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恐怖

毎度 選挙のたびに、
「公明党(の候補者)に投票してね」
とおっしゃる知人がいます。


さすがに選挙後、
本当に投票したのかと詰問されることはありませんが、
自・公に票を入れる気のまったくないわたしには、
毎度毎度のその一言が、軽いストレスではあります。


ハイハイと聞き流せばすむので、
何がそんなにストレスなのか、自分でもよくわかりませんでした。


たまに誰かが、自・公の政策について、
軽い反論(というか、自分の意見)を述べるのですが、
そうすると機嫌が悪くなり、まったく聞く耳は持ちません。
「そんなこと言ったって、こっちが正しいんだ」
と、強い口調でおっしゃいますが、
何が、どう正しいのか、
相手を納得させるような言葉ではなく、
「正しいのだ」という自分の気持ちを、押し付けるだけにすぎません。


相手の話を聞かず、
持論を押し付け、
「知り合いに頼まれたら 投票してくれるのは当たり前」という前提で
話をしてくるのが ストレスなのか?

とも思いました。


もちろん、それもあるのですが、
よくよく考えてみるにつけ、
その人が、何も考えず、
単に宗教上の理由から、公明党に投票してしまうということに、
恐ろしさを感じているのだと思います。


「戦争はイヤだ」「平和がいい」と言いながら、
孫の未来を案じながら、
何も考えずに、戦争法案に賛成してしまう。
戦争に行くのは誰なのか、考えたこともない。
自民党の改憲草案を、読むこともない。
あれを読んだら、おそろしくて、
とても自・公に投票なんてできない、と思うほど、
やさしい人であるのに。


「そんなむずかしいことは、わたしたちには分からない」
の一言で、
知ることさえ、放棄してしまう。
誰かが正しいんだと言った言葉だけを 盲目的に信じ込んで、
自分で判断することをしない。
何も考えずに 自動的に投票してしまう。

そのことが、恐怖なのだと思います。



自分の意見は正しいものとして主張はするけれど、
人の話は聞かない。
アベsorry大臣と同じ!
実に 実にsorryです。


無知は罪である
という言葉があるけれど、
知ることを放棄してしまうと、
知る権利すら、このまま剥奪されてしまいそうです。














by patofsilverbush | 2016-07-09 08:39 |

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by anne