香煙

昨年末、11月末に祖母が帰天(・・・はカトリック用語ですかね。ふつうに言ったら他界)しまして、
昨日の四十九日・納骨で、
葬儀からの一連の儀式はひと段落。
わたしはほとんどタッチしていませんが、
両親はこれでちょっと一息つけたかもしれません。

わたしにとって「大好きなおじいちゃん・おばあちゃん」は
もうだいぶ前に帰天した母方の祖父母であり、
父方の祖母は、
祖母とはいっても正直言って好きでも嫌いでもない、
「あそこのおばあちゃん、いつも可愛くないのよね~。あ、うちのおばあちゃんか!」
というような、
ちょっと他人感覚でいないと
こちらの気持ちがノックアウトされてしまうような、
そんな人でした。


悪気はないのだけれど(たぶん)、
人の気持ちに無頓着な結果、人を傷つけるようなところがあり、
(言い方、というやつですよね)
実の息子である父に対しても、
嫁である母に対しても、
はたまた孫に対しても、たぶん大差はなかったと思われます。


そういうの、どうしてかなぁとずっと疑問でいたのですが、
きのう、
納骨をすませてお墓の前であらためて手をあわせながら、
ふと
祖母はもしかして最後まで、自分を大事に思えなかったのかもしれない、と思いました。


自分だけが大事だから、
他人の気持ちに頓着しなかったわけではなくて、
ほんとうは自分が大事な存在だということがわからかなったから、
他人の気持ちにも無頓着だったのかもしれません。


認知があることは本人もずっと自覚していた晩年。
「もうわたしなんて」とよく口にしていたけれど、
わたしはずっと、
「年を取ってしまった自分」が許せないんだと思っていました。
「若く見える」ことがプライドだったような祖母ですから、外見はもちろんのこと
いつもきりっと伸びていた背筋がのびないことや、
しゃきしゃきと歩けていた足が、思うように前に出ないことや、
あらゆる「若さ」のなくなった「無価値な」自分を許せないんだと思っていたのです。

たとえば男の人なら、
昔懐かしい3高(笑・身長、学歴、職業的地位の高い人)に価値を置く
(というわけで、わたしのだんなさまなどは、祖母からすると最低レベルであったと思われます)
人であったし、
品物なら「三越(デパート)で買ったもの」が好き、
“いいところにお勤め”ということや、
“いくらぐらいの家に住んでいるのか”ということが
人生の成功として何より重大事項であった祖母。

そういうものがあっても「幸せ」だとははっきり言えない、
自分の晩年が「不幸」だと感じていた祖母は、
誰が、どんなふうに言葉をかけても、
「幸せ」だとは思えなかったようでした。


そんな晩年だけではなくて、
もしかしたら祖母は、ずっとずっと、
自分のことを「大切な存在」だと思うことなく、過ごしてしまったのかもしれない。
誰かに大切に扱われないと、
人は自分を「大切な存在」だと、なかなか思えないものだから。
そんな体験が、祖母にはなかったからなのかもしれないなぁ、
だから周りに人の心も、大切にするなんて思い及ばなかったのかもしれない
と、
そんなことが、心をよぎった墓前での瞬間でした。

人の気持ちはわからない。
本当のことは、本人にしか。
そして本人さえ、自分の深層心理になんて、なかなか気づかないものですね。

それにしてもあたたかい、春のようにおだやかな日曜日。
法事とはいえ家族が集まる、よい一日になりましたが、
一転今日は!
予報通り雪びらが舞っています。

お出かけされている方は、ご帰宅の際はお気をつけくださいませ。
体調崩されませぬように、どうぞあたたかくしてお過ごしくださいね。












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by patofsilverbush | 2018-01-22 13:57 | 生活 | Trackback | Comments(0)

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