聖週間

今週は聖週間です。

キリスト教といえば、イエスさまの誕生を祝うクリスマス。

というイメージですが、
実は一番 大切なのは、この聖週間に続く日曜日のご復活。
復活祭、イースターといえば、聞いたことある方もいらっしゃるかもしれません。

ハロウィーンはなんとなく日本でも定着しつつあるようですが、
イースターに関しては、なじみが薄いですよね。
この日!と決まっているわけではなく、毎年変動する日付のせいかもしれません。
今年は20日がイースターです。


復活祭は、
捕えられ、裁判にかけられ、十字架の上で磔になり、墓に葬られたイエスが、
「復活」されたことを祝うお祭り。
この「復活」という言葉、不思議ですよね。

イエスの墓に行ってみると、墓の中にイエスはおらず、天使が「あの方は復活された」と話します。
復活されたイエスの状態は、実に不思議です。
幽霊のように向こう側が透けて見えるようなこともなく(笑)、
十字架に磔にされたときの穴や傷も残っており、触ることもできます。
お話もされるし、弟子たちとお食事だって共にされます。

かといって「生き返った」わけではなく、
話をしている人たちも しばらくはそれがイエスだとは気付かなかったり、
部屋の真ん中に突然現れたりするのです。

聖書には文字で、言葉で記されてはいますが、
きっと本当は、
言葉にできないような、不思議な、強烈な体験だったはずです。
だからこそ、それまでは
 「なんだかすごい人だ」
 「自分たちを奴隷のように扱うローマ人から、(たとえば挙兵などして)救ってくれるメシアに違いない」
という、人間的な感情を持ってイエスに従い、
けれども十字架のもとでは 関わりあいになるのを恐れて逃げ散ってしまった弟子たちが、
 

「この方は人間ではなく、神の子だったのだ」

と確信するに至ったのでした。
このできごとから、それまでは自分の弱さや保身に逃げてしまっていた弟子たちが、
迫害にも負けずにイエスの言葉を、世界に語り始めたのです。

こんなときに役立つ想像力を駆使して考えてみると、
それはなんて、不可思議な、説明のつかないできごとだったことでしょう。

説明のつかない不可思議な体験は、
今現在でも生き続け、わたしたちも日々 体験しているのではないでしょうか。
たとえば洗礼を受けること。
人生の中に想像もしなかった選択肢でしたが、
「なぜ?」と問われれば、ちょっと説明に窮する心の動きが確かにあり、素直に従ったまでのこと。
他の人には理解できないかもしれないけれど・・・
というような選択を、自分がすることは、
誰の人生のなかにもあることだと思います。


弱い自分であること、
へたれだったり、無関心だったりすること、
あるいは、
自己中心的にふるまうこと、
正義を振りかざして、あるがままの人を認めない傲慢さのうちに生きること。

いくら自分を律しているつもりでも、
そんなふうに簡単になってしまう自分だからこそ、
イエスさまに、自分を律する導きをお願いするのです。


復活されたイエスさまは、弟子たちの集まるお部屋の中心にあらわれ、
「神の平和があるように(シャローム)」
とあいさつされました。
この平和は、戦争がない、peaseの状態ではなく、
神さまの愛や希望、喜びが充満している(じゅうぶんに満ちて、あふれている)、
そんな状態のことを言うのだそうです。

そんな「ご復活」とともに、春の訪れを祝う、イースターは
明るく、
希望と、
世界とひとつになって生きる喜びに満ちたお祭りなのです。
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by patofsilverbush | 2014-04-14 10:23 | Trackback | Comments(0)

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