カテゴリ:心( 148 )

種まきの前の・・・

3年日記や5年日記を愛用して継続中です。
思ったことを書くというよりは、行動の記録という感じ。
育児記録にもなればいいかな、くらいの気持ちで書いているので
息子ネタも多いのですが、
実のところ、3年や5年ごとに日記帳が変わってしまえば、
過去の記事を見る事はほぼありません。
今使っているのは5年日記の3年目なので、書くときに
「去年は(おととしは)こんなことしてたんだ。こんなことがあったんだ」
と見返すことはあるけれど、育児日記の観点より、
季節の花の開花情報を読み返すときが一番おもしろいかな。
去年の今頃は、もうこの花が咲いていたんだ、今年は寒いんだね、とか、
スズランが去年よりたくさん咲いたんだ♡、とか。
小さいけれど、大切な季節の記録。


自分の行動パターンもなんとなくわかって、ワードローブを整理したくなるなど
毎年同じような時期にしているのは、我ながらおかしく思ったりします。
無意識だけれど、
種をまく時期、花が咲く時期、収穫の刈り入れの時期や休眠中の時期などが、
心の中にあるのかもしれません。
春先のこの時期に、服の整理をしていることがとても多い。
春だからウキウキするのか。
新しくなろうと心が思うのか。
単純に、ウールの厚ぼったいセーターやコートに飽きて、身軽くなりたいからかもしれない。


なんとなく「種まき」の印象のある(わたしだけかな?)ワードローブの整理なのですが、
今年は、
引き出しを見れば見るほど、なんだかしっくりこない感じが強いのです。
ミニマリストではないので極限までそぎ落としたい、と思っているわけでは必ずしもない、のですが、
なんだか、処分しても、まだまだ物が多いように感じる。
引き出しに入っているのは「ときめく」ものばかりだというのに。


自分の中にある「そぎ落としたいもの」が、見えきっていないんだなぁと思う。
自分の中にある軸が、自分自身でしっかり感じ取れない感じ。
種まきをしようと荒れ地を耕したら、なんだかわからない草の根っこが
いっぱい地中からでてきた!きりがない!
と途方に暮れているような。
ああ、種まきじゃなくて、土地づくりなんだ・・・。と初めて思いました。
去年や、その前にも。
整理していたものは、表面上の雑草を取り除いていただけ。
まだ種がまける状態じゃぁないのね!


種をまいて、花が咲いて、収穫をして、また新しい種をまいて・・・というサイクルを
繰り返していたような気になっていたけれど、
本当の種はまだまけていないし、今になってようやく、地面を掘り返しているらしい。


日記を読んで直接そう思ったわけではないのだけれど、
このところの、なんとなくモヤモヤしていたわけに
ふっといきついた気がしました。

途方にはくれているけれど、がっかりはしていない。
ちょっと前に進んだからね。
目の前に広がる荒れ地は、森もあって小川もある。素敵な土地だから、
片隅にちょっとした畑を作れるようにと思います。







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by patofsilverbush | 2017-03-08 12:55 | | Trackback | Comments(0)

忘れる

同じ年頃の子供を持つ友人たちと話していて、しばしば笑える愚痴になるのは、
子どもの切り替えの速さです。

ある時には猛烈な勢いで、ある時にはくどくどと、お説教した
本当に直後ですよ!もうまったく別なことで うはうはと笑うんですよねー子供って(# ゚Д゚)
もう秒速の切り替え。
こちらはまだ冷めやらぬ怒りを、どうにか抑えてお説教も切り上げたというのに・・・。
と 怒れる母は、
その能天気な態度にまたもや新たな怒りがこみ上げてくるという、あるある(笑)。

きっと、
「あーお母さん、また怒ってんなー」なんて思いながら、
聞き流しているのだろうと思われる。
ひとつも効果のないお説教は、はっきり言って怒り損なのですが、
それでも言いたくなることが、山ほどあるじゃあないですか(笑)。

そんな子供を見ていると、
「“今”、この瞬間に生きてるんだなぁ!」と(冷静な時は)思う。
今、楽しい。
今、イライラしてる。
今、ご機嫌。
今、集中している。
さっきまで泣いたカラスが笑っているという心の状態は、
きっとすごく健全で、健やかなことにちがいないという気がします。


さまざまな経験・体験をして、
それを記憶し、そこから学ぶこと、たくさんありますが、
大人のつまらない感情って、
ネガティブな感情を何度も心の中で再現させて、
そのたびに勝手に落ち込んだり 傷ついたりしていることが多いのも本当です。
ハッピーな思い出も、アンハッピーなできごとも、
同じように執着して手放さずにいる。
人間っておもいしろいものですね。


わたしも最近、忘れっぽくなりましたが、
え、年のせい!?と思うことなく、
健やかだわ~と楽しい気持ちになることを発見いたしましたよ(笑)。





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by patofsilverbush | 2017-02-27 09:36 | | Trackback | Comments(0)

こころにとどめておいてほしい

とある旅番組で。
北アイルランドの街中にそびえる、長い長い壁の映像が出てきました。
カトリック系住民と、プロテスタント住民を隔てるその壁と、
壁ができる経緯の宗教的紛争の話を聞きながら、
壁かぁ・・・
と、最近新たな壁ができそうな現状をぼんやり考えていると、
「理解するってたいへんなことだね」と 息子が一言。

そうだねぇ。


むかし、自分のことではなかったのですが、
共通の知人である、ある人の行動や気持ちが理解できない、という知人に、
「こういう経緯があって、今、こういう心境なんじゃないのかあ」
と言ったところ、
「そう?そんなこと、わたしには全然理解できないけど!」
と、
それはもう きっぱりと言い切られて、びっくりしたことがあったのを思い出しました。

その人が生きてきた、今までの人生の中の、悩んだ時期があって、今がある、
ことを、「わたしには理解できない」の一言で否定されたことに、
他人事ながらショックを受けたものです。

確かに、他人が何を考えているのかなんて、
明確に「理解」なんて、できないものですけどもね。
それでも「そいつを言っちゃあおしまいよ!」
やっぱり、なんとなく淋しい感じはしますよね。



人に、
自分の気持ちを伝えるのは難しい。
わたしはそもそも、自分の気持ちを表現するのは苦手です。
理解して、もらわなくてもいいかなぁ、なんて、
説明する努力すら、怠ってしまいがち(苦笑)。
自分でも明確な言葉で言い表せない気持ちだってあるし、
はっきり自覚しているわけではないけれど、ぼんやりと考えていることだってある。


ただ、誰かがしどろもどろな言葉で 自分の思いを伝えようとする時、
「え、わからない」
と言ってしまったら、息子の言うように
「もうあとが続かな」くなってしまうと思うのです。
その人の生きてきた歴史、周りの環境、
あらゆることを聞いて、もしかしたら何かちょっと、理解できることがあるかもしれないけれど、
人は他人の話を、そんなに長いこと聞こうとしない。
時間がかかるから。
そして、どちらかというと、自分の話をしたがる生き物ではないでしょうか。
「そうは言うけど、でもね」って。

否定の頭で話を聞くから、
たぶん、理解はできない。
それは同じ人として生まれて、淋しいことだと思う。



理解するのは時間がかかるけれど、
理解しようと思うことは、少なくともいつでもできることですね。


旅の中でひととき映った、壁。
宗教的対立がメインテーマの番組では、まったくないのですが、
人と人が理解しあう、自分とは異なものを受け入れるとは、どういうことなのか、
自由で自律したありかたとは、本当はどういうことなのか、を
諸国をめぐりながら、折に触れ考える旅人。
小学生ながらも、なにか感じることがあるようでした。


理解するって難しい。
と思ったのなら、その思ったことを、大切にしてほしいと思います。
人は、生まれてくる時も、死ぬときも一人です。
理解できることも、一生理解できあないことも、もちろん理解してもらえないことも、
あって当たり前。
その淋しさもしっかり心にとどめて、
簡単じゃないことに、この先、自分の気持ちにも、誰かと出会うことにも
丁寧に向き合ってほしい。

















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by patofsilverbush | 2017-02-20 13:59 | | Trackback | Comments(0)

自分がたいせつですけど

お仕事でたくさんの人に迷惑をかけてしまうけれど、
それは重々承知で、それでも生きているのがもうぎりぎり、
なときに、
自分の生命や、心を優先してしまうことは、
そんなに責められるべきことなのかな。

自分より、人のことを優先するのが
「やさしさ」だと思いこんでいたり、
自分を第一に考えることが「利己的」だと思い込んでいたり、
そんな大多数の「常識」が振りかざされるから、
亡くなってしまう人がたくさんいるのに。

人に迷惑をかけちゃいけないなんて、きっと子供の頃から親に言われてる。
誰でも知っているし、責任をまっとうしようと頑張っているのに。


ささやかなことで笑って、毎日のご飯がおいしく食べられて、
嫌なことや うまくいかないこと、腹立たしいことや悲しいことがある日もあるけど、
寝る前に「今日もよい一日でした」って健やかに眠れる、
ふつうの幸せな毎日が送れなかったら、
なにをおいても、「ふつうに、幸せに生きていられる」ことが最優先されるべきではないのか。

命より、迷惑をかけないことのほうが大事ですかね。


って書くと、
利己的~って思う人も、いっぱいいるんだろうなぁ。




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by patofsilverbush | 2017-02-16 11:57 | | Trackback | Comments(0)

子どもといる期間

もちろん、厳しいレッスンをして技術を磨いていく中で、
表現できることも、たくさんあります。
なにしろ技術が追い付かないと、それに追われて表現なんてとてもとても。。。
表現したいことがある!のに、それを叶えるための技術がない!
というのが、悩める芸術家の大半ではないでしょうか。
それは、どれだけ技術を体得したとしても、追い付かないことのような気もします。
なにもかも、「ここまでできたらオールOK!」ということは ないのだから。
歩む道のどこかでは、厳しいことにもつきあたるのは、
大人でも子供でも、何をするにしても ごく当たり前のことです。
そこで踏ん張れたり がんばれるのは、「これが好き!」という情熱があるからよね。


そう考えると、「情熱」を子供に教えるのは、とても難しい。
自分の「情熱」を、子供に見せられることは、もしかしてある、かもしれないけど。
子どもの中にある情熱を、見つけられるのか、引き出せるのか。
はたまた、親なんかの計り知れないところに、子供の情熱は隠されているのかもしれなし。
う~ん。
親はきっかけや機会を作ることしかできなくて、
最終的に何を、どうするのかは、子どもの意思に任せること、
なんですよね、きっと究極的には。



私と息子は、似ているところもあれば、
まったく違うところもある。
「子供はこんなふうに感じるだろうな」と予測はしても、
それは「わたし」というフィルターを通した、かなり個人的な予測であったりもする。
だからあんまり、私の体験したことを彼にも当てはめて考えることはしないのですが、
わたしにとっての子育ての期間って、
息子との日々を通して、
自分が子供の頃にとりこぼした感情を、今、すくいあげて、愛おしんで、
空に開放するような。
そんな毎日でもあります。













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by patofsilverbush | 2017-02-09 08:48 | | Trackback | Comments(0)

自然の流れ

とっても個人的な感覚なのですが、「あ、新しくなった!」と思う瞬間って、ありませんか?
自分の内側(こころ)のときもあるし、
ちょうどぴったりのタイミングがやってきた!という、時期的な意味合いのときもあるのですが、
ときどき、そんなふうに思う瞬間があります。

新しくタイトルが変わった中居君のラヂオを聴きながら、
今年初めての「あ、新しくなった!」と思う瞬間は訪れました。
(*SMAPのことではなくて、自分がね!)
(そしてもしかしたら、SMAPのメンバーもね)

去年・おととしと、なんとなく心の中がもやもやしていて、
あんな感情もある、こんなこともあった、
と、お正月を あまりすっきりした気分で迎えていなかった。
ここ2年間、心の中を大掃除している感覚でいたけれど、
そのひらめきの瞬間に思ったのです、
ああ、掃除じゃなくて、棚卸してながめていただけだったんだなぁって。


自分では気づかずにいた、あるいは気づかないふりをしていた、
気づいていたけど、「そういうもの」だと思おうとしていた、
いろんな感情を、
押し入れの隅っこからひっぱりだして、身の回りがわ~っとがらくたで散らかっている。
物を出した押し入れの隅っこは ちょっときれいになったけど
このひっぱりだしたがらくたを、本当に片づける時期がやってきたんだ!
という感じでしょうか。
捨てて、すっきりするときが。
そう感じたら、それだけでとても清々しくて、久しぶりにわくわくしています。


枠をはずして、もっともっと広い世界へと歩き出せるような。
そんな自然の流れ(というか、神さまがご用意してくださる流れ)は、きっと誰にでもあって、
恐れずに一歩、踏み出してみたらいいのだな、
と思います。





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by patofsilverbush | 2017-01-13 10:58 | | Trackback | Comments(0)

今年もありがとうございました

諸外国にある貴族の館や王宮や教会の中の、
偉大な芸術家たちの手による天井画や、きらびやかなキリスト像をテレビなんかでみたりすると、
ああ、なんて美しい
と思うと同時に、
イエス様が見たら、びっくりするだろうな!
ということも、いつも思います。
ご自分がきらびやかに奉られているなんて、とっても心外!と
イエス様なら思うのでは、という気が いつもしてしまうのです。

わたしたちは、人間の目には見えない神様が
この世に愛を伝えるためにおつかいになる「道具」としてここにある。

そんな言葉を使うと、謙虚なのか、捨て鉢なのか、
わからないような感じになってしまうけれど(笑)、
いろいろ考えた末でもやっぱり、この言い方が正しいような気がします。
もちろん神様は、わたしたちを大切な「子供」と思ってくださるのですが、
その想像もつかないほどに大きな愛情を受ける時、
「親に対してわがままでいいんだ!」「子供なんだから愛されて当然なんだ!」と
思いあがることなくいられるために、
やっぱり「その豊かな愛のなかの、ほんの一滴でもいいから伝えられる、道具であれたら」
と思うことは、
すぐに「わたしだって、せいいっぱいやってます!」
などと思いあがってしまうわたしには、必要なことなであるように思います。


神さまの目に、
人からほめていただくほどには、よい自分にも映っていないし、
また、
そんなに悪い自分にも映っていない、と思うとほっとする、
ということを、シスター渡辺がお書きになっていらっしゃいますが、
本当にその通りです。


こんなわたし。これがわたし。
過不足なく、そのままのわたし。
私自身にもわからない、「そのままのわたし」を探すのが、
「自分探し」なんだろうなぁ。。。。


神さまの愛を伝えるのなら、「道具」でなく、
天の使い、「天使」であるほうが素敵ですよね。
来年は天使になったつもりで日々を送りたいものです。
え、まずは「道具」の手入れから?
はいそうですね、使い込まれてよく磨かれた道具を目指します(笑)





2016年も 今日・明日を残すのみとなりました。
毎年のことですが、今年も本当にたくさんの人にお世話になり、
エネルギーをもらい、
やさしさをもらい、
ハッピーをもらった一年でした。
どうもありがとうございました。

いつも読んでくださるみなさまも、
ありがとうございました。








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by patofsilverbush | 2016-12-30 11:15 | | Trackback | Comments(0)

実にくだらない

「あの人、かつらなんだって」とかいうことを、時々、
学校で聞いてきたらしい息子が言うことがあるのですが、
いまだに「かつらだ」ということがそんなに好奇心むき出しの話題になることが解せません。
本人がかくしたいと思っているのなら それはそれだし、
でもいっこうに隠す必要性も感じないけれど。
ウィッグだってお洒落のひとつでは?



かつらとか、
ゲイとかレズビアンとか、
トランスジェンダーであるとか、
そんな個人のことを、さも秘密を暴いたというふうに、
「疑惑」などという言葉を使って話すのも、古くさい因習にしか思えないし、
わかったところで「ふうん、そう」としか思わないけれど、
まだまだへんてこな差別や、悪意や、嘲笑するような感性は根強いのですね。
いつまでそんなことに捕らわれているのだろうか。



実にくだらないことです。






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by patofsilverbush | 2016-12-10 08:33 | | Trackback | Comments(2)

感じる心

子どもの頃からほくろの多いのが、ひそかなコンプレックスです。
目の下にあるほくろは「泣きぼくろ」、と言われるのを実証するように、
確かに子供の頃から、よく泣く子でした(笑)。
バレエ教室で、できない悔しさに幾度涙を流し、そのたびに
「悲劇のヒロインぶってるんじゃないの!!」と幾度 先生に怒鳴られたことか・・・。

今でもよく泣きます。

子どもが低学年の頃は、うまく「学校」というものの価値観にはまらない息子に
手を焼いては泣いたし、
年と共に涙腺が弱くなったせいで、ドラマや映画を観ては泣き、
ちょっとしたニュース番組にも目がうるうる。
「ママ、泣いてる?」と息子に確認されている始末です。ほっといてよぅ。
SMAPを思ってはふいに号泣することもあるし(苦笑)
涙は目薬、といいますから、まあいいかな、なんて。


もちろん 涙は悲しいときに流れるものばかりではなく。
息子のちょっとしたことに、ほろっとすることも、たくさんあります。
テストでちょっといい点だった時だって、「がんばったんだなぁ✨」と泣いちゃうし、
ふとした時に感じる成長のあかしに ぐっとくることも。
かなりハードルの低い、「え、そんなことで!?」と思われるような些細なことなのだけれど、
やっぱり泣きぼくろがあるせいでしょうか(笑)。


ただわけもなく、ふいに涙があふれてくる、
そんなこともたくさんあって、そんなときには、
神様がそばにいて下さるんだなぁと思う。そんな涙もあります。



大人になると、あんまり泣かなくなるのかもしれない。
泣きたい時にぐっと感情をおさえるのが「大人」なのかもしれないし、
抑えるべき感情もあるけれど、
何かに心が揺さぶられる、それが感性というものなら、
自分のそんなところを大事にしたいとも思う。
感じる心、大切にしたいですよね。

 

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by patofsilverbush | 2016-12-09 09:37 | | Trackback | Comments(0)

居心地

なんとなく、居心地が悪いなぁ、と感じる場所やシチュエーションがあります。

ただ「場所柄」になんとなく嫌な感じを受けるだけのこともあるし、
その場の雰囲気に馴染めない、ということもある。

状況に馴染めないとき、
私の場合は たいていいつも、同じようなシチュエーションだったりします。

その場にいる人はみんなきらきらしていて、
人生の目標があったり、何かの目的意識をもって日々を過ごしている人だったり、
心優しかったり、憧れるような生活を送っている人だったり、
するのですが、
なんだか居心地が悪い。
自分がその場にはまっていなくて、はまらない自分の在り方が悪いような、気すらしてしまう。
こんなに素敵な人たちなのに。
その「素敵さ」にわぁ~っと入っていかれない自分は 「前向き」じゃないのかしら?と思ったり。


誰もが一緒にいたいと思うはずの、素敵な人たちと、素敵な場所に
いたいのか、いたくないのか
いたくないと本当は思っているのに、「いたいはず」と誰もが思っている雰囲気に、
自分の心の声を なかなか正直に聞く決心がつかないことが
だいぶん前にありました。


その場から離れてずいぶんたちますが、
今思うと、
その場にはまらないのなら、そこは自分の場所ではないということです。

誰かが「ここにいると得だよ!素敵だよ!チャンスだよ!」と言ったとしても、
自分がそうと思わないのなら、そこにいなくてもいいのです。
自分にとって必要なことなら、必要な時期が来れば、きっと神様が与えてくださるから。


そして「同じようなシチュエーション」というのは 私の場合、
「これが素晴らしいでしょ」という価値観を 差し出されるときが多いことにも気がつきます。
いいものは、人にもおすすめしたくなるんですよね~人って。
それが本当に 自分の好みや欲しいもの・必要なものにあっていて、
素直にいいです!教えてくれてありがとう✨と思うことも いっぱいありますが、
素敵だけれど、自分には合わないものって、
やっぱりあると思うのです。

素晴らしい、けど、わたしはいらないかな。
正しい、けど、わたしはそうは思わないかな。
憧れちゃうような生活、だけど、わたしの憧れとは ちょっと違うかな。


と、なかなか言えなかったり、
自分の正直な気持ちを、自分で認められなかったりすると、
わたしは居心地わるく感じるみたいです。

本音と建て前、という言葉もあるように
自分に素直になる、本音を自分で知る・認めるって、ときにムズカシイことなのかもしれません。
顔で笑って 心で泣くことも、あるでしょうし、
その場の空気を読むことも、必要。


一方で 適材適所 という言葉もあるように、
自分を(適材かどうかは、ともかくとして・・・)適所においたときは、
やっぱり居心地がよく、自分の良さを発揮できるし、
なにより、ストレスが少ない!
ということが、今は一番大切なことのような気がします。







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by patofsilverbush | 2016-11-23 11:15 | | Trackback | Comments(0)

日々のあれこれを綴ります


by anne
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