謎判明!

義父は山形出身なので、季節になると毎年、美しい真っ赤なさくらんぼを
ご親戚の方にお願いして、手配してくれます。
宝石のようなさくらんぼを思うさま食べられる贅沢を思っただけで、
感謝の念がふつふつと・・・

そのご親戚の話題が出るたびに、
「どかじゃけのおばさんがね・・・」と言う義母の言葉が、
いつもひそかに謎でした。
どかじゃけってなんだろう?

いつもその場だけはなぞ!と思うのですが、
流れてゆく話の中でなんですか?と聞きくこともせず、
結婚してからもう19年がたち、ついおととい、
ふと思い出して、夫に、
「どかじゃけのおばさんって、お正月とかにいつも鮭をくれるの?」と聞いてみました。
ほら、わたしのイメージでは、新巻鮭みたいな。
すると驚きの返事が!
「いや、あれは地名なのかな」
え~、地名!
そしてさらに驚きの夫の思い込みが。
「おれはずっと、“土方のジャケット”、略して“どかジャケ”だとおもってた」
え~、なんという省略形!若い人もびっくりですよ!

地名だと知ったのは結構な大人になってからだそうですが、
じゃあどんな字を書くのだろうと二人でインターネットで調べてみると、
『土海在家』
どかいざいけ、と読み、地元の方は“どかじゃき”と読むらしいと注釈が添えられていました。

どかいざいけ!
どかじゃけ!

じっくり調べている時間がなく、地名の由来まではいきつけませんでしたが、
地名って本当に読めないし、おもしろい。

義父と結婚して山形の親戚のうちに遊びに行くと、
「もう山形弁が一言もわからなくてね~」と
よく楽しそうに思い出話をしてくれる義母。
どかじゃけって、こんな字だって知ってた?と、この次会ったら聞いてみようと思います(笑)。

それにしても、同じ言葉を聞いて連想するものって、
こんなにも違うんだなと、夫の“どかジャケ”を思い出すとおかしくなります。
土方のジャケットを着たおばさん??
いやいやいや、新巻鮭の方がありなのでは!?






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# by patofsilverbush | 2018-12-14 13:50 | 生活 | Trackback | Comments(0)

軽くて楽な荷

学校の勉強や読んだ本の感想と絡めて、
ときどき息子に宗教について語ることがあります。

我が家で特定の信仰を持っているのはわたしだけ。
そのわたしだって、キリスト教以外の宗教は勉強したことがないので
何か詳しく語れるわけではありません。
キリスト教にしたところで、
イエス様が教えて下さろうとしている神様の御心、その深淵を語れるどころか
一端さえもわからない始末。
というわけで何を語っているかと言えば、
「信仰って何だろうか」という、個人的な意見にすぎません。
クリスチャンの方が聞いたら、私の信仰心を疑うような気も、してしまうかもしれない
本当に信仰に対する個人的な考えです。

話としては「信仰」をテーマにしているのですが、
往々にして中身は
「他者のありようを尊敬し、認め合うこと」
「自分が正しいのか、常に疑いを持ちつつ、真摯に神様の声を聴こうとすること」
(特にここですよね、相手の言うことを聞こうと思うこと。なかなか難しい)
というようなことであり、
語るたびに、自分が実践していくことの難しさを実感しますし、
「むずかしいね・・・」と毎回 息子が言う言葉からも、それがわかります。

グローバル化とは言ったって
世界のどこかで日々起こっているできごとを、自分につながりのあるできごとだと
とらえることのむずかしさ。
丸い地球の反対側は見えないし、「この国での常識」がどこでもあてはまるわけでもないのに、
自分だけがなんでも知っている、正しいような錯覚に陥ってしまう傲慢さ。

宗教とか、「信仰がある」とかの一言では片付けられない、
個人的な意識の持ちようだと思うのです。
自分の心をどこまで広げられるか。
どこまで寛大でいられるか。
どのくらい柔軟でいられるか。
を、自分の芯を持つことと同時進行で行うことの、難しさたるや!
わたしには関係ない、
難しくてわからない。
という言葉で他人(政治家や国家)まかせにしてしまえない、全ての人が個人的に取り組むべき課題で、
「宗教」とは、その個人を手助けしてくれる羅針盤なのだと思うのです。
自分はどの方向に向かっているのだろう?
日常の雑多なできごとに見失ってしまう道を、正しく示してくれる。
ただし、使い方を間違える危険性もある。
特定の信仰を持っている人ほど、きちんと自己を律しなければならないものでもあると思うのです。


自分の親から信仰についての話など聞かされたこともなかったし、
ときどき話題になるからと言って、息子がいちいち話の内容を覚えていたり、
それについて思索を深めているとも思えませんが、
それはそれでいいかなと思っています。
わたし自身、何かを強要されるのは大嫌いなので、同じように、
たとえ信仰であっても、何かしらの考え方を強要されたくはありません。
ただ、グローバルというのは国際的に発展することではなくて、
多様な在り方を認め合うことだとは、知ってもらいたくて、
毎度熱く語ってしまうのかもしれません。

人種や性的な在り方、恋人や家族の形。
さまざまな在り方が「ふつう」だと思えるように。
「わたしはこうだけど、それもあり!」
「それもあるけれど、でもわたしはこうでいい!」
と、自分のことも、相手のことも、思えるような心でいてほしい。
何より真に寛容でいるということは
相手も楽なら自分自身も楽なことであるのですから。

イエスさまの下さる荷は軽いのですから。







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# by patofsilverbush | 2018-12-12 15:18 | | Trackback | Comments(0)

祈る

今週は急激に寒くなり、ああ、年末だったんだ、と思い出す、
凍えるような冷たい空気です。
晴れ予報の日でも意外と朝は曇っていたりで、
布団を干すタイミングに腐心してしまう。

今朝、晴れ間ののぞいていた空も次第に雲が厚くなり、
今やどんよりと薄暗く、寒さをいっそう際立たせているよう。

神様に必死に祈るような悲しみがあり、
重たい窓の外の景色にちかちかと明かりを投げかけるクリスマスツリーに
明るい兆しを祈らずにはいられません。

今、街がきらきらしたこの季節に、
聖なる由来のあるこの季節にふさわしい奇跡を、
もし御心にかなうのならば、願わずにはいられません。

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# by patofsilverbush | 2018-12-11 15:34 | Trackback | Comments(0)

カーテン

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苦節1年半(笑)、
「今年中には編み終わるぞ!」と、新年に自分に宣言したカーテンが、
なんと本当に今年中に編みあがりました!やったねワタシ!

雑貨が通販で買えるインテリア雑誌で見かけたレース編みのテーブルクロスを
レースのカーテン代わりにずっと使っていたのですが、
さすがに10年以上たつし、傷んできたかな、取り替えようかなぁ・・・・
というところから思いついた、「そうだ、自分で編めばいいんじゃない?」プロジェクト。
まだレース編みを始めたばかりのころで、
今見ると、編みはじめのモチーフはやり直したいねと思うのですが、
それもまあ、上達の跡が見えると思えば、
味があると言えなくもない(笑)。

飽き性故、大きな作品を作ることは、刺繍のものでもあまりなかったので、
これだけの時間をかけたものは初めてです。

同じモチーフばかり編んでいると飽きてしまったり、
刺繍の作業があるときは数か月も放置したりと、
隙間時間を見つけてのんびりと編んでいましたが、
継続は力なりとはこういうことか。
継続するばかりが正解ではなく、
たとえば今は、「やってみて違かったらやめてもいい」と自分に実践中なのだけれど、
こればっかりは、続けないと仕上がらない、
辛抱強く取り組むことの成果も、あらためて感じております。


今まで使っていたものは20番糸をざっくり編んだものでしたので、
それより細い、40番糸を密に編んだ新しいカーテンは、
同じレース編みでも、窓辺の印象はかなりちがったものになりました。
同じ部屋だけれど、なんだか新鮮162.png

さて、次は自室のカーテンを、またのんびり編み積もらせてゆこうかな。
ひとつ何かを完成させると、達成感や満足感とともに、
次へ行くエネルギーも湧いてくる。
だから「「作る」作業はやめられません。



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# by patofsilverbush | 2018-12-11 11:46 | Trackback | Comments(2)

「好き」を楽しもう!

先日、ウィンドウショッピング中に
「すてきなコートですね」とお店の方に声をかけられました。
一目ぼれ・・・というか、一さわり惚れして思い切って買ってしまった新調のコートだったので
とてもうれしかったのですが、
なんというか個性的というか(よく言えば)
うん、絶対誰も着てないよね・・・というような、
ん?
うん? 
ううんん?
と三度見くらいしてしまうような柄のコートゆえ、
(私だって買うときは6度見、いや、10度見はきっとした)
よけいうれしかったのも確かです。

また別の日にやっぱりお店のスタッフさんに声をかけられたのは、
レオパード柄のスカート(というか、ワンピースの上にニットを着ていたのでスカートに見える)だし、
また別のあるときには、花柄のワンピースをほめていただいたこともありました。

どれも
一目ぼれしつつ、
でも「これは実際のところ、自分に着る勇気があるのか!?」と迷いもし、
でも試着室で「似合うし!」と自画自賛した自分の感覚と、
「OKです!」と言って下さる店員さんの誠実さだけをたよりに、
かなり思い切って買ったものばかり。
誠実な店員さんの素晴らしいセンスに感謝するとともに、
結果的に、直感ってだいじだな!
と自分の感覚に自信が持てた、うれしいほめ言葉でした。


わたしが考える「おしゃれな人」って、シンプルな服をどこか素敵に着こなせる人なのですが、
残念ながら、
もちろん素敵センスのない、
背が低いわたしはシンプルな服を着ると、ただ単に地味な人になってしまう。
小柄ゆえバランスもとりづらいし、
どうにも「着こなせない」のです。
そのかわりインパクトのある服を着ても、
面積が小さいので、すらりと背の高い人より大げさになり過ぎないという強みもあるようです。
(と、ファッション雑誌にも書いてある!笑。実感としてもそう思います)

きっと今までだったら思い切って選べないような服を、思い切って買ってみられるくらい、
自分の直感を信用できるようになったのは、
たぶんこの年齢になったから。
そして自分という人が、以前よりちょっとよくわかるようになり、
わたし自身や、わたしの好みも好きにもなったから。
人から、誰かから、どんなふうに見えようが怖くなくなったこともあるし、
そして人は、自分が思うより自分のことなんか見ていないということに、
気づけたからだと思うのです。
変な自意識がなくなったというのかしら。

毎日毎日、なにかしらの服を着て生活するのだから、
着ていて楽しい服がいい。
もちろん、シンプルな服を素敵に着られる素敵な人には憧れているけれど、
そうじゃないわたしは、わたしなりに好きな服を。

ぎょっとされることもあるかもしれないけれど、
時々、もしかして「その服、ナイス!」と知らない方が声をかけてくださることもある。
単純に、自分が好きなものをほめてもらうのはうれしいものだし、
きっとこれが好き!が伝わって、その結果ほめてもらえるような気がします。
好きなことって、自分のエネルギーになる。
好きなことがたくさんある毎日。小さくても、たくさん。

自分の「好き」に正直でいたいなと思うし、
なかなかそうできずにいた以前の自分に、ごめんねと声をかけたら、
きっともっと素直に「好き」を楽しめるという予感がしております。





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# by patofsilverbush | 2018-12-08 14:52 | | Trackback | Comments(0)

だっこホルモンは精神安定剤

むかし流行った某ドラマの印象で
「マザコン」というとなんとなく気持ち悪い印象をお持ちの方も、
もしかしたらたくさんいらっしゃるのかな。
私の実家では誰もそのドラマを観ていなかったと思うのですが、
女の子ばかりの家庭で、
「男の子がいつまでもママにべったり」=「気持ち悪い」という図式は、
当時の世間的なイメージをそのまま反映するようにまかり通っていたように思います。
まさに「ママ大好き」な我が息子に向かっても、
実家の母なんかは「マザコンじゃないの!」と嫌悪感とともに言い放っていたっけ~。
小学生にですよ?
ママ大好きで、何が悪い!
と開き直る、男の子の母(笑)。

だいたいにおいて、わたしの周りの男の子の母は、息子さんと仲良しな人が多いし、
バカじゃないの!?と思いつつ(言いつつ)、
女の子の持つ複雑性はない、その単純さを好きでもあります。
相手が夫だと、その単純さがイライラのもととなったりするのだから、勝手なものですね(笑)。


中学生になっても、うちの子はいまだ
「ママ大好き」を言葉にしてくれる素直さがある。
幼い、のかもしれないけれど、
そんな素直さがわたしは大好きです。
思春期のイライラで八つ当たりされたりすると、こっちもイライラしてしまうけれど、
そんな時こそ、
息子がくっついてきたときや、寝る前のだっこタイムを意志的にしっかりしていると、
いつのまにかイライラも治まっていくるようです。
精神を安定させるホルモンは、別名「だっこホルモン」というくらいですものね。
授乳タイムに赤ちゃんは安心して気持ちが安定しているけれど、
実はお母さんのほうも、このだっこホルモンで気持ちが安定しているようです。
小さな子でも、ちょっと大きくなった子でも、大人でも、おなじ。
大切にされてるんだなって、言葉にしないと
もしかして時々、わからなくなってしまうことも、あるのかもしれないのだけれど、
肌感覚で覚えてもらいたい。
思春期イライラ対策としても、実に効果的です。

ところで、昨今の若いお嬢さんたちにとって
「マザコン」はマイナスイメージではなく、
むしろ
「お母さんを大切にする=やさしい人」というプラスのイメージである
というような記事を読んだことがあります。
時代は変わればと言いますが・・・
ガールフレンドが一番、ママは二番!
と、もちろん平気で母をほったらかせる息子には、
なんら「母親に対する屈折したコンプレックス」はみじんもなく。
たぶん「何を言ってもぼくはママの一番である」という自信もあるのでしょう、
教育のたまものであり(笑)まあ、大丈夫かと思われます(笑)。









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# by patofsilverbush | 2018-12-06 14:10 | 子育て | Trackback | Comments(0)

日々のあれこれを綴ります


by anne
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