カテゴリ:心( 144 )

子どもといる期間

もちろん、厳しいレッスンをして技術を磨いていく中で、
表現できることも、たくさんあります。
なにしろ技術が追い付かないと、それに追われて表現なんてとてもとても。。。
表現したいことがある!のに、それを叶えるための技術がない!
というのが、悩める芸術家の大半ではないでしょうか。
それは、どれだけ技術を体得したとしても、追い付かないことのような気もします。
なにもかも、「ここまでできたらオールOK!」ということは ないのだから。
歩む道のどこかでは、厳しいことにもつきあたるのは、
大人でも子供でも、何をするにしても ごく当たり前のことです。
そこで踏ん張れたり がんばれるのは、「これが好き!」という情熱があるからよね。


そう考えると、「情熱」を子供に教えるのは、とても難しい。
自分の「情熱」を、子供に見せられることは、もしかしてある、かもしれないけど。
子どもの中にある情熱を、見つけられるのか、引き出せるのか。
はたまた、親なんかの計り知れないところに、子供の情熱は隠されているのかもしれなし。
う~ん。
親はきっかけや機会を作ることしかできなくて、
最終的に何を、どうするのかは、子どもの意思に任せること、
なんですよね、きっと究極的には。



私と息子は、似ているところもあれば、
まったく違うところもある。
「子供はこんなふうに感じるだろうな」と予測はしても、
それは「わたし」というフィルターを通した、かなり個人的な予測であったりもする。
だからあんまり、私の体験したことを彼にも当てはめて考えることはしないのですが、
わたしにとっての子育ての期間って、
息子との日々を通して、
自分が子供の頃にとりこぼした感情を、今、すくいあげて、愛おしんで、
空に開放するような。
そんな毎日でもあります。













[PR]
by patofsilverbush | 2017-02-09 08:48 | | Trackback | Comments(0)

自然の流れ

とっても個人的な感覚なのですが、「あ、新しくなった!」と思う瞬間って、ありませんか?
自分の内側(こころ)のときもあるし、
ちょうどぴったりのタイミングがやってきた!という、時期的な意味合いのときもあるのですが、
ときどき、そんなふうに思う瞬間があります。

新しくタイトルが変わった中居君のラヂオを聴きながら、
今年初めての「あ、新しくなった!」と思う瞬間は訪れました。
(*SMAPのことではなくて、自分がね!)
(そしてもしかしたら、SMAPのメンバーもね)

去年・おととしと、なんとなく心の中がもやもやしていて、
あんな感情もある、こんなこともあった、
と、お正月を あまりすっきりした気分で迎えていなかった。
ここ2年間、心の中を大掃除している感覚でいたけれど、
そのひらめきの瞬間に思ったのです、
ああ、掃除じゃなくて、棚卸してながめていただけだったんだなぁって。


自分では気づかずにいた、あるいは気づかないふりをしていた、
気づいていたけど、「そういうもの」だと思おうとしていた、
いろんな感情を、
押し入れの隅っこからひっぱりだして、身の回りがわ~っとがらくたで散らかっている。
物を出した押し入れの隅っこは ちょっときれいになったけど
このひっぱりだしたがらくたを、本当に片づける時期がやってきたんだ!
という感じでしょうか。
捨てて、すっきりするときが。
そう感じたら、それだけでとても清々しくて、久しぶりにわくわくしています。


枠をはずして、もっともっと広い世界へと歩き出せるような。
そんな自然の流れ(というか、神さまがご用意してくださる流れ)は、きっと誰にでもあって、
恐れずに一歩、踏み出してみたらいいのだな、
と思います。





[PR]
by patofsilverbush | 2017-01-13 10:58 | | Trackback | Comments(0)

今年もありがとうございました

諸外国にある貴族の館や王宮や教会の中の、
偉大な芸術家たちの手による天井画や、きらびやかなキリスト像をテレビなんかでみたりすると、
ああ、なんて美しい
と思うと同時に、
イエス様が見たら、びっくりするだろうな!
ということも、いつも思います。
ご自分がきらびやかに奉られているなんて、とっても心外!と
イエス様なら思うのでは、という気が いつもしてしまうのです。

わたしたちは、人間の目には見えない神様が
この世に愛を伝えるためにおつかいになる「道具」としてここにある。

そんな言葉を使うと、謙虚なのか、捨て鉢なのか、
わからないような感じになってしまうけれど(笑)、
いろいろ考えた末でもやっぱり、この言い方が正しいような気がします。
もちろん神様は、わたしたちを大切な「子供」と思ってくださるのですが、
その想像もつかないほどに大きな愛情を受ける時、
「親に対してわがままでいいんだ!」「子供なんだから愛されて当然なんだ!」と
思いあがることなくいられるために、
やっぱり「その豊かな愛のなかの、ほんの一滴でもいいから伝えられる、道具であれたら」
と思うことは、
すぐに「わたしだって、せいいっぱいやってます!」
などと思いあがってしまうわたしには、必要なことなであるように思います。


神さまの目に、
人からほめていただくほどには、よい自分にも映っていないし、
また、
そんなに悪い自分にも映っていない、と思うとほっとする、
ということを、シスター渡辺がお書きになっていらっしゃいますが、
本当にその通りです。


こんなわたし。これがわたし。
過不足なく、そのままのわたし。
私自身にもわからない、「そのままのわたし」を探すのが、
「自分探し」なんだろうなぁ。。。。


神さまの愛を伝えるのなら、「道具」でなく、
天の使い、「天使」であるほうが素敵ですよね。
来年は天使になったつもりで日々を送りたいものです。
え、まずは「道具」の手入れから?
はいそうですね、使い込まれてよく磨かれた道具を目指します(笑)





2016年も 今日・明日を残すのみとなりました。
毎年のことですが、今年も本当にたくさんの人にお世話になり、
エネルギーをもらい、
やさしさをもらい、
ハッピーをもらった一年でした。
どうもありがとうございました。

いつも読んでくださるみなさまも、
ありがとうございました。








[PR]
by patofsilverbush | 2016-12-30 11:15 | | Trackback | Comments(0)

実にくだらない

「あの人、かつらなんだって」とかいうことを、時々、
学校で聞いてきたらしい息子が言うことがあるのですが、
いまだに「かつらだ」ということがそんなに好奇心むき出しの話題になることが解せません。
本人がかくしたいと思っているのなら それはそれだし、
でもいっこうに隠す必要性も感じないけれど。
ウィッグだってお洒落のひとつでは?



かつらとか、
ゲイとかレズビアンとか、
トランスジェンダーであるとか、
そんな個人のことを、さも秘密を暴いたというふうに、
「疑惑」などという言葉を使って話すのも、古くさい因習にしか思えないし、
わかったところで「ふうん、そう」としか思わないけれど、
まだまだへんてこな差別や、悪意や、嘲笑するような感性は根強いのですね。
いつまでそんなことに捕らわれているのだろうか。



実にくだらないことです。






[PR]
by patofsilverbush | 2016-12-10 08:33 | | Trackback | Comments(2)

感じる心

子どもの頃からほくろの多いのが、ひそかなコンプレックスです。
目の下にあるほくろは「泣きぼくろ」、と言われるのを実証するように、
確かに子供の頃から、よく泣く子でした(笑)。
バレエ教室で、できない悔しさに幾度涙を流し、そのたびに
「悲劇のヒロインぶってるんじゃないの!!」と幾度 先生に怒鳴られたことか・・・。

今でもよく泣きます。

子どもが低学年の頃は、うまく「学校」というものの価値観にはまらない息子に
手を焼いては泣いたし、
年と共に涙腺が弱くなったせいで、ドラマや映画を観ては泣き、
ちょっとしたニュース番組にも目がうるうる。
「ママ、泣いてる?」と息子に確認されている始末です。ほっといてよぅ。
SMAPを思ってはふいに号泣することもあるし(苦笑)
涙は目薬、といいますから、まあいいかな、なんて。


もちろん 涙は悲しいときに流れるものばかりではなく。
息子のちょっとしたことに、ほろっとすることも、たくさんあります。
テストでちょっといい点だった時だって、「がんばったんだなぁ✨」と泣いちゃうし、
ふとした時に感じる成長のあかしに ぐっとくることも。
かなりハードルの低い、「え、そんなことで!?」と思われるような些細なことなのだけれど、
やっぱり泣きぼくろがあるせいでしょうか(笑)。


ただわけもなく、ふいに涙があふれてくる、
そんなこともたくさんあって、そんなときには、
神様がそばにいて下さるんだなぁと思う。そんな涙もあります。



大人になると、あんまり泣かなくなるのかもしれない。
泣きたい時にぐっと感情をおさえるのが「大人」なのかもしれないし、
抑えるべき感情もあるけれど、
何かに心が揺さぶられる、それが感性というものなら、
自分のそんなところを大事にしたいとも思う。
感じる心、大切にしたいですよね。

 

[PR]
by patofsilverbush | 2016-12-09 09:37 | | Trackback | Comments(0)

居心地

なんとなく、居心地が悪いなぁ、と感じる場所やシチュエーションがあります。

ただ「場所柄」になんとなく嫌な感じを受けるだけのこともあるし、
その場の雰囲気に馴染めない、ということもある。

状況に馴染めないとき、
私の場合は たいていいつも、同じようなシチュエーションだったりします。

その場にいる人はみんなきらきらしていて、
人生の目標があったり、何かの目的意識をもって日々を過ごしている人だったり、
心優しかったり、憧れるような生活を送っている人だったり、
するのですが、
なんだか居心地が悪い。
自分がその場にはまっていなくて、はまらない自分の在り方が悪いような、気すらしてしまう。
こんなに素敵な人たちなのに。
その「素敵さ」にわぁ~っと入っていかれない自分は 「前向き」じゃないのかしら?と思ったり。


誰もが一緒にいたいと思うはずの、素敵な人たちと、素敵な場所に
いたいのか、いたくないのか
いたくないと本当は思っているのに、「いたいはず」と誰もが思っている雰囲気に、
自分の心の声を なかなか正直に聞く決心がつかないことが
だいぶん前にありました。


その場から離れてずいぶんたちますが、
今思うと、
その場にはまらないのなら、そこは自分の場所ではないということです。

誰かが「ここにいると得だよ!素敵だよ!チャンスだよ!」と言ったとしても、
自分がそうと思わないのなら、そこにいなくてもいいのです。
自分にとって必要なことなら、必要な時期が来れば、きっと神様が与えてくださるから。


そして「同じようなシチュエーション」というのは 私の場合、
「これが素晴らしいでしょ」という価値観を 差し出されるときが多いことにも気がつきます。
いいものは、人にもおすすめしたくなるんですよね~人って。
それが本当に 自分の好みや欲しいもの・必要なものにあっていて、
素直にいいです!教えてくれてありがとう✨と思うことも いっぱいありますが、
素敵だけれど、自分には合わないものって、
やっぱりあると思うのです。

素晴らしい、けど、わたしはいらないかな。
正しい、けど、わたしはそうは思わないかな。
憧れちゃうような生活、だけど、わたしの憧れとは ちょっと違うかな。


と、なかなか言えなかったり、
自分の正直な気持ちを、自分で認められなかったりすると、
わたしは居心地わるく感じるみたいです。

本音と建て前、という言葉もあるように
自分に素直になる、本音を自分で知る・認めるって、ときにムズカシイことなのかもしれません。
顔で笑って 心で泣くことも、あるでしょうし、
その場の空気を読むことも、必要。


一方で 適材適所 という言葉もあるように、
自分を(適材かどうかは、ともかくとして・・・)適所においたときは、
やっぱり居心地がよく、自分の良さを発揮できるし、
なにより、ストレスが少ない!
ということが、今は一番大切なことのような気がします。







[PR]
by patofsilverbush | 2016-11-23 11:15 | | Trackback | Comments(0)

自分をおもてなし

なんとなくコーディネートを考えたはずが、
いざ外に出てみると、なんともしっくりこず、
居心地の悪いまま出先で過ごさなくてはならなくなることって ありませんか?
何も考えず着てきた、ときと、
鏡の前でしっかりチェックした、ときは、あまりそういうことはないのですが、
「なんとなく考えた」とき、というのは、
けっこう失敗だったりすることの多いわたしです。

たとえば今日。
上半身ががニット、スカート部分はリバティという、花柄で気分up⤴なワンピースにタイツをはき、
“なんとなく”(笑)寒いのか?とロングブーツを合わせ、
“なんとなく”(笑)軽いアウターがいいかな?とキルティングジャケットを羽織り、
“なんとなく”(笑)大き目の帆布バッグをつかみ、
外出したはいいけれど、
なんだか古くさい!ということにはっとして、
気分ダウン⤵のまま、用事を済ませることになってしまいました。


別に「へん」じゃないんだけど、
今までしていたような着合わせだったんだけど、
ファッション誌的に言えば、「今の気分じゃない」ってところでしょうか。
よくわからん!と思っていましたが、初めて体感・実感いたしました(笑)。
垢ぬけない組み合わせでした。(別に、いつも洗練されているわけじゃありませんよ、念のため・・・)


帰宅後、もう一度 別用事で再外出したさいは、
ブーツをピンヒール(といっても高さは5センチほどですがね)に履き替え、
アウターを脱いで(あたたかかったので)ストールをくるっと、
バッグをかごに持ち替えて、
ようやく気分よく外出できました。


そこらへんに行くのに わざわざめんどくさい!と思うけれど、
やっぱり「気分がいい!」って大事!と思う!(笑)
誰に見られても大丈夫、とか、お洒落してる、とかいうファッショニスタ的感覚ではまったくなくて
(もちろんね(^^;))
単純に 気分よく過ごすための、自分へのおもてなし。
今日一日をいただいて 過ごせるのなら、
たいせつな一日にしたいですよね。







[PR]
by patofsilverbush | 2016-11-22 16:17 | | Trackback | Comments(0)

あまのじゃく

自分が短所だと思っているところが、実は自分の自分らしい、魅力的な部分である、
というのはよく言われる話で、
ドラマ『Glee』の中にもそんなエピソードがありました。
整形しようかすまいか。
太っている自分がイヤ。
メガネがイヤ。
頭悪い自分がイヤ。
OCDな自分を認められない。

誰にでもそれぞれ、直したい部分や認めたくないことはある。
でも、その直したいと思っている、人と違っている部分が、
自分の個性であり魅力なんだ!というエピソード。



実はそれって 自意識過剰な部分もあって、
実際は誰もそんなに、私のことなんて考えていない、とわかると、
けっこう気が楽になったりもします(笑)。
私を中心に 世界が回っているわけじゃなし!
まして親しくなってしまえば、そんなあら捜しをするような人は、いないのではないかしら。
あら捜しをするような人なら、そもそもそんなに親しくならないし、
単純に 気が合わないだけのときもある。
合わないわ、と思った時点で お互い距離を置けるのが、
大人の付き合いのいいところです。
おんなじ教室で、むりやりクラスメートとして団結を強いられるわけではありませんからね。
大人って素敵。


一方で、
自分の親しい友人たちのことを思うとき、
その人の「短所」や「欠点」のことなんて、まったく気にしたことがないのにも
改めて気づきます。
きっとみんな聖人君子ではないのだろうけど(笑)
その人らしい「個性」があるだけで、みんなそれぞれに魅力的です。
この人完璧!憧れちゃう!というのとは、まったく違う魅力。
ときどき、わたしが魅力的だと思う部分を、
「そこがわたしの嫌なところなんだよね~」という人もいるから、
やっぱり本人にとっては「直したい部分」であることも、多いのかもしれない。
どうしてその部分をネガティブにとらえてしまうのか、
そこを自分で解き明かせたら、もっともっと自分を好きになるかもしれませんね。


私自身が変だからいうわけではありませんが、
わたしはやっぱり、その人の持つ、ある意味で「変な部分」が好きです。
魅力という言葉で表すのは変かもしれない、いっけんネガティブな感じ
(たとえば毒舌、とかね)を、興味深いなぁと思う。
まったく気が合わない!どうにも好きだとは思えない・・・という人も、もちろんいるけれど、
人を好きになるのに、
その人が「いい人」であるかは、あまり関係ないことのような気もします。
「いい人」と言われるのは大嫌いだと思う、
なるべく「いい人」と思われないようにふるまいたくなる、あまのじゃくなせいですね、きっと(笑)。





[PR]
by patofsilverbush | 2016-11-12 10:14 | | Trackback | Comments(0)

余裕のある人

余裕のある人きれいだな~♫
というコマーシャルがありますが、
余裕がある人って、たしかに、まわりがよく見えています。

すべきことの予定や、友達とランチの予定や、家族の予定や、
毎日がそういうことでいっぱいなんだけど、
なんとなく、余裕がある人と、
そんなに予定満載で、アップアップしているように見えるけれど、大丈夫?
と思ってしまう人がいる時、
何が違うかと言えば、
その人が物事に対応できる、物理的な処理能力にもよるのかもしれませんが、
もう一つ、
気持ちの持ち方にもあるような気がします。


物理的な処理能力があるからこそ、
ゆとりをもってどの予定も満喫し、楽しみ、意欲的に取り組める、
ともいえるのですが、
そうではなくて、
なんとなく、
自分の感情だけでいっぱいになっているときって、
たとえこなすべき「予定」が少ないときでも、
やっぱりアップアップしているように見える。
視野が狭くなって、人の言葉を聞けなくなっている(聞かなくなっている)とき、
たとえ暇であっても、
心の中は自分のことでアップアップしているのです。


生活をスローダウンさせれば余裕は生まれるかと言えば、
実はそんなことないんじゃないかな。


周りがよく見えている。
ということは、視野が広くて、「自分の考え」以外の意見にも、
心を向ける柔軟さがあるということ。
だから、自分の中から新しいひらめきも生まれるし、
人との会話も楽しめる。
落ち着いて物事に対処できるし、
動揺はしても、大事件に発展させることなく、自分のうちにおさめることができるだけの、
キャパがある。
自分のことだけで客席を埋めてしまったら、
お客さんはもう入る余裕はないということです。

周りを見回しても、
そんな、視野の広い人はほんとうに綺麗。
いつも落ち着いていて、
生活の中で 抱えている出来事があって、たとえ心の中が右往左往していたとしても
人に接するときはおだやかで、自分なりのストレスのはけ口もちゃんと持っている。
意識的に心がけているというよりも、それが自然体みたいです。
素敵だなあ✨


持って生まれた会場の広さ=客席数
というものも、あるかもしれないけれど、
ちょっとずつ広げることはきっとできるし、
広げたくないのなら、それに見合った自分の在り方を考えるのも、
余裕のある考え方といえるかもしれません。
自分のキャパシティーを客観的にみられることや、
どんな会場で、どんな雰囲気なのか、そこに漂う空気感を知ることは大切だし、
ぎゅうぎゅう詰めに商品が並んだ場所で、ワゴンの中の商品を奪い合うようなセール会場より、
品よく 美しくディスプレーされた上質な品を、ゆっくり手に取って楽しみたい、
と思うのにも、似ています。




[PR]
by patofsilverbush | 2016-11-11 09:38 | | Trackback | Comments(0)

ストールが手放せません!

とはいえ。
と、突然きのうの続きから始めてしまいましたが、
外界から受け取るエネルギーは、よいものばかりとは限らないのも、また事実です。

悲しみや怒りを受け取ることもあるし、
自分が受け取るべきものばかりではなく、
受ける必要のないエネルギーだって、本当はいっぱいあると思う。


よいエネルギーをたくさんいただいている、とはいうものの、
わたしも割と最近、ありましたもの、血管がぷちっと切れたかも??と思ったくらい、
「!!」
となったことが(^^;
私の代わりに「カチンときて」くれたり、
鼻息荒く分かち合ってくれた友がいて
大惨事にならずにすみました(笑)。
そして、そんな程度のことで鼻息荒くなってしまうわたしって・・・と
ちょっと反省できたのも、いったんわたしの感情を受け止めてくれた方あってこそですので、
やっぱり ありがたきかな!となるわけです。
そんな程度のわたしってことです。



シスターに教わったことは数知れずありますが、
そんな、頂きたくないものを なんだか頂いてしまいそうなとき、
「神様にお返しすればいいのよ」
という方法は、本当に幾度、私を助けてくれたことか。


これはわたしの問題ではなく、わたしが受け取るべきものでもない。
相手のネガティブな感情を 押し付けられただけ。
それでも、心の中に釈然としないものを感じる時には、
「神様、これはあなたにお返しします!要りません!」
と押し付けちゃうの。
という、荒業のような方法ですが(笑)、
自分の心に湧き起こった感情も含め、
わたしがどうすることもできない問題を もやもやを引きずることは、
少なくなったように思います。
きっと神様が、よいものに還元してくださる(笑)。



ポジティブか、ネガティブか、
ということさえ、まったくなくて、
物事はただ「起きる」だけにすぎないときもある。
自分の心のありようによって、
ポジティブに感じたり、ネガティブに受け取ってしまったり、することも、
自分の気持ち次第だというときも。


大切なのは、その時自分がどう感じたのか、
きちんと丁寧に、自分と向き合うことのようです。
自分を知る、
というのは、簡単みたいだけどむずかしいことですね。
知ってる気がしてる。こうだと思いこんでいる。こうだと思い込みたい。
それが実際の自分と異なっているときには つらく感じることもあるけれど、
ああ、これがわたしなんだ・・・
と客観的に思えるようになると、ずいぶん楽しくなります。

そんなことの繰り返し。
心は揺れるからいいんですよね~。



今週は寒くなりそうな予報!
マフラーやストールで、身体も心もしっかり包んで、
あたたかくして、紅葉をお楽しみくださいませ。





[PR]
by patofsilverbush | 2016-11-07 10:07 | | Trackback | Comments(0)

日々のあれこれを綴ります


by anne
プロフィールを見る
画像一覧