをおやすみ

今週の金曜日から1泊2日で、息子は修学旅行へ出かけます。
何日も前からわくわくと興奮するアンと同じく、
あと何日だね!と毎日、指折り数えるくらい楽しみなご様子。
もう鞄に荷物も詰めたし、
「今日、行きたいなぁ~」と毎朝(笑)。
1泊と言わず、1週間くらい、行っててくれればいいのに(笑)。

朝、学校へ送り出してから夕方帰ってくるまで、
毎日一緒にいる時間も少なくなってきたけれど、
それでも、なんだか夜の時間も解放される!と思うと、
わたしも指折り数えて楽しみにしております。
ゆっくりセールでも、見に行っちゃおうかな~なんちゃって。

きっと実際はふだんとそんなに変わらないんだろうけれど、
なんとなく気楽で、
「ママ」をお休みできるのは、楽しいことでもあります。

ところで先日、
「ママって、ママらしいね」
と息子に言われました。
よそのママがどんなママであるのか、わたしには分からないし、
たぶん息子にだって分かりはしないのでしょうけれど、
そもそも、ママらしいママってなんだろう??
じゃあ、ママらしくないママって?
ママらしい、と言われて、べつだん、
嬉しくもなければ哀しくもなく、
そう言った彼の口調も、「これは鉛筆です」くらいの、まったく普通の調子だったので、
「そう??」としか言いようがなかったのですが
ママとして、これは信頼できる人だ、と
思ってくれているのならいいなぁ。







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# by patofsilverbush | 2017-07-05 17:31 | 子育て | Trackback | Comments(0)

『西の魔女が死んだ』

とてもとても久しぶりに、読み返しました。
梨木果歩さんの『西の魔女が死んだ』。
新装版として新刊書コーナーに並んでいた、そのシンプルなたたずまいに惹かれました。

映画化もされた、著者の代表作ともいえる作品。
梨木果歩さん、大好きで、
我が家の本棚にも幾冊もならんでいるのに、この本は、
一度買ったものの、手放してしまった本でした。
初めて読んだのは、いつの頃だったか。

初版の奥付を見ると、1994年4月19日発行とある、
と あとがきに書いてありますが、
わたしが初めて読んだ梨木さんの本は、
2004年の第6版の『春になったら苺を摘みに』なので、
少なくとも2004年以降。
それでもかれこれ、13年前ということになります。
30代になったばかり。
何回か読み返して、それでも手放したのは、
たぶん、主人公・まいの気持ちと、おばあちゃんの気持ちが
自分の中で交錯して、うまく処理できなかったからではないかと思います。


中学へ上がったことをきっかけに、学校へ行かれなくなってしまったまいと、
「魔女」であるおばあちゃんが共に暮らした、1か月ほどの物語。

おばあちゃんの暮らしが、それはそれはもう、わたしの理想通りで、
(映画を観ると、本当にもううっとりして「ここに住みたい」と思うくらい)
お祖母ちゃんの語る死生観も、
もうまったく「その通り、わたしの想像と同じ」だったので、
だからこそ、あるいきさつの末に “西の魔女が死んだ”ことは、
わたしの中で、かなりショッキングでした。
「いつ死んでもいいように、大好きなことは、とにかく今日、伝えよう」
と思う、きっかけになったかもしれない。


おばあちゃんのような暮らし、と
まいがそれを「即座に拒否」したように、
まだまだ外に流されて行こうとする気持ちが交錯した
13年の時を経て、
今回、わたしはもう、まいよりも、おばあちゃん寄りの気持ちで
この本を読みました。
書き下ろされた、おばあちゃんのある1日を描いた短編は、
だから本当に、
「ああ・・・」と思った。
今は、だいぶん、自分の外側のことに目が向いてしまっているなぁ、と。
そんな時期なのかもしれないけれど、
「生活は小さくていい」とある日決めた、そのことから、
少しまた、ぶれが生じている。と。
わたしは、「オールドファッション」な生き方が好きなのだと、
改めて思ったのです。


『ただシンプルに素朴に、真摯に生きる、というだけのことが、
かつてこれほど難しかった時代があっただろうか。
社会は群れとして固まる傾向が強くなり、声の大きなリーダーを求め、
個人として考える真摯さは揶揄され、ときに危険視されて、
異質な存在を排除しようとする動きがますます高まってきた』

という言葉に続いて、
この、静かな、
シンプルかつ素朴、真摯な生活を描いたこの本を、
再び送り出す言葉として、梨木さんはこう、あとがきを締めくくっています。


『私たちは、大きな声を持たずとも、
小さな声で語り合い、伝えていくことができる。
そのことをささやいておいで』
と。


声高に叫ぶことで、かき消される声があること。
声高に叫ぶことで、叫ぶことが目的になってしまうこと。
聞く意思を持たなくなること。
声高に叫ばれることで、自分で考えることを、しなくなること。

そんな世の中で、シンプルに素朴に、真摯に生きていこうとするのは、
確かに難しいことだと感じざるを得ないけれど、
そう、
わたしは、そう生きたいのだとある日思った、
そのことを、今、大切な時に思い出させてくれた再読になりました。

また、心新たに。
新しい週が始まります。
今日も楽しく過ごせますように。
みなさまもよい1日をお過ごしくださいませ。

















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# by patofsilverbush | 2017-07-03 10:09 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

海賊もやってきた!

魔女や魔法使いは、子供の頃からいつでも身近にいる存在でしたが、
それと同じくらい、身近な存在だった
ということに気づいて我ながら意外だったのが、海賊です。


初めて出会った海賊と言えば、
わたしも息子も、たぶんフック船長であろうと思われます。
わたしは絵本で、息子は映画で見た、ディズニーの『ピーター・パン』。
ピーターの永遠の敵、悪役の海賊ですね。

今でこそ、男の子は分からんちん・・・と呟く日々を送っていますが
子どもの頃は血の気が多かったようで、
『三銃士』はじめ、冒険活劇物語が大好きでした。
フック船長の次に出会ったのは、『黒い海賊』。
こちらは真っ黒な服に身を包んだ、もと貴族の海賊で、
フック船長とは違い(笑)物語の主人公、
裏切りによって殺された家族の復讐を誓う、孤独で勇敢な海の男であったし、
次にであった海賊は映画『グーニーズ』の“片目のウィリー”。
こちらも、ブービートラップをしかけるユーモアのある、魅力的な海賊でした。
『ツバメ号とアマゾン号』シリーズで“アマゾン海賊”を名乗る、
ブラケット姉妹を加えれば、
私の人生にの傍らには、いつも海賊がいることになります。

ディズニーランドに初めて行ったときから今にいたるまで、
一番好きなアトラクションはカリブの海賊ですし、
わたしの日々の生活にはとんと縁のない、冒険の香りを海から運んでくれるのが、
そんな魅力的な海賊たちなのです。


わたしが『グーニーズ』を観たのと同じ、6年生になった息子が、
やはり去年くらいから『グーニーズ』を楽しむようになり、
最近は『パイレーツ・オブ・カリビアン』に夢中。
息子の人生にも、魔法使いとともに、海賊がやってきたようです。






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# by patofsilverbush | 2017-07-02 10:34 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

日々のあれこれを綴ります


by anne
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