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軽くて楽な荷

学校の勉強や読んだ本の感想と絡めて、
ときどき息子に宗教について語ることがあります。

我が家で特定の信仰を持っているのはわたしだけ。
そのわたしだって、キリスト教以外の宗教は勉強したことがないので
何か詳しく語れるわけではありません。
キリスト教にしたところで、
イエス様が教えて下さろうとしている神様の御心、その深淵を語れるどころか
一端さえもわからない始末。
というわけで何を語っているかと言えば、
「信仰って何だろうか」という、個人的な意見にすぎません。
クリスチャンの方が聞いたら、私の信仰心を疑うような気も、してしまうかもしれない
本当に信仰に対する個人的な考えです。

話としては「信仰」をテーマにしているのですが、
往々にして中身は
「他者のありようを尊敬し、認め合うこと」
「自分が正しいのか、常に疑いを持ちつつ、真摯に神様の声を聴こうとすること」
(特にここですよね、相手の言うことを聞こうと思うこと。なかなか難しい)
というようなことであり、
語るたびに、自分が実践していくことの難しさを実感しますし、
「むずかしいね・・・」と毎回 息子が言う言葉からも、それがわかります。

グローバル化とは言ったって
世界のどこかで日々起こっているできごとを、自分につながりのあるできごとだと
とらえることのむずかしさ。
丸い地球の反対側は見えないし、「この国での常識」がどこでもあてはまるわけでもないのに、
自分だけがなんでも知っている、正しいような錯覚に陥ってしまう傲慢さ。

宗教とか、「信仰がある」とかの一言では片付けられない、
個人的な意識の持ちようだと思うのです。
自分の心をどこまで広げられるか。
どこまで寛大でいられるか。
どのくらい柔軟でいられるか。
を、自分の芯を持つことと同時進行で行うことの、難しさたるや!
わたしには関係ない、
難しくてわからない。
という言葉で他人(政治家や国家)まかせにしてしまえない、全ての人が個人的に取り組むべき課題で、
「宗教」とは、その個人を手助けしてくれる羅針盤なのだと思うのです。
自分はどの方向に向かっているのだろう?
日常の雑多なできごとに見失ってしまう道を、正しく示してくれる。
ただし、使い方を間違える危険性もある。
特定の信仰を持っている人ほど、きちんと自己を律しなければならないものでもあると思うのです。


自分の親から信仰についての話など聞かされたこともなかったし、
ときどき話題になるからと言って、息子がいちいち話の内容を覚えていたり、
それについて思索を深めているとも思えませんが、
それはそれでいいかなと思っています。
わたし自身、何かを強要されるのは大嫌いなので、同じように、
たとえ信仰であっても、何かしらの考え方を強要されたくはありません。
ただ、グローバルというのは国際的に発展することではなくて、
多様な在り方を認め合うことだとは、知ってもらいたくて、
毎度熱く語ってしまうのかもしれません。

人種や性的な在り方、恋人や家族の形。
さまざまな在り方が「ふつう」だと思えるように。
「わたしはこうだけど、それもあり!」
「それもあるけれど、でもわたしはこうでいい!」
と、自分のことも、相手のことも、思えるような心でいてほしい。
何より真に寛容でいるということは
相手も楽なら自分自身も楽なことであるのですから。

イエスさまの下さる荷は軽いのですから。







by patofsilverbush | 2018-12-12 15:18 |

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by anne