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心の歴史

毎週、シスターに聖書を教えていただいています。

聖書は、主に
神さまが世界を創った「創世記」から始まる、
神と人間との初期の歴史(古い契約)を書いた、「旧約」

イエスが登場し、それまでの神の概念とまったく異なるといってもいい神の姿を説いた、
イエスを仲立ちとした、神と人間の新しい契約を書いた、「新約」

の二部から成り立っています。
全部を「お勉強」するのは大変なので、
4つある新約聖書の福音から、「ルカによる福音」を、少しずつ読み進めてきました。
ちなみに「福音」とは、「よき便り」という意味。
福音書は、神さまからの素晴らしいお手紙、と言えます。

お勉強というと、神学的なことや、歴史的背景などなど、
ノートを取りながら講義を聞いているようなイメージですが、
まったくそんなことはなく、
本当に少しずつ、聖書を読み進めながら、言葉の向こうにいるイエス様の意図を、
汲み取ってゆくような、そんな時間です。

聖書の言葉なんて、自分とまったく無関係なようですが、
毎回毎回、その言葉を読んだとき、
自分の日常の中に、「ああ、そういえば・・・」と思うようなできごとを体験しているものなのです。

本当にちょっとしたできごと・・・
子供との会話や、誰かと接した時のできごと、日常の中で感じるちょっとした思いが、
ふいに思い出されて、
「同じような体験をして、わたしはこんな風に感じました」
「こんな場面に出くわした時、つい、こんなふうに考えてしまうけれど、
イエス様がおっしゃっているのは、本当はこんなことなんですよね」
というような話し合いで、、たのしく時間がたってゆきます。

自分の思いや、感情の流れ、思考のパターンを、
整理し、確認するような時間です。

生活の中で「?」と思うことも、あっというまに忘れ去ってしまう。
その「?」が、いつもいつも解決するわけではないけれど、
少し立ち止まって、振り返ってみる、
とても柔らかな、平和な、そしてあるときにはエキサイティングな時間でもあります。

その中で、折に触れシスターに教えていただくのは、
「人には長い歴史がある」ということ。

「この人、どういう人なの?」
と、自分には理解しがたい相手の言葉や態度などに出会った時、
「この人はこういう人なのね」と決めつけないこと。
決めつけた挙句 「好き・嫌い」と判断しないこと。

その人の言葉や態度の向こうには、子供のころから育ってきた歴史があって、
分かりあうには時間がかかるものだと思っておくこと。
「?」はたくさんつけてもいいけど、?は?のままにしておくこと。

専業主婦であり、そんなに人と接する機会も多くないわたしなので、
そんなに「わ!」と思うような人には、幸いなことに、出会う機会も多くありませんが、
それでもたまにはね。
「え・・・」と、言葉が出なくなるような人も、いないこともない(笑)。

そんな時に、「え」とは思いつつも、激烈なジャッジをしないようにすることを、
覚えたかもしれません。
それは、相手のためを思って、というより、
自分にとってプラスになることが多いように思います。
ジャッジしていると、その感情に自分が振り回されて、ネガティブになってしまいがちですしね。

そして、決めつけることで、自分の価値観も狭めてしまいます。
「え」と思うのは、まだまだ、わたしの意識が狭い証拠なのかもしれません。
親の心子知らず、
自分が親になってから、はじめて親の気持ちがわかるように、
ある日 成長したあかつきには、「?」と思っていた部分が理解できるように、
なるのかもしれません。



いろんな人が いるんだなぁ!
と思うときに、
自分も、「いろんな人」の中の一人であることを、覚えておきたいと、
シスターとお話しすると、いつも思います。
by patofsilverbush | 2014-10-22 14:43 |

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