み言葉

人が「宗教」に「走る」とき、
「あの人、なにか(つらいことや 悲しいことが)あったのかしら?」
と なんとなくちらっと頭をよぎる人も多いのかもしれません。
わたしがキリスト教の勉強を始めたときは、
息子がちょっと理解しがたい(笑)ということを除いては、もうまったく悩み事もなくて
むしろ、何か(つらいことや 悲しいことが)あったとしたら、
「宗教なんかに頼るものか!」と変な意地を張って、キリスト者にはならなかったかもしれません。
単なるすりこみですが、それほど「宗教」には、あまりよろしくないイメージを持っていました。
ただ単純に、子供の頃から読み慣れてきた外国の少女小説の影響で 
キリスト教は「よく知らないけど身近なもの」であり、
それってどんなもの?アンの中に出てくる聖書の言葉って、本当はどんな意味なの?
という興味があったにすぎなかったように思います。

シスターに一番初めにお会いした時も、
それからお勉強中にも幾度も聞いた、シスターのきっかけはこんなふう。


「あるとき、“人は死んだらもうそれで終わりなの?もう一巻の終わりなの?” という疑問がわいてきて、
たとえば(シスターのお母さまが入信していらした)神道にも、仏教にも、
自分が探している答えはないように思えた。
プロテスタントの教会へ行ったら、扉が閉まっていたけれど、
カトリックの教会へ行ったら、扉が開いていて、
聖書の中のイエス様の言葉が書かれていた。
      
       疲れたもの、重荷を背負うものはだれでもわたしのもとに来なさい。
       休ませてあげよう。
       わたしは柔和で謙遜な者だから、
       わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。
       そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
       わたしの軛は負いやすく、私の荷は軽いからである


それで、神さまの愛を感じたのよ」


初めてこの話を聞いたとき、正直言って、「なぜ、それで神さまの愛を感じたのか」
理解できませんでした。
「神様の愛を感じる瞬間」があって、人って本当に信仰するのだと思うけれど、
そういう、個々に訪れる瞬間って、本当に説明しがたい。
みんな同じじゃないし。


とても優しい、ある意味で、あまり信仰に興味がない人が考える「神様」っぽいこの言葉。
わたしも折々に繰り返して読むことも多い言葉なのですが、
最近になって、
ああ、疲れていたし、重荷を背負っていたから、
自分はあのとき、キリストに導かれていったのだな、
と自覚するようになりました。

いっけんすると、よくわからない息子のことが
けっこう心の負担だったように思われるかもしれません。
そして確かに、神さまと出会わなかったら息子を育てるのは心の負担になっていたかもしれない
と思う瞬間は、多々あるのだけれど、
実際は彼のことはまったく何の問題もなくて、
自分が背負ってきた荷物や、思考の在り方に、ただくたびれていただけなのでした。
だから息子はむしろ、わたしにとっては
神様が取り除いてくれたわたしの「重い荷物」のかわりに持たせてくれた、
「軽い荷物」であり、重い荷物をおろさせてくれた喜びでもあるのです。


本当のところ信仰って、自分が何の信仰心もないときに考えていたような
ただただ だらりとよりかかって「癒してもらう」ものでも
ただただ あなたにお任せ♡的に「頼るべきもの」でもなくて、
「わたしってこんなふうだから、誰かどうにかしてください~」というような甘えのきかない、
自分の足できちんと立って、きちんと神様と向き合うべき、
まったく別の意味での「癒し」であり「頼るべきもの」であることがわかりましたが、
このイエス様の言葉は、
本当にその通りだと、
自分でも気づかなかった心の中の「重荷」を少しづつ気づかせてもらい、
「こんなものを持っていたから重かったんだ!」とびっくりし、
「それでもなんだか捨てられない!意味もなく!」という 
わけのわからない執着を されに気づかせてもらって、
日ごとに心に染みる言葉となっております。


み言葉は生きているって、本当にその通りなのですね!












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# by patofsilverbush | 2017-04-25 09:09 | 聖書 | Trackback | Comments(0)

常識的な価値観、は、ときに窮屈

合気道は人と競うことのない武道、というところが好きなのですが、
義父はどうしても空手とごっちゃになるらしくて、
「がんばってオリンピックに」とか「(試合で)優勝したら」と、
それはそれはしょちゅう言っています。
苦労して家族を養ってきたという自負もあるので、
「がんばって目に見える成果を出す」ということが大事みたい。
「子供たちが全員結婚して、どこのうちにも孫が生まれて、
我が家に遊びに来てくれる、こんな幸せなことはない」
と言ってくれるのはいいのですが、
「子供が結婚できないうちだってあるんだから」
「孫ができないうちは不幸だよ」
「こんな幸せになりたかったら、おまえもがんばれ」
と、
結局は他人さまと比べて、自分の基準で幸せ度をはかり、
その基準を人にも押し付けてくるにすぎません。
自分がいかに、人様の幸福を願い、人様に尽くしているかを語ってやまないし、
そんな自分がいかに幸福を築いたかの自慢話のアピールを常にしていないと気がすまない。
とても常識的な幸福の測り方なんだろうと思うのですが、
とてもとても窮屈です。

きのうも、義母が手作りしたかわいいブローチを、息子が「わぁ、すごいね!」と
胸に付けたところ、
「男がこんなものをつけたらダメ!もうはずしてお母さんに渡しなさい」と
声高に言いつのり、
義母が「べつにいいじゃないの」と言っても
「いやいやお母さん、ダメなものはダメなの!男がこんなものをつけるのはダメ!」
と、滑稽なほど大騒ぎするには、笑ってしまいました。

こうあるべき姿、
その結果としての成果。

誰にでもあると思うのだけれど、
価値観の幅はなるべく広げたいとは思います。自分にとっても、周りの人にとっても。

いつもモデルさんのようにお洒落で、インテリア雑誌に登場するような素敵なおうちに住み、
仕事もばりばりしているのにお料理上手で、ホームパーティーなんかもお手の物。
そんな自分とか、
成績優秀、スポーツ万能、正義感が強くて自分の意見もきちんと言えて、
かつ、人の気持ちも考えてあげられる優しさをもつ。
そんなうちの子とか、
いうこととはまったくかけ離れた自分であり、うちの子であるので、
けっこう早い段階で比較をやめましたが(というか、あきらめた、というのが正解か)、
そうでなかったら、けっこう劣等感を刺激されてつらかったかも、
と思うくらい、
なんとなく子供のことを張り合ってくるお母さんというのも、けっこういるもので。

張り合って結果を出すのが、楽しいのかもしれませんね。

脱落してよかったと思う今日この頃です。











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# by patofsilverbush | 2017-04-23 15:48 | | Trackback | Comments(0)

今日は誰に?

今朝の散歩はびっくり、イタチに遭遇(笑)。
散歩中は、川や花やあれこれを見たりして、あまり道そのものは見ていないのですが、
ふと前方に目を戻すと、ちょっと先に、こちらを見ている茶色の小さな生き物が。
近づいていくと草むらに隠れてしまいましたが、
動いてるよん、草が。どこにいるか、すぐわかっちゃうよ。
と、しばらく眺めていると、やがてちょこっと顔を出した彼と、
至近距離でぱったり目が合い(笑)
「あれ!そんなところにいたのか!失敗!」って感じで 奥深くへと入っていかれました。
そう、そんなに小さな体というわけでもなかったのだけど、
なんだか「男の子」って気がする。表情とか、仕草?とかが。

カワウソだったらよかったのになぁ~
なんて思ったけれど(絶滅危惧種から、絶滅になってしまったけれど)
どこかにひっそり、いるのでは?いつか会えるのでは?という夢は捨てきれない。

それにしても散歩。
いろいろ楽しい出会いがあります。
岸田衿子さんいわくの「あかるすぎて 本が読めない」この季節。
可憐な花と、
今日のラッキーアイテムで、
楽しい一日になりますように。

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# by patofsilverbush | 2017-04-21 12:01 | 生活 | Trackback | Comments(0)

似合わない問題

みなさんはパンツ派ですか、スカート派ですか?
お店でお洋服を物色したり試着している時に、店員さんに
「ふだんはパンツ派ですか、スカート派ですか?」
と聞かれることは、よくありませんか?
ふだん着ている服に、こんなふうにもあわせられますよ、
というコーディネートの提案をしてくださるため(だと思うの)ですが、
わたしは半々くらいで、スカートもデニムもはいています。
けれども!
最近ぶち当たっています、「デニムが似合わない問題」に!

今まではいていたデニムが変。
単に、最近流行りのハイウエストの形とちがうから 古臭く見えるのか?
とも思いましたが、
いや、単純に足が短いんだよ( ノД`)(え、今さら・・・?)
ヒール高めの靴をはいても、なんとなく「変」な感じは否めないので、
足の長さの問題だけではない。と思いたい!のだけど(笑)、
似合わないことには違いなく。
あれやこれやと試しては「なんか違う・・・」と呟く最近。

じゃあ、まあ、スカートをはいていればいいのですが、
日々、自分の身体って変化してるんですね。
身体だけじゃなくて、心境の変化からくる雰囲気の変化とかも、
あるのかもしれないけれど、
なんでも永遠に変わらないことってないんだなぁ。
そしてけっこう、短いスパンで変化が訪れるのも、40代だからなのかもしれないと思ったり。
傍から見たら「別にいつもと変わらない」ように見えるかもしれないことなんだけど、
自分の中の小さな違和感や、しっくりこない感じに、
敏感にはなっていたい。
オモシロクナイけど、オモシロイ気づきでもあります。









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# by patofsilverbush | 2017-04-20 15:53 | ファッション | Trackback | Comments(0)

取り換えがきかない

一人息子なせいなのか、うちの子はとにかく甘えん坊。
学校から帰るとまずハグ。
疲れていたり、学校でなにかオモシロクナイことがあったときも、
なんとなくぐずぐずとくっついてくるので
ハグは体調や気分の分かるバロメーターでもあります。
よそのおうちの話を聞いても、男の子は基本的に甘えん坊みたいですね。
弟や妹がいたりすると、なかなか思うように甘えられないようだけれど。
自分のしたいことがいっぱいあるわたしは 基本的にはほったらかしだし(苦笑)
「ママ優しい♡」と「ママ厳しい!」は、同じ頻度で言われてるけど(そうかなぁ~心外だわ!)
外からおうちに帰ってきて、ほっとしたい、スイッチを切り替えたい、安心したい、
という気持ちの表れなら、気持ちよくハグしてあげれば、
また元気よく遊びに行きます。
可愛いしね(笑)

ただ、体調が悪いときや、することが立て込んでいるとき、
そうでなくてもなんだかイライラしてる!ってときは
あまりにしつこいハグや、愚にもつかないマシンガントーク永遠に続いたりすると
苦になることも、もちろんある。
そんなときにパパが家にいたりしても、
自分はテレビを見ながら「少しは我慢しろよ!」と息子を叱るだけなので、
「なんか違う・・・・」
と思うこと、よくあります。
せっかく家にいるんだから、ママの代わりに話を聞いたりしても、いいんじゃない?
ママができない時こそ、代わりになってほしいのだけれど、
自分は何もしないで、とにかく子供に我慢させようとする。
なんか、男のひとの発想なのかなぁ。


そりゃあもちろん、我慢も必要ですよ~。
人の様子を見て、「体調悪いのかな」などなどと気づかいのできる人には、なってもらいたい。
自分一人で生きているわけではないので、
自分を抑えることも必要。なんだけど。
わたしが本当に体調が悪くて寝込んでいる時、
たとえパパがいて家事・食事の支度などをしてくれたとしても、
息子はパパに日々の話はほとんどしません。
わたしの邪魔をしないように、ひとりで我慢もしている。


だから日々のちょっとした時くらい、ママの代わりに可愛がってくれる人がいてくいれると、
ママも安心するのになぁ
と思う。
ただ無条件に「可愛がられてる!」「大事にされてる!」と感じることって、
特別なときだけではなくて、
日々のちょっとした無条件の受け入れから生まれるような気が、するんだけどな。
子どもにとっては、だから「お母さん」というのは 取り換えがきかない存在なのかもしれません。






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# by patofsilverbush | 2017-04-20 09:38 | 子育て | Trackback | Comments(0)

おとといの川沿いの散歩では キジをたくさん見かけましたが、
きのうの散歩は路地だったので、猫にたくさん遭遇。
向こうから悠々迫らざる様子で歩いてきて、
すれちがいざま「よう」と鷹揚に声をかけてくるような、
ミスター・マッキンタイア(仮名)。
街路樹の陰からちょっと顔を出したところで目が合って、
「あら!」と人の顔を凝視したまま固まる、ミス・シンプソン(仮名)。
ポターのお話の中みたいに
「人間」とか「猫」とかの、区別や距離を感じない。
外で会うと、猫はみんなそんな感じです。



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# by patofsilverbush | 2017-04-20 09:06 | 生活 | Trackback(1) | Comments(0)

日々のあれこれを綴ります


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