やわらかくてもいい
2014年 03月 07日
聖書の言葉は難解です。
むずかしいことが書いてあるわけではないけれど、
時代背景や、当時の社会情勢、生活習慣、価値観などなどを知らないと、
イエスさまのたとえの意味がわからない・・・
ということに。
子供のころ、なぜだか家にあった『聖書物語』という、
聖書の概要を抜きだした本を読んでいたので、
内容的には馴染みがあったのですが、
大人になり、
「聖書は、日常が書いてあるから、
何度も繰り返し読むと、そのおりおりで思うところ、心にひっかかるところが、違ってくるんですよねぇ」
と、わたしをカトリックに導いて下さった方がおっしゃったときには、
え、これを何度も読むの?これを!?
と思ったものでした(笑)。
そして、読み始めたら、確かに日常でした(笑)。
クラスメイトの困った話をしては、「○○くんがさ~」と責め口調の息子に、
「イエスさまがね、お友達の目の中の、ちっちゃなおがくずは見えるのに、
自分の目の中の丸太には気づかないのかなって言ってるよ」
と言ったところ、
「丸太~?」とおお受け。
でも意味はよくわかったようでした。
日本人には、感覚的に馴染まない言葉もありますね。
神の栄光、とか。
今日は、いつも教えをいただいているシスターとの 「分かち合い」の日でしたが、
イエスさまが、時の支配者に対して、
「あの狐にこう伝えなさい・・・・うんぬん」とおっしゃっている個所を読んで、シスターが、
「イエスさま、いくら相手が権力者であっても、
あのキツネ、なんて言うかしらねぇ?書いた人の私情が入ったな、なんてね」
とおっしゃるので、笑ってしまいました。
聖書は、
そのまま文字通り読むのではなく、
そこにあらわれているイエスさまの気持ち、心情を、自分なりに想像してみることが大切、
時には疑問に思ったっていいのだということを、
シスターにおそわりました。
柔軟な考え方を持つとともに、
文字どおりに受け止めるだけではなく、
その先にあるかもしれない何か、
疑問の先にあるかもしれない何かを、
神さまのあり方を自分の心において、じっくり考えてみること。
聖書の読み方や、キリスト教について、
というだけではなく、
日常生活のなかで、他者と関わっていこうとするとき、
そんな姿勢が必要なのだと、ゆっくり じっくり 教わっているところです。
むずかしいことが書いてあるわけではないけれど、
時代背景や、当時の社会情勢、生活習慣、価値観などなどを知らないと、
イエスさまのたとえの意味がわからない・・・
ということに。
子供のころ、なぜだか家にあった『聖書物語』という、
聖書の概要を抜きだした本を読んでいたので、
内容的には馴染みがあったのですが、
大人になり、
「聖書は、日常が書いてあるから、
何度も繰り返し読むと、そのおりおりで思うところ、心にひっかかるところが、違ってくるんですよねぇ」
と、わたしをカトリックに導いて下さった方がおっしゃったときには、
え、これを何度も読むの?これを!?
と思ったものでした(笑)。
そして、読み始めたら、確かに日常でした(笑)。
クラスメイトの困った話をしては、「○○くんがさ~」と責め口調の息子に、
「イエスさまがね、お友達の目の中の、ちっちゃなおがくずは見えるのに、
自分の目の中の丸太には気づかないのかなって言ってるよ」
と言ったところ、
「丸太~?」とおお受け。
でも意味はよくわかったようでした。
日本人には、感覚的に馴染まない言葉もありますね。
神の栄光、とか。
今日は、いつも教えをいただいているシスターとの 「分かち合い」の日でしたが、
イエスさまが、時の支配者に対して、
「あの狐にこう伝えなさい・・・・うんぬん」とおっしゃっている個所を読んで、シスターが、
「イエスさま、いくら相手が権力者であっても、
あのキツネ、なんて言うかしらねぇ?書いた人の私情が入ったな、なんてね」
とおっしゃるので、笑ってしまいました。
聖書は、
そのまま文字通り読むのではなく、
そこにあらわれているイエスさまの気持ち、心情を、自分なりに想像してみることが大切、
時には疑問に思ったっていいのだということを、
シスターにおそわりました。
柔軟な考え方を持つとともに、
文字どおりに受け止めるだけではなく、
その先にあるかもしれない何か、
疑問の先にあるかもしれない何かを、
神さまのあり方を自分の心において、じっくり考えてみること。
聖書の読み方や、キリスト教について、
というだけではなく、
日常生活のなかで、他者と関わっていこうとするとき、
そんな姿勢が必要なのだと、ゆっくり じっくり 教わっているところです。
by patofsilverbush
| 2014-03-07 15:48
| 聖書