中学説明会

あっというまに新しい年の、初めのひとつきが終わってしまいました。
今年度は
「あと一年で(小学校)卒業だね~」と言われることも、言うことも多かったのですが、
「あと3か月だね~」で始まった1月も過ぎ去り、
もはやあと2か月。
本当にあれよあれよという間です。

先週は中学校の説明会がありました。

わちゃわちゃと遊び暮らしていた小学校の頃に比べて、
それなりに自我が芽生えた「中学生の思い出」は、
私にとっては「小学生の思い出」よりは、もう少し近いものであり、
高校のときはバレエに心の重点を置いていたことを思えば、
一番「学校生活」というものが充実していた時期でもありました。

なつかしいな~、制服。
幼稚園が私服だったので、
息子にとっては初の制服ライフが始まるわけです。



説明会では先生からの、
入学までに準備するもの等についての基本的な説明もありましたが
学校行事に関しては生徒会の生徒さんが説明をしてくださいました。
制服や行事について、
てきぱきかつ、はきはき説明してくださるみなさん。
中学生っておとな!
と思いつつ・・・
息子が小学校に入学した当時、
6年生のお兄さん・お姉さんがとっても大人に見えたことを、
ふと思い出しました。


今日、必要なものがきちんとそろっているか、
サイズ感など確認しながら あらためてできあがった制服を
家で着せてみましたが
あまりに大きい学ランに笑ってしまいました。
ハイカラーもハイカラー、とんでもなくハイカラさんですよ(笑)。

親が寒い体育館で、震えながら説明されている間、
あたたかな教室で簡単な?テストと面接を受けていた息子たち。
「中学、楽しみ!!」だそうなので、
とりあえずは、よかったよかった^^






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# by patofsilverbush | 2018-02-03 14:32 | 子育て | Trackback | Comments(0)

スコーン

おやつがないなぁ~
でもこんな寒い日に、おやつのために買い物に行くのはいやだなぁ。
パウンドケーキでも作ろうか・・・
あ、卵もないわ^^;

などとぐだぐだ言っているうちに、
始めればちゃちゃっとできてしまう、
本日のおやつはスコーン。

粉と牛乳、こめ油とお塩少々というシンプルさ。
おやつなので小さめに作ると、
形を選んだりしてちょっと楽しい。


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# by patofsilverbush | 2018-01-25 13:27 | 生活 | Trackback | Comments(0)

雪の夜 雪の朝

雪でしたね~⛄

息子が学校から帰宅した、3時過ぎくらいから
あれよあれよと積もりだして、
おととい夜勤→きのうも夜勤シフトの夫は、昨日は帰宅せず。
昨夜の勤務をすませて、今日の帰宅とあいなりました。

お仕事やお出かけされていた方、大変でしたね!
おつかれさまでした。
お怪我などはなさいませんでしたか?


しんしんと降り積もる雪の夜は奇妙に明るく、
今日も、庭に積もった雪のハレーション効果で室内がふだんより明るく、
爽やかでさえある。
朝からがっつり雪かきした後の、すでに全身筋肉痛のからだに
熱い紅茶がヒュッゲです(笑)。
とにもかくにもビバ、雪かきスコップ!これさえあれば怖くない(笑)!


「長野でさ~、雪を見慣れちゃったせいで、
みんなみたいに雪だ~✨ってはしゃげなくなっちゃったよ」
と、いっぱしの雪国感を出す息子(笑)。
見慣れてるだけで、雪かきなんてしたことはないんですけどね^^;



針仕事をせねばならないのですが、
なんだかスコップを握っていた指先が(というか、腕自体が)重たくて、
日ごろの運動不足を実感しているわたくしです。


これからまだまだ、凍結なども心配ですから、
引き続き、お気をつけてお過ごしくださいね。











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# by patofsilverbush | 2018-01-23 14:02 | 季節 | Trackback | Comments(0)

香煙

昨年末、11月末に祖母が帰天(・・・はカトリック用語ですかね。ふつうに言ったら他界)しまして、
昨日の四十九日・納骨で、
葬儀からの一連の儀式はひと段落。
わたしはほとんどタッチしていませんが、
両親はこれでちょっと一息つけたかもしれません。

わたしにとって「大好きなおじいちゃん・おばあちゃん」は
もうだいぶ前に帰天した母方の祖父母であり、
父方の祖母は、
祖母とはいっても正直言って好きでも嫌いでもない、
「あそこのおばあちゃん、いつも可愛くないのよね~。あ、うちのおばあちゃんか!」
というような、
ちょっと他人感覚でいないと
こちらの気持ちがノックアウトされてしまうような、
そんな人でした。


悪気はないのだけれど(たぶん)、
人の気持ちに無頓着な結果、人を傷つけるようなところがあり、
(言い方、というやつですよね)
実の息子である父に対しても、
嫁である母に対しても、
はたまた孫に対しても、たぶん大差はなかったと思われます。


そういうの、どうしてかなぁとずっと疑問でいたのですが、
きのう、
納骨をすませてお墓の前であらためて手をあわせながら、
ふと
祖母はもしかして最後まで、自分を大事に思えなかったのかもしれない、と思いました。


自分だけが大事だから、
他人の気持ちに頓着しなかったわけではなくて、
ほんとうは自分が大事な存在だということがわからかなったから、
他人の気持ちにも無頓着だったのかもしれません。


認知があることは本人もずっと自覚していた晩年。
「もうわたしなんて」とよく口にしていたけれど、
わたしはずっと、
「年を取ってしまった自分」が許せないんだと思っていました。
「若く見える」ことがプライドだったような祖母ですから、外見はもちろんのこと
いつもきりっと伸びていた背筋がのびないことや、
しゃきしゃきと歩けていた足が、思うように前に出ないことや、
あらゆる「若さ」のなくなった「無価値な」自分を許せないんだと思っていたのです。

たとえば男の人なら、
昔懐かしい3高(笑・身長、学歴、職業的地位の高い人)に価値を置く
(というわけで、わたしのだんなさまなどは、祖母からすると最低レベルであったと思われます)
人であったし、
品物なら「三越(デパート)で買ったもの」が好き、
“いいところにお勤め”ということや、
“いくらぐらいの家に住んでいるのか”ということが
人生の成功として何より重大事項であった祖母。

そういうものがあっても「幸せ」だとははっきり言えない、
自分の晩年が「不幸」だと感じていた祖母は、
誰が、どんなふうに言葉をかけても、
「幸せ」だとは思えなかったようでした。


そんな晩年だけではなくて、
もしかしたら祖母は、ずっとずっと、
自分のことを「大切な存在」だと思うことなく、過ごしてしまったのかもしれない。
誰かに大切に扱われないと、
人は自分を「大切な存在」だと、なかなか思えないものだから。
そんな体験が、祖母にはなかったからなのかもしれないなぁ、
だから周りに人の心も、大切にするなんて思い及ばなかったのかもしれない
と、
そんなことが、心をよぎった墓前での瞬間でした。

人の気持ちはわからない。
本当のことは、本人にしか。
そして本人さえ、自分の深層心理になんて、なかなか気づかないものですね。

それにしてもあたたかい、春のようにおだやかな日曜日。
法事とはいえ家族が集まる、よい一日になりましたが、
一転今日は!
予報通り雪びらが舞っています。

お出かけされている方は、ご帰宅の際はお気をつけくださいませ。
体調崩されませぬように、どうぞあたたかくしてお過ごしくださいね。












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# by patofsilverbush | 2018-01-22 13:57 | 生活 | Trackback | Comments(0)

今いる場所

一歩ずつ、足を運んで歩いてゆくように、
自分が感じることも、また一歩ずつです。

神様というのはどういう方なのか想像した時に、
わたしが思うことのひとつは
球体を、球体のままで見られる視線や感性をお持ちの方ということです。

視野が狭いわたしなどは、自分が見える範囲でしか物事を考えられないけれど、
地球の裏側が見えないと
日本とはまったく違う価値観、世界観が広がっていることに気づかず、
ますます視野や考え方が偏狭になってしまいがちです。
人に対しても同じことで、
自分だけの判断で、見えない相手の「反対側」を鑑みようとしなくなる。
見える範囲、わかる範囲のことだけで、
相手を判断したり批判したりして、
「自分には見えもしていない」ことに思いも及ばなくなってしまう。

私が思う神様の視線というのは、
その、地球の裏側の部分にあたる、
普通にしていたら見えない部分、見せない部分までも、
実に公平公正な、まっすぐな視線で「わかる」ことができるのではないかなぁと。

それは実は、自分自身に対しても言えることかもしれません。


一歩進むと見える景色が変わるように、
自分の外見も内面も、変化している。
一足飛びに山の上から見える絶景が見たいと願っても、
今、いる場所からは、
今、いる風景しか見えないのです。


だから、自分がどの段階であっても、
そこから必要な学びや悟りがあるのだ、
そこを経ないことには次の景色は見えないのだなと、
実感するようなここ数年。
人が何と言おうと、なんと思われようと、
それが自分の段階であるならばそれでいいのだと、ようやく思えるようになってきて
また次の景色が見え始めています。

一足飛びに進んだわけではないので、
劇的にちがうわけではない。
さっきの場所と大して変わらないけれど、
一歩だけ、前に進んだ景色。
今いる。この場所。
とてもとても大切な場所。
そこから自分なりに、何かを感じたり、考えたりして得た「何か」は
「その時の自分」に必要なこと。
神様はけっして先を急がないし、わたしがわたしのペースで、
歩いていくのを見守っていてくださる。

ひとそれぞれ、「今」いる場所が、
それぞれにそのひとにとって大切な場所なのです。










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# by patofsilverbush | 2018-01-19 15:34 | | Trackback | Comments(0)

チャレンジすること

人は、誰かのお役に立つために生きている


と、いうようなことを、
漠然と「理想的」な生き方のように思っていて、
思ってはいるけれど、
自分勝手に生きている自分だという現実を前に、
それはそれで、大事なことだよね、とも思ってしまう偽善っぷり。

そんな昨年でしたが(笑)、
誰かの役に立つ、ということを、
なんとなく、自分が実際にはできもしないような、
漠然と大きな範囲で考えていたのかもしれないなぁ
と、このところ感じています。

世界的な規模で「困っている人の役に立ちたい」と思ったとしても、
なかなかたいへんなことですよね。
もちろん、世界的な規模で活動されている方はいらっしゃって、
素晴らしい!と思うのだけれど、
そうじゃなくても、
自分の身の回りのことだって、別にいいわけなのです。


なんのために生かされているのか、
と考え出すと、
明確な答えや使命がはっきりわかることは私にはなくて、
それがダメなように感じてもいたのですが、
それすらも、
もう「自分が、自分が」という自己主張の意識のような気がしてきたのです。

ああ、自分を捨てるって、
そんなふうにすら考えずに、
目の前のことに、心を込める事であるのかもしれない。
家事なら家事を、
子どものことなら子どものことを。
ただそれだけで、いいのかも。

わたしに何ができるのかと思うことすら、傲慢なことであるのかも。


自分が気持ちいい、ということではなくて、
気乗りしないことや、いやな場面であったとしても、
気持ちよく取り組むこと、気持ちよく働くこと。
シンプルにそう生きる事そのものが、豊かな気がします。

シンプルだけれど、難しい。
もうちょっと深堀しつつ、チャレンジです。
今年からはエレガントに生きる!を目指したいものです。


今年は「火」の気が強く、
目標を明確にすると、運気も上がり、願いもかないやすくなる!?そうですよ。
占いに頼る方ではありませんが、
そんな記事を読んだので、ちょっと目標を明確に(これでも)してみました(笑)。














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# by patofsilverbush | 2018-01-17 14:58 | | Trackback | Comments(0)

日々のあれこれを綴ります


by anne
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