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「ああ、遥かなる山頂」

「そうだ、京都へいこう」でおなじみの、あのコマーシャル。

きのうテレビを見ていたら、
美しい秋の紅葉とともに、二つの窓が登場しました。

源光庵の本堂にある、
隣りあった 円い窓と 四角い窓。

円い方は 「悟りの窓」。
円は 大宇宙を表しているのだと、何かで見た気がします。
四角い方は 「迷いの窓」。
こちらのほうは 人間の生涯を表し、
生老病死、四苦八苦、煩悩におぼれる姿を表しているのだとか。

先日、テレビを見ながらぼんやりと熱をはかっていた時に、
たまたま何かの番組に、この源光庵が登場しました。

「悩みがなければ 悟りもない。
悟ったがゆえに、生じる悩みもある。
悩みと悟りというのは、一体なので、二つの窓は隣りあっているのです」

というようなことを 住職さんがおっしゃっているのを、熱のある頭でぼんやりと見ていたのですが、

この言葉、あとからじんわりと、心にきいてきました。

そうか、「悟った」からって、悩みがなくなるわけじゃ、ないんだなぁ。
と思ったら、おかしなことですが、ちょっと気が楽になったのです。

小さなことに心をわずらわせては、
「もっと心が広ければ、大きければ、おおらかならば・・・」などなどと ついつい思ってしまい、
心を広く、大きく、おおらかにすべく、
自分の心の中を見つめる作業を繰り返しているけれど、
たとえばもうちょっと、心がおおらかになれたとしたって、しょせんは人間。
さらにその上のおおらかさがあるわけで。
一つ、心の山を越えて、「この山に登れた!悟りました!」と思えても、
その山に登らなければ見えない、さらに美しい山が、そこには控えているものです。
ああ、すごく綺麗。あそこからみえる景色はどんなだろうって思う。
だから また、果てしないような道を 歩き始める。

そんなことを繰り返して、
いつの日にか、もしかして ひょっとして 天使くらいな心境にはなれたとしても、
すべてを愛し、すべてを慈しむ、神さまの心そのものには、なれないわけです。

悩みがあっても、仕方ないんだな。
と、いい意味でのあきらめがついたのかも。
あきらめたから、もう何もしない、わけじゃなくて、
悩んだり迷ったりしながら、ちょっとずつ、成長するんだものね。

ちょっと解決や結論を、急ぎ過ぎている自分に気づきました。
by patofsilverbush | 2014-10-16 10:24 |

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