よき便り
2016年 10月 14日
川沿いの藪からちょうだいしてきました(笑)。
夜空をきゅっと珠にしたような、美しい蒼です。
なんとなく、イエス様を隣に置きたくなり、
写真を撮りながら、あ、ぶどうの木、と思う。
息子の通っていたモンテッソーリの幼稚園は、
年長さんが「ぶどうの木」組でした。
プレは「そらのとり」組。
年少さんは「野の花」組。
年中さんは「まきばのひつじ」組。
いずれも聖書から引用された名前です。
見学に行ったときは もちろん聖書になんてまったく馴染みがなくて、
ただ、かわってるけど可愛いネーミングだなぁ✨と思っただけでしたけど。
イエスはぶどうの木。
つながるわたしたちは、イエス様から豊かな恵みを受けて、ぶどうの小さな実となる。
日々、頂いている恵みのなんて豊かなことか!
物質的な豊かさや 地位や 名誉や権力や・・・
誰の目にも分かりやすい恵みではないどころか、
そこに何かの「恵み」があろうとは、誰の目にもわからないような恵みもある。
時には受けているはずの自分にすら、どこに恵みが?何が恵み?と、
神さまのなさりようを疑問に思う時もある。
神さまが何を下さろうとしているのか、見当もつかずに、
ただただ苦しいときも。
目の前のわかりやすい「恵み」のようなものを、安易に選んでしまいたくなることも、
しょっちゅうです。
それでも、
迷っている時、苦しいときに「イエス様、いったいわたしはどうしたら?」
と 問いかけられることこそが、恵みであるのだなと、
思わずにはいられません。
受け取るものの大きさに気づくときの、震えるような驚きや幸福とはまた違う、
いつも共にいてくださるのだという、神さまの愛に気づくことが。
あ、きれいな実がついている!秋だわ~!
と摘み草をした時には、まったくそんなことは思わなかったけれど、
家に帰ってきてから、
なんとなくそんなことを思う、
それもまた、今朝のお恵みであったのです。
福音。
by patofsilverbush
| 2016-10-14 09:57
| 聖書